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とりとめもない感想を備忘記録的に書いています。



「どうする家康」を観たり、観なかったりしているが、本書のことを思い出す。


徳川家康影武者説は、在野の歴史研究家、村岡素一郎によって「史疑」という本で明治に発表された。この『三百年のベール』は、その村岡と「史疑」をモデルにした南條範夫のフィクションだ。ただフィクションだけど、絵空事では片付けられない部分もある。


明治維新から三十余年、新政府下の静岡の一官吏であった平岡(村岡素一郎)は、趣味の古文書を読んでいるうちにある文書に引っ掛かりを覚える。東照公こと徳川家康が晩年を過ごした駿河でのことが書かれた駿府政事録。その中で家康が側近に子供時分に五貫文で売られ、十八まで駿河国にいたと昔ばなしを語ったと記録されており、広く知られた史実と異なることに気がつく。なぜ、晩年こんな話をしだしたのか? 
そもそも家康は三河が故郷なのに、なぜ今川に人質として取られていた駿府に愛着を懐き、終わりの地としたのか? 息子の信康や正室の築山殿について、なぜあっさりと信長の命を飲んで自害させたのか? 新田源氏と松平を結ぶためになぜ、得体のしれない時宗の浮浪僧をもちだしたのか? などなど一つの疑問から次から次へと疑問が浮かんでくる。


折しも、本業の方では部落問題の調停に部下の山根と奔走する。なぜ彼らは、徳川幕府時代に生まれた身分制度によって差別されなければならなかったのか? 平岡のなかで徳川家康という偉人への疑惑が深まっていく。
やがて平岡は一つの説を発表する。


あとがきにもあるが、家康が由緒正しき家の出か、ささら乞食の願人坊主であったかは、大した問題ではない。再三書かれている通りだ。真に問題なのは時の為政者が、己の「嘘」を隠すため「物語」をつくり民衆の意識に植え付けてしまうこと。そして、なお悪いことに民衆が、不満のはけ口として「物語」を利用し、謂れのない差別、迫害、ときには虐殺を産んでしまうことだ。世界には「シオンの議定書」という偽書が最悪の虐殺、ホロコーストにつながり、いまだに姿、形を変えて流布されている例もある。


「史疑」はたった500部出版されたのちバッシングを受け、消える。しかし、戦後の徳川家康ブームとともに南條氏が偶然、神田の古本屋で見つけたことで脚光を浴び、今では筑摩文学全集に収録され、多くの作家たちにインスピレーションを与えることになる。口碑・伝説と限られた史料とを使っての提言には、論証の不十分さが目立つといわれるが、これは仕方がないことだ。今でも大事な事はだいたい口伝で紙には残らないとインテリジェンス専門家、佐藤優さんも言っている。政府文書でさえ都合が悪ければ、いいように改ざんされてしまうのだから、紙で残る正史なんて当てにはならない。作中の重野博士も言うように時として、書かれなかったことを見ようとするフィクションの力が、必要なこともあると思うのです。


『三百年のベール』はもともと短編がベースになっている。おそらくこちらのアンソロジーが一番手に入りやすい。


短編「願人坊主家康」は、物語の視点を変えて簓者の少年が、斎藤道三や北条早雲に憧れ、松平家を乗っ取り、天下を目指す話。併せて読むと、なお面白い。