実体験を交えたお話をしましょう。

 

発達障害とひとくちに言ってもADHD(注意・欠如多動症)やASD(自閉スペクトラム症)といった有名どころから、LD(学習障害)、

また、ASDはアスペルガーを含んだ分類の名称でありアスペルガーそのものではありません。

チックやトゥレットという、音声や運動面での機能障害も発達障害の一部とされてもいます。

さらには、ADHDかASDか、というどちらか片方だけということもなく併発も普通にあります。そのうえ、境界知能(IQが一定以下の数値)も合わさっている場合があります。

「度合い」事態も"人による"もので、「発達障害とはこういうものだ」とひとくくりにしてはいけない。それは先入観と偏見(色眼鏡)の原因になります。

軽度のグレーもいれば、重度の介護が必要な人もいますし、苦しいけど血の滲むような努力をもって働けている人もいます(が、過剰適応である場合が多いです)。

 

 

 

 

発達障害を持つ人の中には自他境界(バウンダリー)の問題を抱える人も少なくなく、定型発達との溝は大きく、しかし発達障碍者同士でもトラブルが絶えません。

発達障害側も定型発達側も「え?それが当たり前だし常識でしょう」と思い込んでいるので、すり合わせなどの話し合いでもしなければお互いに嫌な思いをして終わるだけになってしまいます。

そういったものを防ぐには、他の誰かがその当事者たちに教えてあげなければならない、のですがそこまでしてやろうと思う人間もまずいない。

発達障害側でも、年齢や経験を重ねていった人もいますし、そういうパターンの人は若い発達障碍者よりは上手くやれるでしょう。

しかし、彼らがその若者を助けるかどうかは別の話です。

所謂定型発達よりも「失敗することでしか学べない、やらかしてみなければわからない」という非効率的なやりかたをしなければならない場合のほうがずっと多い、彼らはすごく不器用です。それゆえにたくさんたくさん傷つくことを繰り返します。

わからない、気づけないから苦しい、死にたいと思う。そういう人のために、このブログの存在があります。

 

 

 

 

発達障碍者は、その特性や気質故に「人生における学びを得にくい」特徴があります。

避けられる、いじめられる、失敗してそれ以上は怯える、親からひどい扱いを受けるなどして、社会や他人への心を閉ざして悪化することもざらにあります。そうなってしまうと、そこから先への学びにトライすることを辞めるか、自死を選ぶようになってしまうかするんです。

"そうではない人たち"の声を聴いていると、「なんだか気持ち悪い」「イライラする」「不気味」「(なぜそういうことをするのか)意味がわからない」という感想をよく目にします。

そうかもしれません。人間は自分にとって理解できないものを気持ち悪いと嫌悪するものです。ただ感想を述べるだけなら誰でもできる簡単なことです。

では、そこから理解したり、わかってあげようと行動に移すことは?

 

 

個人的には「なぜ早期にその子の苦痛に寄り添い診断を受けさせないのか」「なぜ自分を発達障碍者だと認めず苦しいままであろうとするのか(プライドを捨てろ)」と強く思います。

早めに、素直に医療機関やお薬等の"頼っていい頼れるもの"を選んでおけば、ここまで悪化することは回避できたかもしれない。

あるいは、自分の感情に蓋をして生きて自分のこころに嘘をつき続けた結果自分がどうなっているかを全く自覚できなくなってしまっている。

そういう人を誰が助けてくれるのでしょうか。ただ避けたり嫌悪して遠巻きに見てスルーするだけですか?

 

 

 

 

発達障害だからと言って「必ずしもそうである」わけではありません。精神病を持っているから必ず病棟に入院するのか、と言うのと同じです。うまくカムフラージュできている人もいますが、それをして平気なわけがない、苦痛と努力がそこにあります。

親や周囲の人間であれ当事者本人であれ「障害や精神疾患を認めない」姿勢であるのは、百害あって一利なしです。

検査を受けに行って何もなかったならそれに越したことは無い、あったなら沿った対処ができるようになる。なぜ医療や薬を頼らない?それは根拠のない思い込みではないでしょうか?

 

なお、発達障害は実年齢よりも精神が幼い傾向にあり、過度なストレスがかかるなどして罹患した精神病等は完治は無く寛解であることがほとんどです。

そして、そういうものは病気になった年数の何倍も治療に時間がかかります。重ねて言いますが「発達障害は二次障害をとても引き起こしやすい」です。

自己肯定感の低さや孤独感、不安感も周囲からの影響である部分が大きく、その結果うつ病や双極性障害等になる可能性が非常に高いです。

なぜ周りの人が守ってあげないのでしょう?

 

 

最後にひとつ。

 

出来の悪い子なのではない。適切な援助や対応、愛を受けられなかったから今こうなってしまっているのかもしれないと考えてみましょう。

自分のせいだから、この程度で傷ついている自分は弱い価値が無い、という考え方を一度疑ってみましょう。