神社の格式ー社格ー
神社に行くと、入口に神社名が彫られている石柱があって、
古くからある神社だと官幣大社(かんぺいたいしゃ)などの文字が
頭についていることがありますが、
これは社格(しゃかく)といって神社の格式を表しています
…つまり今風に言えばランク付けで
社格によって朝廷からの待遇が異なりました。
先日「式内社とは?」の記事で書いた平安時代の延喜式で本格的に整えられる前に、
疫病や飢饉が流行って神に祈った崇神天皇紀7年に
「天社(あまつやしろ)・国社(くにやしろ)」を定めたのが、社格の芽とも考えられます。
平安時代に定められた社格
律令制のもとで神祇(じんぎ)行政を司った役所「神祇官(じんぎかん)」で行われる祈年祭で幣帛を受ける神社を「官社」と称しました。
そのうち神祇官から幣帛を受ける官幣社(かんぺいしゃ)と、
国司から幣帛を受ける国弊社(こくへいしゃ)の2つに管轄を分けられ、
それぞれを大社・小社に区分しました。
はじめは2月の祈年祭に際し都にある神祇官に全国から上京していましたが、
次第に遠隔地からは上京が途絶えるようになり、
全国の官社を受け入れる神祇官の負担も重く、
桓武天皇が延暦17年(798年)に、都に近い畿内の神社が神祇官から幣帛を受け、
畿外の神社をその所在の国司から幣帛を受けるように制度の立て直しを図りました。
先日『式内社とは?』のタイトル記事で書きました式内社も一種の社格ですね。
式内社2861社のうち、官幣社=573社で国幣社=2288社
平安時代初期には日照りや長雨、地震などの自然災害も相次いで、朝廷は特に霊験があるとされた神社を選び幣帛を奉(たてまつ)り祈願を行いました。
その霊験あらたかな神を名神(みょうじん)と讃えたので、これを名神奉幣(みょうじんほうへい)、その祭りを名神祭といいました。
また二十二社といって朝廷から特別な崇敬をうけた京の近辺の式内社については、またの機会に。
明治時代に定められた社格
明治時代になると、新政府によって近代社格制度が整えられました。
神社は、官社と諸社(民社)に分けられ、
神祇官が祀るのが官社で、地方官が祀るのが諸社とされました。
さらに官社は官幣社、国弊社、別格官幣社と3つに分けられ、それぞれ大・中・小社がありました。
別格官幣社は官幣小社と同待遇です。
また、伊勢の神宮は最高位の神社として、この社格対象外とされました。
諸社の方は、「府社・(藩社)・県社」
「郷社(ごうしゃ)」「村社(そんしゃ)」「無格社(むかくしゃ)」に分けられました。
こちらは戦後昭和21年に廃止されましたが、歴史を重んじて令和時代の今でも残している神社がある訳ですね。