教派神道【2】教派神道十三派の類型化
以前、記事にしましたが、当時、手元にあった神社検定2級用テキストでは詳しく載ってなかった教派神道について、1級用テキストではもう少し詳しい事がわかりましたので、教派神道シリーズとして投稿していきたいと思います。
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教派神道と神社神道
近代の神道史の中で「教派神道」が論じられる場合は、「神社神道」との対比で言及されることが多い。
「教派神道」という語は「神道」を細かく分ける場合、その下位概念の一つとして用いられる。
明治政府の宗教改革は紆余曲折を経て
(その辺の事情は当ブログのテーマ『幕末~昭和時代まで』の幕末から読んでいただけるとあらすじがお分かりいただけると存じます)
「国家の祭祀」であって宗教的な存在ではない「神社」と「神道教派」を区別する政府の方針が確立する。
明治15年(1882年)に皇典講究所が設立され、さらに明治17年(1884年)に教導職制度廃止によって、宗教活動としての神道布教は民間の「教派神道」の神道家に委ねられた形となった。
教派神道十三派の類型化
ここでは宗教史の展開や明治政府の宗教政策との関連を重視する観点から、
教団の形成過程と形成された組織の特徴を主な基準として分類。
幕末の民衆宗教、あるいは創唱宗教
黒住(くろずみ)教、天理教、禊(みそぎ)教、金光(こんこう)教
明治維新以前に形成されていて、組織として統一性の高いもの。
創設者の教祖性がハッキリしている。
明治政府の宗教政策の影響を受けて新たに形成された教団
神道大(たい)教(神道本局)、神道修成派、神道大成教、神習(しんしゅう)教、神理教
江戸時代にあった講を基盤にしている教団
出雲大社(いずもおおやしろ)教、御嶽(おんたけ)教、扶桑(ふそう)教、実行教
江戸時代には既にあった「講」という信仰集団を基盤としながら、明治政府の宗教政策に随う形で形成した教団