教派神道【3】黒住教

教祖は黒住宗忠(くろずみ むねただ/1780~1850年)

備前国の神社の禰宜(ねぎ)の三男として生まれた。

文化11年(1814年)の「天命直授(てんめいじきじゅ)」と呼ばれる宗教体験を経て、翌年から宗教活動を始めた。

一説には幕末に10万人ほどの信者を擁したという。

維新後、神道事務局に所属するも明治5年(1872年)に黒住講社として公認され、

明治9年(1876年)には神道黒住派として教派神道の中では最も早く独立が認められた。

 

現代でも岡山県岡山市の神道山を霊地で本部とし活動が続いているようで公式サイトがありました。

どうやら「日拝」が特徴の一つのようで、毎朝教主を先達に日の出を迎え拝む「日拝式」が欠かさず執り行われているそうです。

これは教祖が両親を亡くし自分も病に伏して死を覚悟した1814年お正月に、日の出を拝んで復調の兆しを得て数か月で病を克服し、その後自らの誕生日であるその年の冬至の日に、東の空に昇る朝日を拝んで神人一体の境地に至り「天命直授」という悟りを得て黒住教が立教することになって、そこから「日拝」が、この教団の最も大切な祈りとされているようです。

また「人は皆、天照大神の分心をいただく神の子」という人間観もあります。

 

現代でもスピリチュアル系の人達の中で「日拝」を勧めたり「人は神の分け御霊」と言う人をブログなどで見かけますが、今になって『ああ、黒住教の考え方だったんだなぁ』と分かりました。

算命学的な面から見ると、冬至生まれで一年で最も日が短い日だと、そりゃあ日の光が命式的にも欲しい、丙・丁の火の五行が守護神の役割を担っていたのかもしれないなと思いました。私はその占い、あまり詳しくないですが。