ダンスを各クラスの生徒全員にやらせる。教員が指示すると「やらされた感で反発が起こるし笑顔がなくなる」なんでこんなことやんなきゃいけねえの?ってなる。反発している証拠。一方、生徒に言わせれば「笑顔で楽しんでやる」強制感がないからだ。教師が指示出しした方が効率が良いというのは幻想

「職員室に合格の報告に来させる」ことは、必要なことだ。それで3年間の指導を保たせているのだから。ここをやらないと、「騙された」とバレる。感情的には、不合格で泣いてるのも意味分からんし、合格で浮かれるのもわからん。高校の合否なんてどうだっていい。その後どう生きるかのほうが大事だ。

公立学校で生きた魅力的な授業をするためには、常に授業は、ストーリーで、実態に合わせ、生徒を指名しながら、一緒に、ゆっくりと、効率を考えず、生徒の理解に合わせ、指名しながら、出番を作ってあげて、周囲に認められる体験をさせた授業をしないとダメだ。

 

方的に教師が話しているだけの予備校式授業ではなく、生徒を指名してやることで授業が生きたものになる。ワークシートにやらせるだけでなく、○つけてやる、回収するのが必要。人に認められることで意味のある授業になる。やらせっぱなしだと、もともと勉強嫌いの子はやる意味を見いだせない

チョコ同様に、4クラスあって、自分だけ厳しい担任やるのもアホらしい。だって他の人は厳しくやってないんだもん。自分だけ厳しくやったって、周囲がやってないんだから、上手く行くわけないじゃん。つまり【やっても無意味】やらなくても無意味。だったらやらないほうがマシ。

 

14歳以上で少年法が適用される。万引きをしたとして、14歳になっていないかなっているかで対応が変わってくる。13歳だと親への説諭。14歳だと児童相談所などが絡んでくる。

 

一度起こったことに対しては対策をすべきだ。相手が懐柔策を打ってきてもそれに騙されてはいけない。基本相手のコメントは無視かスルー。それに返信しない。こっちの意見ももう言わない。言って否定されたら意地でもその仕事はしない。関わらない。これを貫く。


 

少なくとも、教科書で教えているようではダメだ。数学は。建前で載っている無駄な部分があまりに多すぎる。勇気を持ってその部分を切り捨てて教えることが必要。しかし、その教えていない部分がテストに出るのが心配で全部教科書をやる。だからダメなのだ

 

しかし、以前、教科書を全部やったグループと、重要な部分だけ時間をかけたグループで点数を比較したことがあるが、全部をやったグループのほうが点数が高かった。一見、以下の主張に矛盾する。しかし、要は同じことを繰り返したグループのほうが点数が高いというだけの話だから矛盾しない。

 

 

放っておくと人間は野生に戻るわけで、小中高と長い時間をかけて学校教育で洗脳する必要がある。たとえばオーケストラ鑑賞教室は退屈であることが必須で、チャラくて面白くて興味深いとまずいわけだ。

 

昔、ガソリンスタンドの店員が重油をガソリンに混ぜて、チョビチョビ差し引いて横領していた。横領を続けたことで罪悪感により現在はうつ病だった。人に誇れるように気持ちよく生きる方が良い。【道徳】

 

備忘録:初任の頃から言いたいことを言わないで遠慮していてもなめられるだけで終わった。このことから学んだこと。そして今後忘れずにいたいと思うことは、人間関係なんて壊れてもどうだっていい。言いたいことは言った方が良い。メモしておこう。

 

上級学校の種類→早すぎる。職場体験とそれの間のもの→冊子→多い→4枚選ぶ→他、上級学校をやれ→もどして印刷→やりなおし

⑧授業には時間通りに行く⑨7時間目まで授業をやる。⑩部活を切り捨てる。 失敗の原因→①習熟度別少人数は効果がない。下のクラスは劣等感で勉強しなくなる。競争がないから ②自習室を作ってもラサールの子はやるが、底辺学校だと寝るか漫画を読むかになる。

毎年約60億円もの予算を使って国内すべての小学6年と中学3年の子どもに全国統一のテストを受けさせている。

 

備忘録)教務部会では二度と発言しない。

学年会でも二度と発言しない。

 

 

 

 

授業の形式をさらに変えてみようか?基本板書を見せるだけにして、ノートをとらせる(まとめる)ときは問題形式にする。そしてワーク演習を一緒にやる。