以前の記事でも記事にしてきましたが、律令神祇制度では、官社の祝部は2月に神祇官で行われる祈年祭に遠隔地からも上京することになっていました。
しかし平安時代初期では今のように新幹線も飛行機も旅館ホテルもありませんので、
次第に遠隔地からの状況が途絶えるようになって、全国の官社を受け入れる神祇官の負担も重く、桓武天皇が延暦17年(798)に全国の官社を大きく官幣社と国弊社の二つに分けて制度の立て直しを行ったのでしたね。
二十二社奉幣へと繋がっていきます。
奉幣は朝廷から神社にお使いが派遣され、幣帛(へいはく)を直接奉るものです。
幣帛を持参するお使いを奉幣使(ほうべいし)といい、
天皇の願意を現した宣命(せんみょう)を奏上しました。
宣命に用いられる料紙には定まった色があり、
神宮は縹色(はなだいろ)
賀茂社は紅色(くれないいろ)
その他の神社は黄色が用いられたとか。
縹色は、馴染みが無い色の名前ですが、ダルブルー=鈍い青色のことです。
それから式内社 延喜式神明帳、ここに記載された神社が「延喜式内社」「式内社」です。