春にして君主(きみ)を離れ | 読んだらすぐに忘れる

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とりとめもない感想を備忘記録的に書いています。


時代小説の「情」と謎解きミステリの「理」がブレンドされた逸品。本作はホワイダニットを中心にフーダニットの面白さも備えた作品になっている。


海と山がある小藩、橋倉藩は藩主が二人いる独特な藩だった。中興の祖、四代目藩主、岩杉重明から百十八年続く、本家と分家の藩主交代制は派閥の対立を招き、藩を二分しかねないものだったが、名もなき官吏たちによって、なんとかバランスを保ち続け江戸中期まで続いてきた。なかでも長沢圭史と団藤匠の二人の近習目付の時代、長期にわたり国政を安定させる基礎をつくる。
藩内の伝説として語り継がれる重明が不埒な門閥家臣たちを満開の花見の席で一人残らず誅した御成敗事件。その時活躍した家来「鉢花衆」の子孫である長沢と団藤は、衝突しようとする両派閥に睨みをきかせ、その威光と信頼によって両派閥が協力して国造りをする仕組みつくりに尽力した。
そして分家の次期藩主の急逝。分家の八七歳の重鎮、岩杉重政が次期以後も本家に藩主の座を渡すことを宣言し、百十八年にわたりつづいた藩主交代制が終わる。
長らく二つの派閥に割れていた藩が一つになり、平和という春が橋倉藩に訪れようとしていた。二九歳という異例の若さで重職ついた長沢と団藤はともに齢六七歳。引退し、次の世代に託すことができると喜んでいた矢先、藩主を一つにする英断を下した岩杉重政が、何者かに暗殺される大事件が起きる。身体の衰えから先に隠居していた長沢も陰ながら独自に探索を開始するが、それは単なる下手人探しにとどまらず、自分のルーツ、宿命を知ることになる。


この世の万物は常に変化して、しばらくもとどまるものはない。連綿と続いているものは多くの人たちが、不断の努力と強い崇高な意志でそれを守ってきたからだ。しかし、ずっと続いてきたものが時代に移ろいによって、当初の目的と合わなくなることがある。
本書は長く続いて来たもの守ることの理不尽に悩み、犠牲になる不器用な生き方しかできなかった男たちの悲哀の物語だ。青山さんは時代小説を書くことについて以下のコメントをしている。

「生きてる我々が理不尽を含めた周りの変化にもがく姿を書きたい。さもないと、時代小説は単なる昔話になってしまいます。(中略)時代が遠いほうが読者の鎧が薄くなるのでは。現代の話だとここが違う、あれも違うと、違いばかり気になるけれど、昔の話だと自分と遠い分、近さの方が浮き彫りになる。」

人情の話は時代小説の方が面白いと感じていたが、なるほど、遠近法によりリアルに浮かび上がらせていたんだなと納得した。


また、ミステリ読みの私は作者の抜群のミステリセンスに感服している。暗殺される理由もない人物がなぜ殺されたのかありそうな動機を潰していく捜査過程も面白いし、意外な動機が明らかになるラストも素晴らしい。しかし、なによりもいいのが伏線の巧妙さだ。
かつて瀬戸川猛資がP・D・ジェイムズの作品を「伏線の美学」と称賛していたが、青山文平の時代小説にもそれがみられる。終盤の犯人が語る犯行動機を読んだ時、作者の用意した伏線の上手さに舌を巻く。身分も立場も違う人物の理不尽なエピソードが繋がる点、ある場所からの見える風景の意味、漠然と描かれていた親近感など実に巧み。