八幡信仰は月読尊の子孫から? | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

先日、八幡信仰の発生【2】の記事で書きました原始八幡信仰に関わる峯神の祭祀集団の巫女「うさつひめ」と氏上「うさつひこ」ですが、

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ホツマツタエ(秀真伝)で神々の系譜を見たら、

うさつ彦ーうさつ姫は父と娘で、月読尊の子孫でした。

 

九州地方の筑紫と言う地名も「つくよみ」が治めていた地域だったことから…という説も聞いた事があります。

 

もし、その宇佐国を構成していた宇佐津彦、宇佐津姫らが月読尊の子孫だとしたら、原始八幡信仰の祖神は月読尊と考えてもいいのかもしれません。(確かめようがないくらい大昔の話ですが)

 

宇佐国に渡来した巫女の祀る新羅国神・北辰神の道教と峯神を祀る土着信仰と混ざりあいながら八幡(やはた)神と呼ばれるようになったといいますから、

月読尊は記紀では出番が少なくて主祭神となる月読神社も他の天照大御神や素戔嗚尊を主祭神とする神社に比べて圧倒的に少ないと思っていたけど、実は月読尊が根本となった神社の方が一番多かったのかもしれません。