今日のこの日は生日の足日、神の御かげの満ち足る日
きょうのこのひはいくひのたるひ、かみのみかげのみちたるひ
神の恵みの満ち足りて、生き生きと生きて輝く日柄。
元気いっぱいつとめましょう。
今日という日は二度と巡って来ないのです。
暗い思い、寂しい思いは、
朝の拝神の拍手(かしわで)の音に打ち消しましょう。
清々(すがすが)しい気持ち、朗(ほが)らかな思いで、
楽しく倖せに過ごすことが神様の思し召しです。
昨日は地元の氏神様にもお参りして、おみくじを引いて来たのですが、大吉が出たので結ばずに持ち帰ってまいりました。
上の文は、そこに書かれていた神の教えです。
神道では、暗い思い、寂しい思いには、
朝の拝神でパンパンっ!と拍手の音を立てて打ち消しましょうとのことで、とても実行しやすかったです。
この方法だと、お金も時間もかかりません。自分を責める事もありません。
ちなみに拍手(かしわで)ですが、
上代において、柏の葉っぱに食べ物を盛りつけ、柏の葉っぱが食器代わりだったことから、そうした食膳調理をすること、それに従事する者を「かしはで」と称しまして、その饗膳に手を打つ習慣があり、饗宴で盛り上がった時に手を打ち喜び合った事から、拍手を「かしわで」と読むようになったと推測されます。
上代には敬意を表し歓喜の情を示す場合に拍手する礼儀がありました。
ゆえに、神前で柏手を打つ作法ができたのでしょう。
江戸時代の国学者・本居宣長は、拍手の本義とは歓喜のあまりに自然に発生するものであるから、いかにも音高く大きく拍手することこそ本意にはあっていると述べているそうです。
打つ回数は、明治初年の定め以来、一般的に2拍手ですが、
神宮では8拍手だとか。
長拍手とも言い、4度打つことを2回繰り返し、計八回。
その後に1回打ってこの作法を結ぶ。
この4度を基本として、3度、2度、1度の打ち方があります。
神葬祭ではあまり大きな音をたてないので「忍手」というそうです。