【加計学園】不認可の方が問題【裁量論】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 加計学園の獣医学部の新設が認可される見通しだ。

 

 

 

「加計学園獣医学部の来年4月開学 認可される見通しに」 NHKニュースウェブ2017年11月2日

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171102/k10011208861000.html

 

「学校法人「加計学園」の獣医学部に対して、来年4月に開学を認めるかどうか審査する文部科学省の審議会の専門委員会が2日に開かれ、課題とされていた学生たちの実習計画などに改善が見られると評価する意見をまとめました。これにより、加計学園の獣医学部は今月10日の答申で開学が認可される見通しとなりました。


「加計学園」が愛媛県今治市に建設中の獣医学部をめぐり、文部科学省の大学設置審議会の専門委員会は、来年4月の開学を認めるかどうか審査を行ってきました。

当初は、ことし8月に結論が出される予定でしたが、教育内容のうち、学生に対する実習時間が不十分だったりするとして、認可の判断が保留されました。

関係者によりますと、学園から再度、提出された修正案について、2日に非公開で審議会の専門委員会が行われた結果、依然として一部のカリキュラムに課題があると指摘をうけたということですが、全体的には学生たちの実習時間などに改善が見られると評価する意見でまとまったということです。

審議会は今月10日に最終的な結論を大臣に答申する予定ですが、2日の結果により、加計学園の来年4月の開学は認可される見通しとなりました。

 

 

 

 メディアの中には「疑惑が晴れていないのに認可はおかしい。安倍はお友達を優遇している」などと安倍不信を煽るものが出てくるかもしれない。

 しかし、私たちは大事な点を見落としてはいけない。

 それは、わが国が法治国家であるということだ。

 行政府は立法府の制定した法律に従って権限を行使する。

 加計学園が獣医学部設置の要件を満たしているのならば、行政庁はこれを認可してよいというのが基本だ。

 「安倍と加計は怪しいから認可はダメ」というものではないと私は考える。

 

 

 

 加計学園の獣医学部新設の認可についての根拠法令は調べていないが、おそらく裁量権が認められているだろう。

 そして、報道されているとおり、大学設置審議会・専門委員会も設けられている。

 こういう場合、専門家の判断を尊重して認可するかどうかを決めるというのが相場だとして大過なかろう。

 本件では、認可してよいという大学設置審議会・専門委員会の判断を行政庁が尊重して処分を行うということになる。

 むしろ、大学設置審議会・専門委員会の判断を覆すだけの合理的な理由が無い限り、行政庁としては大学設置審議会・専門委員会の出した結論通りの処分をしないと違法になるおそれが強い。

 私としては、本件では、不認可にする方が違法の疑いが生じるのではないかと思う。

 ていうか、こういう話って、反原発の人の方が知っていそうな気がするんだけど、彼らこそが加計学園問題を煽っているような…(下記「最判平成4・10・29民集46巻7号1174頁」は「伊方原発訴訟」と呼ばれる。奇しくも伊方原発も愛媛県にある。http://www.yonden.co.jp/energy/atom/ikata/page_01.html)。

 

 

 

宇賀克也 「行政法概説Ⅰ 行政法総論 第2版」 (有斐閣、2006年) 283,284ページ

 

行政裁量が認められる根拠

 それでは、このような行政裁量が認められるのは、そもそもなぜであろうか。行政裁量が認められるということは、訴訟になった場合、裁判所の判断よりも行政庁の判断を優先させると立法者が定めたことを意味する。裁判所に判断を委ねるよりも、行政庁の判断に委ねるほうが適切であると立法者が判断した場合、裁判所も、この立法者意思に従い、行政庁の判断を優先させなければならないのである。立法者が、ある事項について、裁判所の判断よりも行政庁の判断を優先させるべきと判断する場合の代表例としては、以下のようなものがある。

(中略)

 第3に、科学技術に関する専門組織による判断の尊重の必要性である。最判昭和33・7・1民集12巻11号1612頁は、温泉源を保護しその利用の適正化を図る見地から許可を拒む必要があるかどうかの判断は、主として専門技術的な判断を基礎とする行政庁の裁量により決定されるべき事柄であるとする。最判平成4・10・29民集46巻7号1174頁・百選Ⅰ74事件は、内閣総理大臣が原子炉設置の許可をする場合において、法所定の基準の適用について、あらかじめ原子力委員会の意見を聴き、これを尊重してしなければならないと定めているのは、原子炉施設の安全性に関する審査の特質を考慮し、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的な判断に委ねる趣旨と解するのが相当であると判示している。

 

 

 

 民主党政権を思い返してほしい。

 あの時は、田中眞紀子文部科学大臣が大学設置を認可しないと言い出したことが批判の対象になった。

 認可しない方が違法の疑いありだったのだ。

 認可することを問題視する加計学園問題とは対照的だ。

 

 

 

玉井克哉 「3大学不認可問題──問われているのは「法の支配」」 アゴラ2012年11月7日

http://agora-web.jp/archives/1499278.html

 

「田中眞紀子文部科学大臣が、11月2日、秋田公立美術大など3大学の開設を認可しないと表明しました。ご存知の通り大騒ぎになりましたが、6日になって「新しい仕組みを立ち上げ、新しい基準で改めて判断する」とトーンが変わり、さらに7日午後、「まだ不認可の処分はしていない。世間は誤解している」と迷走を重ね、7日夕方になって、一転して「認可する」ことに落ち着いたようです。不認可でゴリ押しすれば行政事件訴訟法に基づく義務付け訴訟という手段も考えられたところですがまた、その可能性は乏しくなったので、訴訟についての検討は措き、今回のケースによる教訓を考えてみたいと思います。
 


まず、今回の措置が違法であることについて。

田中大臣の不認可方針は、設置すべきだとする大学設置・学校法人審議会(設置審)の建議を覆して表明されました。設置申請に対する認可・不認可は大臣の権限ではありますが、それは、大臣が個人的な考えで勝手に決めてよいことを意味しません。学校教育法は、大学設置認可に関する判断について、1. 「大学設置基準」という一般的な規範に基づき(同法3条)、2. 設置審に諮問した上で行うと決めています(同法95条、同法施行令43条)。「諮問せよ」と法律が決めているのは、大臣が自分だけの個人的な知識経験で判断してはならない、という趣旨に取るほかありません。それも、大臣が自分のスタッフに個人的に相談するのもダメで、「審議会」という形に組織されたスタッフに相談せよ、と決めているわけです。今回は何の相談もなく審議会の結論を覆したというのですから、この義務に違反します。即ち、違法です。

(後略)」

 

 

 

 大村秀章愛知県知事は、田中大臣は「裁量権の逸脱」だとした。

 上述したようなことを考えたのではないかと思う。

 

 

 

「大学不認可は「大臣の裁量権の逸脱」 愛知知事」 日本経済新聞2012年11月5日

https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0501O_V01C12A1CR0000/

 

「 愛知県の大村秀章知事は5日の記者会見で、岡崎女子大(愛知県岡崎市)の新設が不認可となったことについて、「大臣の裁量権の逸脱で極めて遺憾。発言を撤回し謝罪したうえで認可すべきだ」と述べ、田中真紀子・文部科学相を批判した。

 大村知事は、大学側だけでなく進学希望の高校生にも大きな影響があると指摘。「なるべく早く文科省に行き、不認可を撤回させる」と話した。」

 

 

 

 行政法を勉強したことがある人であれば、たとえ四国に獣医学部がないなどという背景事情や新学部設置の根拠法令を詳しく知らなくても、加計学園の獣医学部設置が違法である可能性は低そうだと推論するのではなかろうか。

 むしろ不認可の方が違法の可能性が高そうではないかと。

 法律論そっちのけで「疑惑は晴れない」「怪しい」という印象操作ばかりするマスメディアの方が怪しい。

 「民衆の敵」というテレビドラマが物議を醸しているが、悪趣味な政治ショーで安倍不信を煽って民意を歪め、民主政治を歪めようとする彼らこそ、「民衆の敵」と呼ぶに相応しい。

 

 

 

https://twitter.com/SUSHImedia2017/status/924996393634164742