4月1日のエイプリルフールのブログ「マイクロエースが天賞堂ブラスロコを委託販売他2本」は多くの方に読まれたようで、真剣に練って資料もそれらしく作ったお話は話題を呼ぶと言うことです。
特にこいつは、プレミアムモルツから似せて作ったロゴを使いました。
画像は昭和36年ころをイメージして「特急 白鳥」です。当時神童だった美里山倶楽部の記憶がギリギリ残っている新津で見たのは青森行きの片割れ編成、直江津より西方では堂々の12両編成で大阪から走ってきていました。
ヘッドマークに白鳥の文字がりりしく輝いています。
昭和36,37年当時は、大阪から来た白鳥は直江津で「上野行」「青森行」に別れて各々6両編成で走っていました。
最長は14両編成までいったようですが、その後完全に別列車となり白鳥は単独で大阪-青森の特急列車として走るようになりました。
上野行は「はくたか」として金沢-上野を走る列車になったのです。その後に「はくたか」は長岡経由になり、金沢-長野-上野を通る特急はしばらくしてから急行「白山」を格上げした特急「白山」が走るようになったわけです。
6両+6両時代の編成はなかなか豪華で食堂車が上野行きにも、
青森行きにも組み込まれていました。1等車(のちのグリーン車)も同様ですので、6両+6両時代と言っていいと思います。
同じ名称ですから、最後尾も「白鳥」が輝いていたわけですね。
この後、昭和40年代半ばまで大阪-青森の特急「白鳥」はキハ82系13両編成通しで走ることになりました。
美里山倶楽部が乗ったのは、もう電車化された485系のころでして日本海を見ながら食堂車でカレーライスを食べる贅沢をしましたが、それが最初で最後に乗った大阪-青森時代の「白鳥」でした。
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