愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎

小宮 正安
愉悦の蒐集ヴンダーカンマーの謎 (集英社新書 ビジュアル版 5V)
集英社新書のヴィジュアル版。ドイツ語で不思議の部屋を表すというこのヴンダーカンマーってヤツは全く知らなかったのだが、美術品というか装飾品というか、とにかくケッタイなモノを集めた部屋だそうで、中世ヨーロッパの好事家たちが熱中したものらしい。たしかに、これはビジュアル版じゃないと説明しにくいものなのであるが、秘宝館というより、珍宝館といった趣ではある。とはいえ、当時の人たちはテーマを持って、蒐集に励んだ訳で、地球の構造も人体の構造も解明されていなかった時代にあっては、それはあくまでも学術的要素を孕んだものであったらしい。なるほど博物学とか民俗学の嚆矢をここにみることは可能だし、天文学や医学、生物学などの発展にも寄与したのだろう。大航海以前の時代には、こうして想像力で宇宙を表現する文化というもの確立されていた訳だが、その美学はアバンギャルドとして現代に通じるのだから面白いものである。仮想世界を現実化するという意味では、アニメとかフィギアを蒐集しているのも現代のヴンダーカンマーの様なものなのかもしれない。百年後にはドラえもんが実用化するという説もあるが、ロボコンみたいのと家で普通に生活するとい時代は、そう遠くはないのではなかろうか。まあ私が生きている内は無理だろうけど。
★★
その言葉、異議あり!

マイク・モラスキー
その言葉、異議あり!―笑える日米文化批評集 (中公新書ラクレ 260)
日本のジャズ喫茶についてのの論文でサントリー学芸賞もとっている人だそうから、このくらいのものを日本語で書くのはお茶の子サイサイなのかもしらんが、これが「笑える日米文化批評集」かどうかとなると、ちょっとこれはという感じではある。この人が「変なガイジン」と言われる所以は、国内外から、日本の醜悪の根源という意見の一致をみる日本のオヤジ系に、進んで同化せんとしようとするところにあるのではないかとも思った。たしかに、幾ら英語圏白人といっても、団塊バツイチ、ハゲマスでは、ガイジンアドバンテージはそれほど無いだろう。その上、「センセイ」も返上するとなると、何の存在意義があるのかということにもなってしまうのだが、それこそがこの人の望む、哀愁に満ちた日本のオヤジの姿なのかもしれない。とはいえ、アメリカ人というインセンティブは、「祖国」を弁護する必要もなく、日本に対して「道徳的優位」を証明する必要もない。こういう立場の人は書く方もそうだろうが、読む方も精神的に楽である。外国人差別も、外来語批判も自虐ネタに聞こえる。「外タレ」の意味を取り違えているのもご愛嬌だが、「ジョーク」は止めてくれ、ラクレから要望があったのかも知らんが、クソ面白くないジョークを披露するのは万死に値する。どうもアメリカ人のこの病気にだけは付き合いきれない。居酒屋でもっとオヤジギャグを研究してくれ。
★
もう日本を気にしなくなった韓国人

伊東 順子
もう日本を気にしなくなった韓国人 (新書y 179)
前の新書からもう6年も経ったのか。別に転向したという訳ではないのだろうが、著者にとってこの年月は大きかった様だ。韓国人がワールドカップを契機にナショナリズムという病から解放されたとしているのだが、その病の絶頂であったワールドカップで、韓国のナショナリズムという病を発見してしまった日本に「嫌韓」の嚆矢が生じたのも皮肉な話である。そこから両国のベクトルが反対方向に向かっているというのは、韓国で生活している著者の実感としてあるのかもしれないが、日本で生活していない分、日本の情報を2ちゃんなどのインターネットに中に求めてしまっていて、ミイラ取りがミイラになってしまった感もある。日本中が嫌韓で溢れかえっているなら、ニューカマーのコリアン・タウンが出現することもないだろう。とはいえ、この本は当たりである。まるで黒田勝弘に挑戦するかのようなタイトルだが、黒田に対しての敬意も表しており、先の毎日記者の「脱日説」と合わせて、韓国人の対日観が一枚岩でなくなってきたということだけは確かなようだ。同時に、著者の様な立場をとる者も、韓国に滞在して「嫌韓」を発信する日本人もいる訳で、日本人も自由に韓国に向き合うことができる時代になったということは進歩なのだと思う。それにしても、新書という限られた紙幅で、この中身の充実ぶりはスゴイ。宗教について、深く触れていない理由まで書いてあるのだが、これはアフガン人質事件の最中であったこととも関係している様だ。「ナショナリズムという病」の説明としては、ほぼ完璧であると思うのだが、ナショナリズムの正悪二元論を超越した「ナショナリズムという愉しみ」というものも理解する必要はあると思う。
★★★
嫌われた日本

高島 秀之
嫌われた日本―戦時ジャーナリズムの検証 (創成社新書)
国際派ながら、かなーり地味な創成社新書。中々お目にかかれないのだが、こんな本を見つけた。『フォーチュン』の日本関係の記事を読み直して、戦中、戦後のアメリカの目に映った日本を紹介するというもので、著者は元NHKの人。なんでも寺島実郎が物産に勤務していた時に米国で知り合い、その後の寺島の『フォーチュン』に関する著作に誘発されたとのこと。寺島については、ちょっとアレだし、その本は読んでいないのだが、これが二番煎じだとしても、結構面白く読めた。著者は米兵にDDTを振りかけられた世代だそうだが、この前の日系人ものを書いた元ロサンゼルス特派員に続き、NHKの人は結構、ペンの方に向いている人が多いのかもしれん。そういえば『大仏破壊』の人の新作も気に掛かるし、新シル本も若手Dが結構イイ事書いていたことも思い出した。さすがにアナ系の本までは手を出さないけど。で、本題に戻すと、著者が焦点にしようとしていたのは、『フォーチュン』をはじめとするタイム社系列の報道がアメリカの対日政策、占領政策にどう影響を与えたかという点。その親玉だったルースについては、中国生まれでガチガチの親中反共で知られているのだが、宋美齢工作や南京大虐殺報道でも名前が出てくる人なので、当然ながら日本嫌いは徹底していたらしい。ドラッガーがここの記者だったということは知らなかったが、戦後ドラッガーが日本を評価しはじめると、ルースは顔をしかめたのだとか。その他にガルブレイスなども記者として関わっていたそうだ。ついでにマコ・イワマツと伊佐千尋の父親が同じ人だったというのも初耳だった。マコは亡くなったと聞いたが、伊佐千尋は今何をしているのだろう。そんなこんなで色々と興味深いのではあるが、有名な『汝の敵日本を知れ』とか、『菊と刀』といった政府筋のマスメディア以上に、世論喚起という点からも『フォーチュン』は米国の対日政策に影響を与えたことは確かではあろう。GHQの占領政策が素人同然の若手が手探りで遂行したということは指摘されている通りなのだが、それがイラク占領の決断に関係していたとなると、やはり複雑である。子ブッシュは懲りずに、まだ日本の民主化云々とか言ってるそうだが、こうした押し付けがましいものは、はっきり拒絶せんといかんのではなかろうか。
★★★
越境の時 一九六〇年代と在日

鈴木 道彦
越境の時―一九六〇年代と在日 (集英社新書 (0387))
出版不況の中、団塊市場は無視できない貴重な需要層なのか、この手の「思い出もの」が多く出ている。上野千鶴子に強く要請されて、長年の沈黙を破って、このテーマで書いたプルーストの翻訳で知られる著者はその系譜に当たらないのかもしれないが、かなり「時代の精神」を感じさせるものであることには変わりはない。現代の感覚で読むと「党派性」が前面に出ていることが気になるが、当時の「知識人」としてはそれが普通であっただろう。「新日本文学会」にも所属していたそうだが、著者は「同志」として登場する中嶋嶺雄や佐藤勝巳の様に「転向」という道を辿らず、「沈黙」の道を辿った。そこに著者の「思考」の限界を覗うことは可能なのだが、アルジェリア独立戦争、サルトル、そしてジャン・ジュネにインスパイヤされたことを著者が語ってる通り、その動機はあくまでも他動的なものであったと言えよう。日本をフランス、アルジェリアを朝鮮、サルトルを自分、ジュネを李珍宇に重ね合わせたのだが、結局、その方法論も「国家」と「民族」の関係性という不毛な議論の中に収斂していく。李にしても、金嬉老にしても、「民族」を以って、「国家」が免罪すべき「犯罪」だったのだろうかという疑問は残るが、著者の様な「知識人」にとって、読書家でIQが高い、民族差別を声高に訴える、或いは極貧の生活をしているといった背景は、加害者を被害者とするに十分な条件なのだろう。金嬉老が出獄後、韓国でどうなったかについて言及しないのも不自然ではある。李珍宇にコミットしたのが、その死後であることは仕方ないが、回答を「民族」に求め、「越境」に失敗した李珍宇の世界の反省が、金嬉老事件の迷走に繋がったという感はある。この辺は戦後日本の「知識人」を体現したものでもあろう。お約束の「美しい国」批判は結構なのだが、「拉致」を「強制連行」で打ち消す言説には反論しておきたい。問題になっているのは「拉致」という行為そのものというより、北朝鮮が現在「拉致」されている被害者の存在を抹消している行為である。断罪しているのは「過去」ではなく現在の行為なのだ。著者の様に差別の原風景を知っている人間とは違い、現代を生きる人たちは「過去」は幻想で作り上げるしか外ない。読書という行為を「至高」の「思考」とする文化はかつて存在したのだろうし、現在でもそうした目的意識を持った読書をしている人はいるだろう。しかし、私を含めた読書など単なる「嗜好」にしか過ぎない人間にとって、読書で「幻想」を作り上げるには「現実」が大きな障害となる。
★★
ケネディー「神話」と実像

土田 宏
ケネディ―「神話」と実像 (中公新書 (1920))
この時期にケネディというのも、大統領選を意識したものなのだろうか。本も腐るほどあるは、映画もあるわのアメリカの皇族とも言われている家だから、あらかた語りつくされてるのかとも思うのだが、その多くが「神話」であるということは、この本に書いてあることが「実像」かというところは別にして、その通りなのだろう。著者は中学生の時にケネディ暗殺があって、それ以来真相追究をライフワークとしている人らしい。当時の中学生の間で、そうした「推理」が流行っていたのかどうか分からぬが、アメリカ留学を経て、大学教員をしながら、ケネディ本を何冊も出し続け、遂に真犯人を特定するに至ったそうだ。その真犯人も実名で登場するのだけど、その詳細については既出の本で明らかにしてるとのこと。この説は全く知らなかったのだが、世紀を揺るがすスクープとなった気配はないから、「ディープ・スロート」に教えてもらったのではなく、あくまで著者の推理から導き出されたものみたい。しかし、実在の人物を名指しして訴えられたりせんかったのかな。まあ、よく言うマフィア以外に、フーバーとか、ジョンソンとか、フルシチョフ説もあるんだから、真犯人の疑いをかけられるのも、名誉みたいなところがあるのかもしれん。今までの評伝と、ちょっと変わってる点はJFKの病気にかなりの比重を置いている点。ヤク中だったという話は聞いたことがあったが、若い頃から入退院と手術を繰り返した結果、投薬の副作用で苦しんでいたらしい。安倍シンゾウと同じ病気だとは知らなかったが、安倍もJFKも、精悍なイメージがウリだっただけに、政治家というのは俳優の様なものであるということは意識させられる。こうした側面から描くのも、著者自身が病魔と闘っているということと関係があるのだろう。ということで、評伝としては大変面白かったのだが、「チリのリマ」とい記述はJFKの発言を(ママ)した訳ではないだろう。編集の白戸氏は自分に叱咤激励する必要もありそうだが。
★★★



