芸術家と批評家の共犯関係 | 読んだらすぐに忘れる

読んだらすぐに忘れる

とりとめもない感想を備忘記録的に書いています。


軍人、美大生、編集者、作家という異色の経歴の持ち主チャールズ・ウィルフォード。本作はそんなウィルフォードの異色のキャリアによって結実したアートノワールの傑作。芸術にまつわる高尚な内容、哲学的で根源的な話が中心で、最後に俗なミステリになる。当時何も知らないで読み始めた人は、不在の画家に捧げられた献辞とゴルギアスの引用でキョトンとしたのではないかと思う。この引用は物語の重要なコンセプトになっている。

何も存在しない。                   
何が存在するとしても、それは理解できない。             何かが理解きるとしても、それは伝達できないだろう。

新進気鋭の美術評論家ジェームズ・フィゲラスは弁護士で美術コレクターであるキャシディから衝撃的な話とある取引をもちかけられる。
キャシディは20世紀モダン・アート界の伝説、最重要の画家ジャック・ドゥビエリューが今フロリダに住んでいると打ち明ける。
フランス人画家ドゥビエリューはもとは額縁職人であり、画家に転進後1925年に後世まで語り継がれる画期的な個展を開いた後、火災により作品を全て失い隠遁生活に入る。姿も新作も誰も見たことがない幻の巨人が自分のすぐ近くに住んでいると知り興奮するフィゲラス。
キャシディはフィゲラスを画家を引き合わせ、今までどの美術評論家もしたことがないインタビューができる見返りに、ドゥビエリューが描いているならどんなものでもいいから、一点盗み出して欲しいと頼む。
有頂天のフィゲラスは、快諾。しかし、ドゥビエリューとの出合いは「アート」の意味を揺るがし、赤茶けたオレンジに染まった一枚の絵画が彼に栄光と破滅をもたらすことになる。


チェスタトンのブラウン神父譚の一つ「青い十字架」に

「犯人は創造的な芸術家だが、探偵は批評家にすぎぬのさ」

という有名な一節がある。
本書ではこれに真っ向から異を唱える展開をみせる。芸術家ドゥビエリューと批評家フィゲラスは、存在しないものを守るために奇妙な共犯関係を築くのだ。ドゥビエリューにとってフィゲラスは自分の芸術を具現する最適な人物だし、フィゲラスは偉大な伝説を守るために、放火や殺人までする。


巻頭のゴルギアスの引用からすでに物語の核心を表しているから心憎い。この引用はゴルギアスの『非存在について』に書かれていたものとされている。しかし、このテクストは失われたもので、他の本に引用されていたから存在しただろうとした推測されるだけ。本当にゴルギアスが言ったかどうか分からないが、ゴルギアスが語ったものとして現在も残っている。


考えてみれば、私達の世界はお金にしても、国にしても不確かなものの上に成りたっていると言っても過言ではない。存在すると思って生活しているがある日、突然に存在しないものになってしまうかもしれない。逆に存在しないのに多くの人が「存在する」ものとして共有すれば存在してしまうのだ。そんな世界の深層を軽やかにミステリに落とし込むウィルフォードのセンスが凄い。


『炎に消えた名画』も日本未公開だが2019年に映画化された。ちょっと観てみたい。