二十二社奉幣について

 

二十二社とは、国家の重大事にあたり、朝廷から格別の崇敬をうけた神社のことです。

 

前回書いたように、平安時代初期に頻繁に行われていた朝廷から名神への臨時奉幣は、

全国各地の神々に対して行われていました。

それが徐々に範囲が狭くなり、平安京近辺の神社を特定して行われるようになっていくのですが、

最初から二十二社だったわけではありません。

 

まずは醍醐天皇の昌泰元年(898年)の祈雨奉幣、

延喜2年(902年)の祈念穀奉幣をはじめとして、

伊勢、石清水、賀茂(下上)、松尾、平野、稲荷(伏見稲荷大社のこと)、春日、大原野、大神、石上、大和、広瀬、龍田、住吉、丹生(丹生川上神社)、貴布禰(貴船神社)の16社を対象に奉幣を行う事が決められました。これを「十六社奉幣」といいます。

 

やがて10世紀中ごろに起きた承平・天慶の乱を契機に国家の平安を祈願して、山城・大和2国を中心とする近国の大社に奉幣が行われて、再び数が増加しました。

 

一条天皇の正暦2年(991年)には、

吉田、北野、広田(廣田神社)の3社を加えて十九社奉幣となり、

正暦5年(994年)に梅宮社

長徳2年(996年)に祇園社(八坂神社)が加わり

二十一社への奉幣が定まりました。

 

その後、白河天皇の永保元年(1081年)に日吉社(日吉大社)を加えて

二十二社奉幣が確立しました。

 

このうち伊勢から春日までを上七社といい、(神セブン?)

大原野から住吉までを中七社

丹生から日吉までを下八社と言います。

 

常にすべての社が奉幣の対象となったわけではなく、祈願内容によって選ばれることが多くありました。

 

この頃、地方では一之宮や総社が確立していきます。