【解散総選挙】闘う政治家、安倍晋三【大義】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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安倍晋三「美しい国へ」(文藝春秋、平成18年)3~5ページ

「はじめに ー 「闘う政治家」「闘わない政治家」

 わたしは政治家として十四年目を迎える。この間、素晴らしい仲間にめぐり合ったし、尊敬する先輩の指導を受けることもできた。
 政治家の中には、あまり政策に興味を抱かない人がいる一方、特定の政策については細部までつき詰める人たちもいる。政局になると力を発揮する人もいるし、そうしたことには一切興味を示さない人たちもいる。かつて自民党に「官僚派」と「党人派」という区分けがあったが、現在は「政局派」と「政策派」という分け方ができるかもしれない。その意味では、若手議員のほとんどは、かつてと比べて政策中心にものを考える傾向が強くなっているのではないだろうか。
 時代は変わったが、わたしは政治家を見るとき、こんな見方をしている。それは「闘う政治家」と「闘わない政治家」である。
 「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れずに行動する政治家のことである。「闘わない政治家」とは、「あなたのいうことは正しい」と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。
 わたしが拉致問題について声をあげたとき、「右翼反動」というレッテルが貼られるのを恐れてか、運動に参加したのは、ほんの僅かな議員たちだけであった。事実、その後、わたしたちはマスコミの中傷の渦のなかに身をおかざるをえなかった。「応援しているよ」という議員はたくさんいたが、いっしょに行動する議員は少なかった。「闘う政治家」の数が少ないのは、残念ながら、いつの時代も同じだ。
 一九三九年、ヒトラーとの宥和を進めるチェンバレン首相に対し、野党を代表して質問に立ったアーサー・グリーンウッド議員は、首相の答弁にたじろぐことがあった。このとき、与党の保守党席から「アーサー、スピーク・フォー・イングランド(英国のために語れ)」と声が飛んだ。グリーンウッドは、その声に勇気づけられて、対独開戦を政府に迫る歴史的な演説を行ったという。
 初当選して以来、わたしは、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。それは闇雲に闘うことではない。「スピーク・フォー・ジャパン」という国民の声に耳を澄ますことなのである。」

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 平成24年、安倍晋三衆議院議員は、奇跡のように自由民主党総裁選に勝ち、衆議院議員総選挙に勝ち、第二次安倍政権を発足させた。
 総裁選に負けたら政治生命は終わる。周囲のほとんどが総裁選立候補に反対した。
 しかし、安倍議員は立った。
 進まない復興、低迷する日本経済、そして、牙を剥く近隣諸国。
 立候補に適した機が熟するのを待っていられなかった。
 そして、安倍議員は、内閣総理大臣を務めた者としては史上初めて、二度目の自民党総裁を務めることになった(安倍晋三「新しい国へ 美しい国へ完全版」(文藝春秋、平成25年)4ページ)。
 安倍晋三は、闘う政治家だった。

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 平成25年10月1日、安倍総理は平成26年4月1日からの消費税増税を行うと表明した(http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/1001kaiken.html)。
 もともと安倍総理は消費税増税に慎重な立場だった。
 安倍総理は、平成9年に行われた消費税増税を問題視し、増税が税収増になるとは限らないという理解を示している。
 より重要なのは、名目GDPを増やす経済成長なのだ(同上236,240,241ページ、http://www.youtube.com/watch?v=2prqmI_r6rQ)。
 しかし、民主党・自民党・公明党の三党合意によって成立した消費税を増税する法律の持つ意味は重く、法定通り増税した。

 平成26年11月17日、驚くべき経済指標が出た。
 2四半期連続のマイナス成長。年率換算で実質GDPが1.6%のマイナス(http://www.sankei.com/economy/news/141117/ecn1411170006-n1.html)。
 リセッションである。
 アベノミクス三本の矢によってデフレーションからの脱却を続けていた日本経済は、消費税増税によって無惨なまでに腰折れした。

 来年10月の消費税再増税をどうするか。
 安倍政権の経済失政を望む野党は無責任に再増税を煽る(http://ameblo.jp/bj24649/entry-11941955884.html)。
 自民党内でも野田毅衆議院議員など、有力政治家が再増税断行を主張する(http://www.sankei.com/economy/news/141024/ecn1410240014-n1.html)。
 財務省は消費税増税を進めるよう政界工作をする(http://www.sankei.com/economy/news/141117/ecn1411170042-n1.html)。
 そもそも、三党合意そのものが、財務省の政界工作の結果だと言ってよい(倉山満「増税と政局・暗闘50年史」(イースト・プレス、2014年)23ページ)。

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 安倍総理は、11月18日、記者会見において消費税再増税を一年半先送りすると表明した(http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/1118kaiken.html)。
 「代表なくして課税なし」
 安倍総理は解散総選挙の大義についてこう言ったが、私はこの言葉に違和感を覚えた。
 この言葉は、外国人参政権を推進する左翼勢力が好んで使う言葉である(上杉隆「この国の「問題点」」(大和書房、2011年)123ページ)。
 外国人参政権に反対する保守派から、自己の政治信条を語る時に聞いた覚えがない。
 そして、安倍総理は外国人参政権に反対する立場である(http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3731.html)。
 どういう意図なのか。

 平成21年の衆議院議員総選挙で、鳩山由紀夫衆議院議員が率いる民主党が政権交代を果たした。
 民主党は、この選挙で消費税率は4年間引き上げないこととしていた(http://urx2.nu/eOQZ)。
 にもかかわらず、民主党は民意を問い直すことなく消費税増税を推進した。
 また、自民党(当時は谷垣禎一総裁体制)も公明党も、民意を問い直す解散をせずに、これに協力してしまった。
 財務省が関与したことは上記の通りだ。

 「代表なくして課税なし」。
 これは、民意を問うことなく、日本経済を沈めてしまうデフレ不況下での消費税増税強行を進めた民主党に対する非難のみならず、政界工作をする財務省に対する非難でもあり、そして、谷垣禎一幹事長をはじめとする自民党や公明党をも非難する言葉だと解される。
 自党を含めた政界も官界も敵に回す発言であり、闘う覚悟がなければ言えないものだと思う。

 11月21日、安倍総理は衆議院を解散した(http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/1121kaiken.html)。
 総選挙に向けて各党代表がメディアに出演し、国民に自党の理念や政策を訴える。
 11月30日、フジテレビ系の「報道2001」において、安倍総理は驚くべき発言をした。
 安倍総理は、キャスターに衆議院解散の理由を問われ、「財務省が『善意』ではあるが、すごい勢いで(消費再増税にむけて)対処しているから党内全体がその雰囲気だった」と明かし、その「勢い」を転換することが必要だったと述べたのである(http://biz-journal.jp/2014/12/post_7528.htmlhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/41274)。
 安倍総理は、財務省が政界工作をし、国会議員たちが籠絡されていることを地上波で明らかにしたhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/41199)。
 財務省および財務省に従った国会議員を相手にして闘う姿勢だ。

 12月1日、記者クラブにおいて党首討論が行われた。
 毎日新聞の倉重篤郎記者が、明らかにネガティブ・キャンペーンの意図をもって、安倍総理に対して上から目線でグダグダと質問をした。
 これに対し、安倍総理は「椿事件」を挙げて切り返した(http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5657.htmlhttp://urx2.nu/eP5Shttp://youtu.be/SEW_ZRtUhRA?t=9m56s)。
 国民に知られたくない反日マスメディアの過去の悪行に触れられ、倉重記者は狼狽した。
 そもそも、自民党がテレビ局に公平性を求めることになった発端は、毎日新聞と関係が深いTBSではないのか(http://ameblo.jp/bj24649/entry-11567342840.html)。倉重記者には盗人猛々しさすら感じる。
 なお、朝日新聞の星浩記者がおとなしく、毎日新聞よりはわきまえがあるという意見をネットで見かけたが、星記者は先の総選挙にあたって安倍総理に質問して、手痛いしっぺ返しを喰らっている(http://youtu.be/t9seTHjQPAk?t=2m21s)。
 安倍総理は、第四の権力とも言われるマスメディアに対しても闘う姿勢だ。

 政治家、官僚、マスメディア。
 戦後レジームそのものと言える。
 安倍総理は、この巨大な相手を敵にして闘っている。
 安倍総理以外に、闘える総理候補はいない。
 安倍総理が負ければ、これらによって日本は食い潰され、そして沈む。
 安倍総理の政治生命と、日本の命運とが一体化している感すらある。

 ところで、マスメディアでは解散の「大義」という言葉が頻繁に使われる。
 なんとなく使っているのだろう。
 しかし私には、三島由紀夫が、民主政治における大義について述べたことが思い起こされる。


「三島由紀夫さんの貴重なインタビュー映像です。」 YouTube2013年11月17日
http://youtu.be/rTCiR7p_MCE?t=3m38s


3分38秒~
「現代の死とは

 リルケが書いておりますが、現代人というものはもうドラマティックな死ができなくなってしまった。
 病院の一室で一つの細胞の中のはちが死ぬように死んでいく、というようなことをどこかに書いていたように記憶していますが。
 現代の死は病気にしろあるいは交通事故にしろ、何らのドラマがない。
 英雄的な死というものもない時代に我々は生きております。
 それにつけて思い出しますのは、18世紀ゴロに書かれた「葉隠」という本で、武士道とは死ぬことと見つけたりということで有名になった本ですが、この時代も今と似ていた。
 もう戦国の夢は覚めて、武士は普段から武道の鍛錬をいたいますが、なかなか生なかなことでは戦場の華々しい死なんていうのはなくなってしまった。
 その中で汚職もあれば社用族もあり、今で言えばアイビー族みたいのも侍の間に出てきた時代でした。
 その中で葉隠の著者は、いつでもその、武士というものは一か八かの選択の時には死ぬ方を先に選ばなければいけないということを口を酸っぱくして説きましたけれども、著者自身は長生きして畳の上で死ぬのであります。
 そういうふうに武士でもあっても、結局死ぬチャンスがつかめないで、死ということを心の中に描きながら生きていった。
 それを考えますと、今の青年には、それはスリルを求めることもありましょう。
 あるいは、いつ死ぬかという恐怖もないではないでしょうが、死が生の前提になっているという緊張した状態にはない。
 そういうことで、仕事をやっていますときに、なんか、生の倦怠と言いますか、ただ人間が自分のために生きようということだけには、卑しいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。
 それで、人間の生命というのは不思議なもので、自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬっていうほど、人間は強くないんです。
 というのは、人間は、なんか、理想なり何かのためということを考えているので、生きるのも、自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。
 すると、死ぬのも何かのためということが必ず出てくる。
 それが昔いわれた大義というものです。
 そして大義のために死ぬということが、人間の最も華々しい、あるいは英雄的な立派な死に方だというふうに考えられている。
 しかし、今は大義がない。
 これは民主主義の政治形態っていうものは大義なんていうものは要らない政治形態ですから当然なんですが、それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ、生きていることすら無意味になるというような心理状態がないわけではない。」


 三島を持ち出して安倍総理を美化するというのも気が引けるところではある。
 しかし、安倍総理が自己の政治生命を延ばすだけならば、戦後レジームと闘わなくてもよいはずだ。
 「スピーク・フォー・ジャパン」。
 安倍総理は、国家国民のために、自分を超える価値のために、政治生命を懸けて闘う。
 私にはそう見える。

 民主政治に大義は要らない。
 しかし、我々は今、戦後はじめて、大義のある民主政治を目の前にしているのではないか。
 我々は、戦後レジームに屈して日本を沈めてはいけないと、覚悟をもって解散総選挙を決断した安倍総理を支持するべきなのではないか。

 今回の総選挙では次世代の党から立候補しているが、田母神俊雄閣下(https://www.youtube.com/watch?v=upkykwKFgzQ)の私的な離任式において、安倍総理が三島について触れている。


「【田母神俊雄】タモちゃんの「お礼の夕べ」&携帯ストラッププレゼント[桜H21/11/23]」 YouTube2009年11月24日
http://youtu.be/BVracyMgLhU?t=5m47s


5分47秒~
「この会場に来る途中、もう既に11月の5日でございますが、今から39年前の11月25日、三島由紀夫が、あの市ヶ谷に行って、そしてバルコニーから演説をしましたね。
 もしあの時に三島さんの演説を田母神さんが聞いていたらどうだったんだ。こんなことを想像しながら、やってきたわけでございます。
 あの時、三島由紀夫の、辞世の句を残しておりますが、「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに 耐えて久しき今日の初霜」、この歌を詠んでいます。この辞世の句についてですね、三島由紀夫にしては少し、文学的にどうかというような批判もありましたが、辞世の句としては私はすばらしいなと、こう思っています。
 そういう意味においてはですね、田母神さんもやはり、たばさむ太刀の鞘鳴りに耐えて久しきというお気持ちだったのではないかなぁと、こう思うわけであります。
 私は今やまさに、田母神さんの主張は、やっぱり、正しいんじゃないか、こんな雰囲気がだんだん出てきたのも、私は事実ではないかなぁ、こう思うわけであります。」

※ 三島の辞世の歌は正しくは、「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐へて今日の初霜」。
 辞世の歌のもう1つは、「散るをいとふ世にも人にもさきがけて 散るこそ花と吹く小夜嵐」。


 安倍総理は、「田母神さんもやはり、たばさむ太刀の鞘鳴りに耐えて久しきというお気持ちだったのではないかなぁ」と言う。
 安倍総理自身も、今回の解「散」総選挙までこういう気持ちだったのではないかなぁと思う。
 安倍総理は、闘う政治家であり、益荒男である。

 安倍総理は、「美しい国へ」で、「『大義』と『国益』」について述べている(134,135ページ)。
 小泉政権での自衛隊イラク派遣を題材にしている。
 今回の解散総選挙とはあまり関係ない気もするが、一応紹介する。


「『大義』と『国益』
 二〇〇三年十一月の特別国会の予算委員会で、日本政府がイラクに自衛隊を派遣するにあたって、私は、小泉総理にこう質問した。
「イラクが危険な状況にあるかないかはまずおいて、最高司令官である総理は、国民と自衛官、そしてそのご家族に、この派遣は、日本という国家にとってどんな重要な意義があるのか、つまり『大義』をしっかりと説明する必要があるのではないか」
 というのも、このとき、ともすると多くの国民に、日本はアメリカにいわれて、いやいやながら自衛隊を派遣するのではないか、と思われていたからだ。
 では、自衛隊派遣の大義とは、なんだったのか。
 第一に、国際社会が、イラク人のイラク人によるイラク人のための、自由で民主的な国をつくろうと努力しているとき、その国際社会の一員である日本が貢献するのは当然のことであり、それは先進国としての責任である。イラクが危険な状況にあるかないかが問題だ、という人がいるが、自衛隊は、戦闘にいくのではない。給水やインフラ整備などの人道・復興支援にいくのである。治安が悪化しているのだったらなおのこと、日ごろから訓練をつんでいる自衛隊にこそ可能なのではないか。
 第二に、日本は、エネルギー資源である原油の八五パーセントを中東地域にたよっている。しかもイラクの原油の埋蔵量は、サウジアラビアについで世界第二位。この地域の平和と安定を回復するということは、まさに日本の国益にかなうことなのである。
 二〇〇三年十二月九日、小泉総理は、イラク復興支援特別措置法にもとづいて自衛隊派遣の基本計画を閣議決定した。そして派遣の理由を、テレビカメラをとおして、直接国民に語りかけた。
 自衛隊派遣は、けっしてアメリカの要請に諾々としたがったのではなく、日本独自の選択であり、内閣総理大臣自ら発した命令であることを印象づけることになった。」


 国家国民の利益を守るために重い決断をする。
 そこに大義を見出せる。

 戦後レジームからの脱却。
 日本を、取り戻す。
 そのためにも、景気回復、この道しかない。

 闘う政治家、安倍晋三。
 今回の総選挙、私は信じて託したく思う。