【譲位】「生前退位」と摂政【特措法】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 今上陛下の「生前退位」につき、政府は特別措置法制定(およびこれに伴う皇室典範の若干の改正)で対応する方向で検討を始めた。

 

 

「【天皇陛下「お気持ち」】 「生前退位」実現に特別措置法 政府検討、皇室典範の付則に「特別の場合に限る」と明記へ」 産経ニュース2016年9月5日

http://www.sankei.com/life/news/160905/lif1609050002-n1.html

 

「■ 年内の有識者会議設置は見送り

 

 政府が、天皇陛下の「生前退位」について、特別措置法制定で可能にする検討に入ったことが4日、分かった。ただ、憲法は皇位継承について「皇室典範の定めるところによる」と規定していることから、皇室典範の付則に「特別の場合」に限定して特措法で対応できる旨を追加する。複数の政府関係者が明らかにした。また、皇室に関する問題は慎重な上にも慎重な協議を必要とすることから、年内に有識者会議を設けることは見送る。

 政府は当面、内閣官房の皇室典範改正準備室を中心に、識者などから幅広い意見を聴取し、特措法案の内容を詰める。提出は年明け以降になる見通しだ。

 今回、特措法を制定するのは、陛下のご意向について国内の各種世論が高い割合で理解を示していることから、政府としてはあまり時間をかけずに対応する必要があるためだ。また、皇位継承のあり方への影響を最低限に抑える狙いもあるとみられる。

 政府は当初、特措法単体の制定による対応も検討したが、憲法は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」(2条)と定めていることから、単独では憲法違反になると判断した。

 そのため、皇室典範の付則を追加する方法での調整を進めている。この場合、皇室典範の本則部分の改正に当たらないことから、典範改正に慎重な世論にも配慮できるとみている。」

 

http://www.sankei.com/life/news/160905/lif1609050002-n2.html

 

「 一方、政府は安定的な皇室制度のあり方に関しても今後対応する必要があるとみている。安倍晋三首相や菅義偉官房長官は皇位が例外なく父方の系統に天皇を持つ男系で引き継がれてきた歴史的な重みを指摘しており、それを踏まえた上で女性皇族の身分や「女性宮家」などについて引き続き検討していく。

 天皇陛下は先月8日、高齢となった象徴天皇のあり方について、約11分間にわたるビデオメッセージで表明し、「生前退位」の実現への強い思いをにじませられた。皇室典範で規定された「摂政」にも否定的な考えを示された。

         
          ◇

 生前退位 天皇が存命中に、その地位を皇太子に譲ること。江戸時代後期の光格天皇を最後に約200年間、例がない。憲法は皇位継承について「皇室典範の定めるところによる」としている。皇室典範は、皇位の継承を「皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と規定。順位を(1)皇長子(天皇の長男)(2)皇長孫(天皇の長男の子)(3)その他の皇長子の子孫-などと定めている。「天皇が崩じたときは、皇嗣(皇位継承権第1位)が、直ちに即位する」と規定しているため、現行では生前退位は認められていない。」

 

 

 7月13日、NHKが今上陛下に「生前退位」のご意向ありということを報じた。

 NHKが他社の報道も方向付け、「譲位」ではなく「生前退位」が用いられる流れとなってしまった。

 

 

「新聞協会賞にNHKの「生前退位の意向」報道」 NHKニュースウェブ2016年9月7日

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160907/k10010674071000.html

 

「優れた報道に贈られる今年度の新聞協会賞に、NHKが7月に報じた「天皇陛下『生前退位』の意向」のスクープなどが選ばれました。


7月13日にNHKが報じた、このニュースは、天皇陛下が天皇の位を数年内に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁関係者に示し、広くお気持ちを表される方向で調整が進められていることを明らかにしました。天皇陛下は先月8日、「生前退位」の意向がにじんだみずからのお気持ちを国民へのビデオメッセージという形で表されました。
授賞の理由について、日本新聞協会は「現代にふさわしい皇室像などをめぐる国民的議論を提起した。国内外に与えた衝撃は大きく、皇室制度の歴史的転換点となり得るスクープだ」としています。
編集部門ではこのほか、4月の熊本地震で倒壊した家屋から乳児が救出される様子などを撮影した毎日新聞社の一連の写真報道、去年9月の関東・東北豪雨で濁流から親子が救助されるまでを撮影したフジテレビの映像、それに東日本大震災から5年の節目に震災の教訓を伝えた岩手日報社の一連の報道が選ばれました。
授賞式は来月18日、山形市で開かれる新聞大会で行われます。」

 

https://twitter.com/junyamitsurugi/status/773439634898554880

 

 

 8月8日、今上陛下は自らお言葉を述べられた。

 

 

「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」 宮内庁HP平成28年8月8日

http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

 

■ 象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)

 

 戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。
 私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。
 本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 

 即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。

 

 そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。

 

 私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間(かん)私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。

 

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
 天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

 

 始めにも述べましたように,憲法の下(もと),天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。
 国民の理解を得られることを,切に願っています。」

 

 

 このお言葉が発せられる前、識者からは摂政を置けばよいという見解が示されていた(渡部昇一「悠久なる皇室」(正論2016年9月号、産経新聞社)56ページ)。

 しかし、このお言葉によって、今上陛下がかかる見解に否定的だということが明らかになった。

 にもかかわらず、このお言葉を聞いてもなお、摂政を置けばよいとする識者もいる(小堀桂一郎氏につきhttp://ameblo.jp/bj24649/entry-12189038522.html。伊藤隆氏につき「WiLL2016年10月号」(ワック)119,120ページ)。

 確かに、産経新聞は「安倍晋三首相や菅義偉官房長官は…「女性宮家」などについて引き続き検討していく」と報じており、皇室制度が変えられる時に皇室打倒の策謀が入り込んでくるおそれはあるところであり、現行制度で対応したいというのは分かる。

 しかし、摂政を置くのは今上陛下のお気持ちには沿わないであろう。

 なお、安倍総理大臣は、

「こうしていったん消え去ったはずの、「女性・女系容認」の議論が、今また「女性宮家創設」と形を変えて復活しようとしているのだ。この問題に関わってきた官僚たちの意思が働いていることは想像に難くない。」

と、女性宮家創設に警戒心を見せる(安倍晋三「軌跡 安倍晋三語録」(海竜社、2013年)79~93ページ。http://ameblo.jp/bj24649/entry-12142956230.html)。

 安倍政権が女性宮家を創設する可能性はほぼ皆無だ。

 

 ところで、摂政を置けば、「摂政派」の言うとおり、今上陛下の負担は無理のないものとなるのだろうか。

 ScorpionsUFOMSGさんが大変良い指摘をされていた。

「少なくとも条文を素直に読む限りにおいては、摂政が天皇に代わって、行うことができる範囲というのは「国事行為のみ」に限定されているとみるのが自然ではないでしょうか。」

とのことである(http://ameblo.jp/scorpionsufomsg/entry-12197214598.html)。

 摂政は法制度となっているのだから、これを定める条文を見るべしということである。


 

 「摂政派」は、大正天皇が皇太子(後の昭和天皇)を摂政とした先例や、推古天皇が聖徳太子を摂政とした先例を挙げる。

 しかし、当時と今とで摂政の権限は同じなのかという問題が生じる。

 常識的に考えて、推古天皇の時代と現代とでは皇室制度が異なって当然だし、現代の方が厳格に規律されているだろう。

 また、天皇は「象徴」であると日本国憲法に規定されるに伴い、天皇を代行する摂政の権限も変更されていてもおかしくない。

 「摂政派」の中で、「GHQによって憲法と皇室典範が変えられてしまった」という指摘をしている人こそ、「今の憲法・皇室典範の摂政に関する規定はどうなっているのか」という考えに到るべきだ。

 

 摂政の権限について、日本国憲法5条が国事行為の代行を定めているのは明白だ。

 では、摂政は国事行為以外の公的行為を代行できないのか。

 これについては学説が分かれている。

 ざっくりと言うと、

(A説)公的行為は象徴たる機能を有する天皇のみができる。摂政には代行できない。

(B説)摂政も象徴としての役割を務め得るし、公的行為を認めながら摂政に代行させることを認めないのは現実問題として均衡を失する。摂政にも代行できる。

というものだ(「基本法コンメンタール憲法 第四版」(日本評論社、1997年)32ページ)。

 B説に立てば、摂政が公的行為を代行することが可能となる。

 どちらの説の方がより有力なのかは不明だが、おそらくB説であろう(同書で5条を解説する芹沢斉教授はB説寄り)。

 摂政は国事行為しか代行できないという解釈しかあり得ないものではない。

 

 摂政が公的行為をも代行できるならば、摂政を置けばよいではないか、と考える人がいるかもしれない。

 しかし、摂政を置くことができる要件に、「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」というものがある(日本国憲法5条、皇室典範16条2項)。

 今上陛下は上のお言葉で「身体の衰え」について仰っているが、これは「身体の重患」には到らず、摂政を置くことができる要件を満たさない。

 摂政を置けばよいと言ってみたところで、摂政を置く要件は満たされていない。

 今上陛下は、摂政を置く要件は満たしていないけれど「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難し」い場合について問うておられるのに、摂政を置けばよいというのは答えにならない。

 

 安倍政権は特措法で譲位を可能とする方針だ。

 これは竹田恒泰氏の主張に沿う。

 竹田氏は、自ら法案を起草し、提示している(http://ameblo.jp/takeda-tsuneyasu/entry-12194322390.html)。

 

 

「生前退位(譲位)は、特措法!? 「特措法」って「特別法」と何が違う??|竹田恒泰チャンネル」 YouTube2016年9月10日

https://www.youtube.com/watch?v=hFfX11ypKa0

 

 

竹田恒泰 「一分一秒でも長く」 (WiLL2016年10月号、ワック) 121,122ページ

 

「 八月八日の陛下のお言葉に接した多くの国民は、これに共感し、天皇を仰ぐことの尊さを改めて実感したことと思う。皇室制度そのものについての言及はなかった。これは、憲法の趣旨を踏まえてのことと拝察される。ただし、譲位の御意向が滲む内容であったことは間違いないであろう。私は「承詔必謹(しょうしょうひっきん)」の大原則に従い、直ちに議論を深め、陛下の宸襟(しんきん)を悩ますものを取り払わなくてはいけないと思う。

 ただし、歴史的に譲位が問題になってきたこともあり、譲位を制度化することには悩ましい問題もある。これまで政府は次のような立場をとってきた。昭和五十九年(一九八四)、山本悟宮内庁次長は衆議院内閣委員会で、①退位を認めると歴史上見られるような「上皇」の弊害が生じるおそれがある、②天皇の自由意思に基づかない強制退位の可能性がある、③天皇が恣意的に退位することは「象徴」という立場に馴染まないなどと答弁している。これらの問題は、歴史的には実際に繰り返されてきた。

 ただし、今上天皇が譲位なさったとしても、おそらくこのような問題は生じないであろう。しかし、何十年も何百年も先の未来を考えると、このような問題が絶対に起きないとは言えない。このような視点から見ると、譲位を制度とするのではなく、今上天皇一代限りの特別措置として、特措法にて譲位を実現させる方が上策であると思う。

 しかし、昭和天皇が晩年、病床で長期間の闘病生活をなさっておいでだった時のことを思い起こして欲しい。昭和天皇はその間、あらゆる御公務はなされなかったが、一分一秒でも長く生きて頂きたいと誰もが願った。「天皇として機能していないから退位させるべきだ」という言論は存在すらしていない。昭和天皇は病床にあっても「象徴の務め」を果たしておいでだったと私は思う。それを思うと、今上天皇が譲位なさるべきか譲位なさらないべきか、どちらが正しいかを断じることは困難である。」

 

 

 

 

 庶民感覚や想像の域を出ないが、私の思うところを述べたく思う。

 確かに、皇室は伝統や先例を重んじる。そして、明治時代以来、過去の経験に照らし、譲位は制度化されてこなかったし、譲位が行われることもなかった。

 しかし、現行の皇室制度は、科学技術、とりわけ医療技術の飛躍的な進歩と合わなくなってきているのではなかろうか。

 今上陛下は冒頭で、「社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか」と問題提起されるが、医療技術が進歩しているからこその高齢化だ。

 今上陛下は、「2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった」と仰る。医療技術が進歩して、病を克服することは可能となったが、同時に、高齢による体力低下の中で、徐々に「(象徴天皇の)重い務めを果たすことが困難」となってきた。

 象徴天皇の務めなど果たさなくていい、御存在自体がありがたい、という人も大勢いることだろう。

 しかし、今上陛下は、「私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。」と仰り、摂政を置くことについては、「この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。」と仰る。

 おそらく、「国民統合の象徴」が「国民に対する理解」が浅いなどあり得ないということであろう。象徴天皇の地位にある以上、自ら国民の前に立ち、国民に対する理解を深めていかなければならないということではないか。

 それにしても、「象徴天皇に摂政なし」みたいにも思えてしまうのだが、どうなのだろう。仮に摂政を置く要件が満たされたとしても、「摂政を置くよりも譲位すべし」ということにならないか。大正天皇の摂政を務めた昭和天皇が、自身が病床に伏したときには摂政を置かなかったのは気になるところである(国事行為臨時代行を置いた。皇太子(現在の今上陛下)がこれを務めた。)。

 今上陛下は、「天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。」と仰る。

 これは、日本国憲法の象徴天皇に特徴的なものではなく、大日本帝国憲法の元首でも、社会に対する影響にしても代替わりの行事にしても、基本的に同じだと思われる。

 しかし、明治時代と現代とを比べると、GHQ占領下での皇籍離脱によって、宮家の数が減ってしまっている。

 明治時代に比べて、「行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれ」やすくなっているのではないか。大日本帝国憲法の時代には譲位なしでも無理なくできた行事が、今では重大な負担になってしまうのではないか。

 こういう面からも、旧宮家の皇籍復帰が求められるのではないかと思う。

 

 譲位の制度化には重大な弊害があることが指摘されており(竹田恒泰「なぜ明治以降に「譲位」がなかったのか」(正論2016年9月号、産経新聞社)74~76ページ)、原則は終身天皇であるとしても、譲位を可能とする例外が求められるということなのだろう。

 安倍政権は特措法という例外措置を検討する。妥当な判断であろう。

 とはいうものの、譲位には釈然としないものがある。

 官僚や政治家が、安易に今上陛下の負担を増やしてきたのではないか。

 今上陛下の体調への配慮のなさが、いわば「過労退位」に追い込んだという側面があるのではないか。

 譲位そのものには賛成するとしても、譲位に到る経緯に反省すべきところがあるのではないか。

 

 安倍政権には、今上陛下の御意向に沿う法整備を望むところである。

 天皇弥栄