【猪木正道】防衛大学校から見た三島由紀夫自決【憲法改正】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 昭和45年11月25日の三島由紀夫自決。

 保守系の人であれば知らない人はほとんどいないのではないか。

 そして、三島は命を懸けて憲法改正を訴えたという美談として語られることが多いと思う。

 三島は陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自衛隊に決起を求めた。

 しかし、自衛隊は三島に応えなかった。

 憂国の武士の三島、腑抜けて武士ではなくなってしまった自衛隊。

 そういう構図で認識されることが多いのではないか。

 

 

 

「【三島由紀夫事件】 三島由紀夫の檄文 「敢てこの挙に出たのは自衛隊を愛するが故」」 産経ニュース2015年11月22日

https://www.sankei.com/premium/news/151122/prm1511220033-n2.html

 

「われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 

https://www.sankei.com/premium/news/151122/prm1511220033-n5.html

 

「 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。」

 

「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」

 

「三島由紀夫 - 檄」 YouTube2012年4月6日
https://www.youtube.com/watch?v=xG-bZw2rF9o

 

 

 

 佐瀬昌盛氏(防衛大学校名誉教授)の、「正論 2018年6月号」(産経新聞社)掲載の論考は意外なものだった(52~61ページ)。

 「安倍“悪玉”論のいかがわしさ」という特集で、「モリカケ問題でほくそ笑むのは誰なのか」という題なのに、森友学園問題・加計学園問題と全く関係ない話が始まる(ていうか、モリカケ問題は最後におまけ程度に触れるだけ。)。

 そして、三島自決の話が出てくるのだが、猪木正道防衛大学校校長(当時)はこれを冷ややかに見ていたということだった。

 今になってこういう話が保守言論誌に出てくるのは、私には意外で新鮮に思えた。

 では、猪木は武士の魂のない腑抜けなのか。そうとも言えないだろう。猪木の言い分にも理由がある(三島に合わせて敬称を略したが、故人に敬称を付けるか否か迷う。歴史上の人物には敬称不要だが)。

 

 

 

佐瀬昌盛 「モリカケ問題でほくそ笑むのは誰なのか」 (正論2018年6月号、産経新聞社) 53~56ページ

 

「 猪木先生の著作は実に多い。その多くは京都大学法学部教授時代のものだが、防衛大学校長時代に書かれたものも少なくない。なかで「安全を考える」(朝雲新聞社刊、一九七七年)所収の「先進国の苦悩―防衛問題―」はよほど熟読したとみえて、私はいくつも赤線を引いている。次のくだりがその一つだ。

「日本の政治状況を見ていると、圧力団体、利益団体が米価の値上げにしても、春闘にしても、露骨に力にものをいわせて闘っているさまがガラス張りで見えてくる。そういうものを見ると、もう社会は腐敗堕落しているのだということになって、三島由紀夫あるいは二・二六事件の青年将校みたいな、ああいうきわめてヒステリックな発想になるおそれがある。これは非常に危険な病的完全主義である」

 ここに三島由紀夫とあるのは、この有名作家が一九七〇年十一月二五日、市谷の陸上自衛隊東部方面総監部に乱入、益田総監を人質にとり、バルコニーから自衛隊員を前に、憲法改正を求めてクーデターに決起するよう扇動した事件を指している。が、自衛隊員はこのアジ演説に動かされなかった。そこで三島は総監室へと戻り、自分が結成した「楯の会」第二代学生長・森田必勝の介錯で割腹自決して果てた。

 うろたえたのは防衛庁(当時)である。防衛庁・自衛隊の専門週刊誌「朝雲」は四週間にわたり事件を詳述、部内の動揺を抑えるべく躍起となった。国会では中曽根康弘防衛庁長官が自衛隊内部で実施された意識調査を引用して「大体三島君の行動、思想というものに対する反応は一〇〇%近く反対」だと説明した。が、正直言って苦しい答弁だった。私は当時、成蹊大学で教壇に立っていたが、後日調べてみるとかなりの防大生が動揺していたことがわかった。

 このとき、三島が「檄」で示した自衛隊違憲論を一刀両断に斬り捨てたのは、四ヶ月前から防大学校長の任にあった猪木先生である。著書「安全を考える」では、この三島問題は比較的簡単に扱われている。だから同書には猪木防衛大学校長の防大生に宛てた「訓示」は収録されていない。その「訓示」全文は「私の二十世紀・猪木正道回顧録」(二〇〇〇年四月刊、世界思想社)に収録されている。その概略を示す。

 「法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として日本人の魂を腐敗、道徳の頽廃の根本原因をなしてきているのを見た」と、三島は「檄」で断定している。

 これに対して猪木先生は、「防衛が国の根本問題であるという一点を除いては」三島の主張は誤りに満ちていると断言、さらに三島の言う「自衛隊違憲」論を一九五九年の最高裁・砂川事件判決を引用しつつ暴論だと退けられた。

 さらに猪木先生が問題視されたのは、三島の「檄」に「憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそ唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした」と書かれていた点である。三島のこの主張を猪木先生は「自衛隊を私兵化しようとする思想にほかならない」と批判されたのである。

 いずれにせよ当時、中曽根防衛庁長官が、いや、防衛庁全体が猪木先生に頼り切っていたのである。しかも驚くべきことに、この三島事件が発生したのは、猪木先生が一九七〇年七月に防衛大学校長に就かれて半年足らずのことだった。あと半年も就任時期が遅れていたなら、防衛庁・自衛隊が、いや、わが国の社会全体がどれほどの混乱に見舞われていたかは想像に難くない。」

 

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 現時点に立ってみると、平成26,27年の安保法制論議で砂川事件判決(最高裁判所大法廷昭和34年12月16日判決)が注目を浴びたわけで、同判決を重視した猪木に説得性を感じる(http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55816)。

 

 

 

「【検証・集団的自衛権】 閉ざされてきた当然の権利、オープンへの鍵は「砂川判決」」 産経ニュース2014年5月2日

https://www.sankei.com/politics/news/140502/plt1405020019-n1.html

 

「 集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈見直しの論議が連休明けから本格化する。集団的自衛権は国際法上当然の権利として認められているが、日本の歴代政権は長く行使はできないと解釈してきた。3日の憲法記念日を前に、歴史的な経緯を考察する。=肩書はすべて当時(峯匡孝、小田博士)

 安倍晋三政権は、最高裁が自衛権の是非について判断した「砂川事件」判決に焦点を当てている。安倍首相は同判決を論拠に行使容認に慎重姿勢をみせる公明党に理解を求める方針だが、半世紀以上前の判決を引用する意味は何か-。

 昭和32年7月、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地に、基地拡張に反対するデモ隊が基地内に侵入する事件が起こり、7人が刑事特別法違反罪で起訴された。裁判では駐留米軍の合憲性が争われ、翌34年3月の東京地裁は駐留米軍を憲法9条に違反する「戦力」として無罪判決を言い渡した。これに対し、検察側は高裁を飛び越し、最高裁へ跳躍上告した。

 34年12月、最高裁大法廷は、9条について「主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではない」と認定。「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」として日本国にも自衛権があるとの判断を示し、地裁判決を破棄した。

 

https://www.sankei.com/politics/news/140502/plt1405020019-n2.html

 

「 内閣法制局は、わが国を防衛するため「必要最小限度」を超える自衛権の行使はできないとして、集団的自衛権について権利はあるが行使はできないとの解釈を採ってきた。安倍政権が着眼したのは、判決の「自国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうる」との部分だ。「自衛の措置」の中に、集団的自衛権の一部が包含されると考えたのだ。

 「内閣法制局は最高裁が示した『必要な自衛権』という基準から『集団的自衛権は行使できない』といったのは論理の飛躍がある」

 「十把一絡げに集団的自衛権を認めないというのはおかしい」

 砂川判決を取り出した自民党の高村正彦副総裁はこう指摘する。政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」でも、西修・駒沢大学名誉教授が判決が持つ意味を指摘している。

 高村氏と同じ弁護士出身の公明党の山口那津男代表は、砂川判決について「集団的自衛権を視野に入れて出された判決だとは思っていない」として高村氏の指摘を否定する。そこで、安倍政権は「2枚目」のカードを温存する。

 砂川判決で、田中耕太郎最高裁長官が補足意見として「他国の防衛に協力することは自国を守る」と示したのを根拠に、「判決は個別的自衛権を前提としている」と主張する公明党を説得する。」

 

 

 

 不意に三島自決について考えさせられた。

 佐瀬・猪木の書きぶりを見ると三島は砂川事件判決を知らなかったという印象を受けるが、私には三島ほどの者が同判決を知らなかったとは思えず、知った上で「国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ」と述べたのではないかとも思う。

 などと、あれこれ考えているうちに、ふと、「そういえば「若きサムライのために」に憲法について何か書いてあったな」と思い出した。

 この本、正直に言って三島と福田恒存との対談を途中まで読んだだけだったのだが、三島と猪木との対談も載っていた。

 対談が行われたのは昭和44年1月。三島自決の前年である(当時、猪木は京都大学法学部教授で、防衛大学校赴任前)。

 三島は、自衛隊に対してクーデターは「バカバカしい」からするなと言っている、という旨を述べている。

 意外ではないか。

 その後、同年10月21日、治安出動なき暴徒鎮圧が起きた。

 これが転機となって三島はクーデターについて態度を大きく変えたわけだが、三島が自衛隊に決起を呼び掛けたのは、この対談相手の猪木にはさぞ意外だったであろう。

 それにしても、当時からマスメディアのいわゆる「報道しない自由」は問題視されていたのだなぁ。

 あと、共産党が「文化を守っているかのごとくよそおう」というのも、現在に通じる指摘だろう。共産党が保守に見えている反新自由主義・反グローバリズムの人々はまんまと「ごまかされ」ているだろう(https://ameblo.jp/bj24649/entry-12222494542.html)。最近の例では、主要農作物種子法廃止反対論にもこの手の装いがあるのではないか(https://ameblo.jp/bj24649/entry-12300860363.html)。

 

 

 

三島由紀夫 「若きサムライのために」 (文藝春秋、1996年) 156~161ページ

 

「 どこから防衛意志は生れるか

三島 ぼくはよく冗談に自衛隊員にいうんです。クーデターはバカバカしいからおよしなさい、治安出動をなんとかしておやんなさい、そうすればクーデター以上の政治条件が出せる、と……(笑)。

 それは、日本に非常事態法がないからです。つまり、いったん出動したあとは撤兵の条件がなにもない。撤兵しなければ、どんな政治条件でも出せますよ。

 もっとも、非常事態法がないから治安出動はむずかしいのですが、押して出動すれば、あとはたいへんなことになる。

猪木 自衛隊が出動する場合の法的規制が全然できていないんですね。その意味でも、日本はいったい国家なのか、という疑問が出る。

三島 昔みたいに外敵侵入という大がかりな形のものがなくなって、間接侵略というわけのわからない、非常につかみにくいものがはやりだしてきた。これに対処するには、一面で非常事態法のもとでの治安出動が必要になってくるでしょう。

 もう一つはイデオロギー武装ですね。つまり、共産主義がいいか、悪いか、というメドをはっきりいうことです。そうでなければ、いったい、われわれの文化を何から守るのか、国民は防衛意志を持ちようがない。

猪木 共産主義というイデオロギー自体は大いに研究したらいい。そんなものは純粋に実現するとは思わんですからね。問題は、共産主義が実際に実現されたといわれる状況、つまり共産党が政権を取っている国々の状況がどうなっているか、ということです。

三島 具体的には、チェコの二千語宣言でいったように、共産党に行政権を与えると……。

猪木 そう。共産党一党独裁といってもいい。そういう状況ではどうなるか、それが日本ほど知られていない国はないね。

三島 これまで被害をこうむったことがないから。

猪木 ソ連に占領されなかったせいもありますね。ヨーロッパでは、たとえばスペイン内乱のとき、ソ連は国際共産軍の指導者たちにオデッサの港にくれば武器をやるからといって連れていってそのまま消しちゃった。そういうひどいことをソ連はやるんだということを、ヨーロッパ人はみな知っているわけですよ。隙あらば侵略してくることを身をもって体験しているから、自分たちの文化や生活様式を守らなきゃいかん、というのは自明の理になっているんです。

 アメリカも、チェコ、ポーランドあるいはロシアから逃げた難民の国のようなものですから、よく知っています。ハンガリー事件が起きたときに、日本の知識人の反応があまり無関心なんで、アメリカ人は怒ったくらいです。

三島 日本の新聞を読み、日本のテレビを見、日本国内だけを見ていたのでは、共産党が政権を取ったときにどうなるか、わかるはずがありませんね。

猪木 あれだけたくさんの特派員が北京やモスクワへ派遣されていて、みなとんでもない国だということを知っているのに、どういうわけか新聞に出ない。

 そういう点からいえば、チェコの二千語宣言など大いに日本で知ってもらわなきゃいけないでしょう。たとえば、チェコ中央委員候補の映画監督のプロハズカを追放するために、ノボトニー一派は彼のアパートに盗聴器をしかけ、ベッドルームで奥さんと話しているところを盗聴して記録をつくったんです。それで中央委員の連中は、これは大変だ、おれたちもやられているというので、ドプチェクを先頭に蜂起してノボトーニーを追放した。そういう状況があるのですよ。

 それと、私はロシア文学が好きですが、あの文学的素養の豊かなロシア人が、レーニンが政権を取ってからの五十年間にいったい何を生んだか。いかなる作品を書くべきか、どういう作品にはどれだけ紙を割り当てるか、ということを党がやったのでは、創造的な作品が生れるはずがない。共産党独裁体制というのは、文化を不毛にするということをよく示しています。

三島 そのくせ彼らは、いつでも文化を守っているかのごとくよそおうのです。私は、いちばん安全な芸術家は伝統芸術家だと思うんです。共産革命が起きても、歌舞伎俳優は生きのびるでしょう。ソビエトの革命後もレニングラードのバレエ団が生き残ったように。

 すでに死んでしまって、生き返る心配がない文化だと思うと、共産主義では奨励する。ちょっとでも現代に呼吸していると思ったら、いじくる。これは彼らの常套手段です。

 日本の左翼演劇人なんかでも、いかにも伝統文化を守るかのごとき態度を見せるんです。民俗芸能を発掘してみたり、能や歌舞伎の古典性を尊重するふりをしてみたり。しかし、これはいじくる前提です。彼らはすっかりうまくなってきて、中共の文化破壊みたいなプリミティブ(素朴)な手は使わない。それにごまかされたら、ひどいことになると思う。

猪木 自然科学者でもそうでしょう。研究条件はものによってはよくなると思う。しかし、思考の自由はまったくないですからね。

三島 文学では、いい作品が出るのは反動政治の時代なんです(笑)。第二帝政期にバルザックが出ている。スタンダールもそうです。反動政治に対して怒りながらも、しかし表現の自由はある。そのすれすれのところで一流の作品ができているんですよ。

 ぼくは革命派の学生と話すときに、こういうことをいっている。チェコの二千語宣言をよく読んだが、言論の自由はきれいなものでもなんでもない、動物として最低の要求だ、それが保証されなければ、文化なり何なり築きようがない、と。夫婦の会話を聞かれないとか、はばかりをのぞかれないとか、いちばん低俗な権利で、しかもいちばん必要なものだと思うのです。

猪木 個人防衛ですね。

三島 そこから出発しなければ、防衛意志というものははっきりしていこないのですよ。」

 

 

 

「【三島由紀夫事件】 三島由紀夫の檄文 「敢てこの挙に出たのは自衛隊を愛するが故」」 産経ニュース2015年11月22日

https://www.sankei.com/premium/news/151122/prm1511220033-n3.html

 

「 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲つた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである。
 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか。総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終つた。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起つたか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になつた。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家にとつてはそれでよからう。しかし自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。」

 

https://www.sankei.com/premium/news/151122/prm1511220033-n4.html

 

「 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。
 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。
 われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。」

 

 

 

 三島由紀夫自決は保守の間では賛美されることが多いと思うが、たまには視点を変えて否定的見解を見ておくのもよいのではないか。

 私としては、三島が二・二六事件について青年将校を肯定して昭和天皇を否定する態度を取っていたというのが気になるところではある(「武人 甦る三島由紀夫」(晋遊舎、平成25年))。二・二六事件の見方は三島の行動の見方にも関係するだろう。

 現実政治においてはモリカケ問題を騒ぐ野党・マスメディアによって内閣支持率は低下し、自衛隊を明記する、つまりは「法理論的には、自衛隊は違憲」とする解釈を払拭する憲法改正は難しくなっている(ちなみに福田恒存も自衛隊は違憲だとしていた。「若きサムライのために」211ページ)。

 仮にこの憲法改正が実現しても自衛隊が「真の国軍」となるわけではない。

 三島の聲(こえ)は、まだ当分消えなさそうだ。