教派神道 | 心の鏡

心の鏡

このブログは主に神道について書いています。ブログタイトルの心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

 

教派神道

 明治政府は神官の教導職としての強化活動が「国家の宗祀」の祭祀者としての本務から逸脱しているという観点から、教導職から撤退させ、神道の教えを人々に説いたり葬儀の執行を禁止し、政府は神道を他の宗教と別格にし、政治と宗教の分離を目指されたということでした。

 

しかし、これと意見を異にした人達がいました。

出雲大社宮司の千家尊福(せんげ たかとみ)は、先の祭神論争で大国主神も幽世を主宰すると日本書紀に記載があるので祀るべきと提唱した方ですから、勅裁での決着で伊勢派の勝利には従うしかなかったでしょうが、そうそう信仰が簡単に変えられるものではなかったのでしょう。

官幣大社の職を離れ、神社とは密接不可分としつつ、別に教団を組織して神道の布教を始めました。

こうした教団は、のちに「教派神道」と呼ばれました。

 

これにより、祭祀を中心とする「神社神道」と、

教化を中心とする「教派神道」との分離が生じました。

そして戦前において「神道」とは、主に宗教として位置づけられた「教派神道」をさすものになっていきました。

教派神道は、戦前にはおよそ13の教団が公認されていました。

黒住教、神道修成派、出雲大社教、扶桑教、実行教、神習教、神道大成教、御嶽教、

神道大教、禊教、神理教、金光教、天理教

の教派神道十三派です。

これら教派神道の多くの創立時期は、明治15年(1882年)以前で、

先の大教宣布運動に参加し、神道事務局に所属していましたが、

祭神論争のあと、それぞれ独自の活動を始めました。

 

創立年が一番早いのは黒住(くろずみ)教かな。この教団は現代でもYouTube動画チャンネルがあり活動しているようでしたね。私は見てないですが。

アメブロでも教派神道の神職さんらがブログで発信しているのを複数見かけます。

最初は教派神道もよく知らなかった私ですが、神田神社禰宜・岸川雅範/著の『全部わかる神社ガイド』に一覧表があって、何となく掴めてきました。

それを元に自分で表作成した画像を載せます。

 

どうも表の画像が傾いていて、すみません。

この後も、教派神道は出口なおと出口王任三郎の「大本」など、様々な分派や新しい教団を生み出していきます。

戦後は宗教法人となるのが比較的容易になったため、さらに多くの教団が生まれていきました。

しかし現在は地下鉄サリン事件なども経て、宗教法人になるのは容易とは言えないようです。

 

【ここまでの神道の歴史を見て】

私が思うに、そもそも時の政府の失策、二転三転が混乱を招いて翻弄され、宗教界も迷惑こうむってたように見えます。

それだけ宗教の制御は難しい問題なのでしょう。特に日本は。

江戸時代末期の国学者・平田篤胤の理想とした「祭政一致」を現代で実現している国も世界にはありますが、その場合、唯一神で教祖がいたり教義と戒律もしっかりあって、石油など国の資源も豊かですよね。

逆に宗教を持たない、否定する「政」だけの主義の国もありますが、

そうした場合も一党支配やら組織のトップが強く権力と権威を握り、身分差が無いという建前でありつつ、現実には絶対君主制やカルト集団のような国もあります。

しかし日本は八百万の神々。氏族によって祖神も違いましたからね。