ロルフィング®
  • 16Sep
    • 施術は人を対象としなくなっていく

      感情って、ネガティブ・ポジティブに差はありません。怒り、悲しみ、妬み、、喜び、感謝、愛情。そこに違いはない、しかし、違いは、ある。それは、、。**ひと、特定の対象に向かうか、そうではないか。方向、その違い、、、ネガティヴ・ポジティブ、、そういった違いは、人間のマインド、人間の価値判断により決められるもの。では、人間の世界を離れる、、と?それを、理解するには、リアル、現実を、感知する領域に行ってみる。身体感覚、sensation、、感覚、そこには、思考や感情以前の、現実のありのまま。フィルターのない世界。そこから、真実を感知する。**(たとえば、脳の構造と進化からそれを説明すると脳は、爬虫類の時代〜人間になる過程で、3つのパートに分けられます。・脳幹(爬虫類脳とも呼ばれ、感覚を司る。たとえば、ものに触れた時の、皮膚感覚、、など。)・感情の領域の脳、・大脳(思考の領域を司る脳)この順番に進化してきた。感覚→感情→思考。この順番に、脳幹〜大脳にまで情報が上がってきて、認識される。思考があるとき、必ず感情がある。感情があるとき、必ず「感覚」がある。感覚がもっともシンプルで”汚れて”いないもの。。。この感覚〜感情〜思考、、の順に情報が上がってくる時、フィルターがかかります。個々人の。そこに、パターンが生まれます。なぜなら、感覚には、、大量の情報があり、いつもいつも、それをあるがままに感じていたら、、圧倒されてしまう。あるいは、日々の生活、生きていくために、すべてをゼロから毎回知覚していては、お箸も持てない。パターンを作り、フィルターをかけてこの現実世界を、生きていく。(ま、ざっとこんな説明。本題でないので。。)だとしたら?)**ありのままの世界、リアル、身体感覚。感情を、リアルの世界から感知してみる。ポジティブ・ネガティヴ、の違いはない。そこに意味づけしたのは、人間。感情、ポジティブ・ネガティヴの”価値”の生まれる前、身体感覚で捉えてみる。たとえば、それを粒子として。自然界の大自然、海、風、そら、水、、空気。それらは、透明、さらさら、、。気持ちがいい。では、人間の感情は?自然界と比べると、、どろどろしていたり、ワイワイしていたり。粒子は粗く、粘度は濃い。そこに、ポジティブ・ネガティヴの違いはない。それは、どこに向かっている?人や対象、、。方向が、、矢印がある、、焦点があっている。狭い。自然界は?身体感覚で知覚してみる。汚されていない、フィルターのない、、知覚。リアルな、本当の世界に入っていく。静かで、薄く透明で、、広がっていく、、一定の焦点と方向を持たない。**人が病んでいく時、混沌がある時、、。この感情の領域が、とても影響をしている。ここに、時間と距離はない。ずーっと、考え込んでいたり、考えないようにしようとしていても、すぐにそこに巻き込まれる。いつも、いつも。。エネルギーを消費する。感情の領域、それは、人を惹きつける。感情の領域、エネルギーの奪い合い。吸った・吸われたの世界。この人間社会はそこで回っている。**救いはないのか?人間に、感情に焦点を当てているうちはない。そこから離れる。でも、また引き寄せられる。損得・経済・消費、噂話、批評、批判。欲求、執着。そこから離れる。なぜ引き寄せられるのか、それは、そういうもの。なぜ引き寄せられるのか、そこに焦点を当てるから。なぜ?そこに染まるのです。焦点を当てると、シンクロする。意識を向け、そこに合わさっていく。感情の世界、人間の世界、そこにシンクロしてしまう。癒しはどこに?救いはどこ?自然界、大自然界、、粒子が違う、粘度が違う。そこに、意識を向ける。身体感覚、、そこにシンクロしていく。。癒しが起こる。静けさ、、大自然界、、そこに、癒しの力がある。それは、それ自体が癒しの力をもっている。自然界、、その背景に、同時に存在する、癒しの源。そこに意識を合わせる。超自然界。それは、神の世界。(スピ系ではなくって。たとえば、神社にある静けさ、みたいに。)**Who you are.我々とは何か?あなたはだれか。わたしはだれか。その本質は、どこにある?われわれは、人間。感情。。同時に、大自然の一部でもあり、それは、私の中心に流れている。超自然界、それは、我々のうちにある。だから、生きている。そこに、立ち戻る。そこに、シンクロする。**それが、できる。施術を通して、それは、現れてくる。それは、施術だけではなく、いろんな方法があるでしょう。**施術をする。すると、あるときからそれは人を対象としなくなっていく。人に対して、施術をしている、、。歪み、本質の光を遮っているもの、それらが、解消していき、、光に近づいていく。そのとき、その場で、解消されるべきものは、見せられなくなっていく、、。より繊細に、、より透明に近づき、施術の終盤、、繊細な領域では、もう、意識は対象に向かなくなっていく、、。意識を向けること自体が、圧となり、解消の妨げになるほどの繊細な領域になっている。すると、意識はどこに向かうのか?それは、体が向かっている先、体の本質である光の向かう先、、。中心軸から、同心円状に放射していく、光。個から、全体へ。個人のこの一点の癒し、この一点のパランスから放射していく光。この世界、への癒し。地球に生きるものたち。それらが、みながしあわせでありますように。そのような、意識状態にシフトしていく。。そのとき、その場で、その施術は、、その個であるそのひとは、その粒子は、スペースを与えられ、最も繊細な領域での変容を遂げる。そこは、施術者の立ち入る領域ではない。ブラックボックス。命の領域。ただ、癒しが起こる。しばらくして帰ってくる。施術は終わる。

  • 15Sep
    • ボランティアと奉仕の違い

      わぁ〜!すごいー!とか、いうのは信用しない。と、ボディワーク仲間のひとこと。受けての、そう言う反応は、あんまし、気にしない。そいうのは、本当のこと、から全然離れていることが多い。本当のこと、は、そう、、この人間のマインド、の領域のところでは起こっていなくって、反応もしていない。静かに進んでいる。カンケーない。わかりやすく言ったら、、人間のそう言った反応や思考、感情のレベル。すこしイメージしてみて、、たとえば粒子感。粒子の荒さ、濃さ、粘質さ、、。狭さ。一方で、自然界、体のリアル、そこで進んでいる命の調和と、リズム。人間の思考や理屈、感情とは無関係。まったく無関係。どんなに感動や、わ〜すごいー!があってもなくっても、体の癒しは、関係ない領域で、静かに進んでいく。命の領域、自然、癒し、、生命のリズム、、。そこをイメージして感じてみると、、。より繊細な粒子感、さらさらして粘質はない。その粒子はさらさらと広い。この違い。人の評価、感情、思考、喜びや批判。自然界、生命、、。治癒。全然別の領域で起こります。**いわゆるボランティア、と、奉仕。これも、また全然別のもの、一般に、ボランティアや奉仕活動をする、というひとどうも、感情に偏っていて、自分自身の、あるいは、相手の、要求に応えること、幸せにすること、楽にすること、とか、悩みを解決すること、、など、その領域は、前者の2つの世界からみると、より粘質で、狭く、粒子も荒い、、感情の世界。マンメイド(人間界の)世界。ここでやっていく、ボランティア活動、一般的奉仕活動は、おかしなことが起こっているひともいるみたい。より感情に結びつき、自分自身の、あるいは、相手の、要求や執念、執着に結びつき、ごちゃごちゃした中で、奉仕や美徳のために、進んでいく。おかしなこと、感情のやり取り、狭さ。エネルギーを吸った、吸われた、、むちゃくちゃ疲れていたり、美徳を大きく価値を持たせていたり。ありがとう!!!!!!素晴らしい人だ!他社へ、特定の相手、、視点はフォーカスされ、対象とされる、ひと、視線に、エネルギーがあるとしたら、対象へのエネルギーはすごくて、固定化されていく。おそろしい。ありがとう、の、、すごい!、の、感情のエネルギー、「あのひと」への視線、それは、その人にフォーカスされ、焦点を合わされ、照準を当てられる。おそろしいことです。とても、ひとりでは耐えられない。人には耐えられない。なにか、別の力を必要とする。なにかと、結びついてしまう。そこにまた恐ろしい関係性ができてくる。。ご注意ください。人の要求に、応えないこと。大切です。**※補足それにも、領域があると思います。この一般社会のフィジカルな世界では、要求に応える、という「形」は必要だったりします。それは、それに応える形をとって、、本当の領域の仕事をする、、そういうフリをして、、本当の仕事をする、ベースは、こころのうちは、、でも、見える世界に対応する表面は、、そのやりとりも、必要なことあるしそこでの葛藤や、実現させるための葛藤もでてきますが。**(ひとの)目的のために、、があるとき要求がある時、起こること、、力を求める、、だが、ない、足りない、、力を求め何かと結びつこうとする、よわさ。力を求める時恐ろしいことが起こり得ます。力を使わないこと、力を求めないこと、**奉仕、誰の視線も受けず、対象ともされない。すごい、なんて思われてはおそろしい。ありがとう、などと対象にされては、こまる。ただ、自然界の中で、空気に触れ、風に吹かれ、土に触れる、ようにただ、施術をし、ただただ、施術をして、意図はなく。自然の一部として、風の中で、さわやかに、誰にも知られることなく施術をする。**それが、美徳だからしてるのでもなくって、そうでなければ、とてももたない。対象にされるのは、おそろしいこと。そして、結果として、効果として、本当に、すばらしいこと、人智を超えたことが起こるのは、後者の方です。自然の一部として、活動している誰にも見えない、誰にも知られないように奉仕。自然の中、、そこには無限の癒しの力が、あるようです。

  • 14Sep
    • 生理学、細胞

      ちょいちょいリズムに合わせて生理学の勉強も。**全体像、、なるほど。なるほど、面白いね。https://youtu.be/Dw_rsCmC49M**もうちょっとだけ詳しく。ニャンコ先生①https://youtu.be/e9QfXLnHo1Y②https://youtu.be/yx8bfWo0JxI。。 ミトコンドリア・イブミトコンドリアって、自分の細胞の遺伝子とは違う独自の遺伝子を持ってるんですって。(遠い時代、別の生き物=ミトコンドリアと共生するようになったと言われてるらしい。)その遺伝子は、お母さんだけから受けつがれるらしくって、、ずーっと祖先を辿っていくと行き着くひとり、ミトコンドリア・イブて呼ぶんやてー。おかんだけなんや。 DNAの役割、、DNAって「細胞分裂」だけしかイメージなかったけど、「タンパク質の合成」っていうのもやるのね。DNA情報には、「材料、組み立てる順番、作る量、作るタイミング」が書かれている、すごいですねーってさ。 リボソーム、タンパク質合成、mRNADNA情報からのタンパク質の合成、、。自分の体のDNA情報をコピーしたものがmRNAで、それを元に合成する、、って。以前免疫の勉強(https://ameblo.jp/biogen/entry-12688633052.html)したときに聞いたな。DNA情報には、「材料、組み立てる順番、作る量、作るタイミング」がかかれている、、。つまり、それをコピーしたmRNAは自分のDNA情報をもとに、完璧なタイミングで、必要なものを作っている。。ということは、、ワクチンにより体外から注入された見知らぬ遺伝情報のコピーであるmRNAにより、コロナウィルスのスパイクタンパクを、本来の生命の意図や設計図とは別に合成させられ続ける、、というのは、本来のタイミングで本来の自分のDNA情報のタンパク質以外を作り続ける、、とは別の仕事をし続けている、、それは、負担だし自然ではないよねえ。。今後は、人類は、、より自然に、より大地に根ざしたつながりを持たざるええない時代に入ったのでしょうね。これまでの化学と開発とマンメイド(人間界)の理屈では、もう無理よねえ。(※つまり、後述するけど完全な情報である「健全」に繋がる方法を、以前の世界よりもっと必要とするということ。)施術は、そこ(本来の命)につながることができる、、そういうジャンルのものは確かに存在しますし、それは、施術だけに限らず、住まいや環境、食や、アート、星、太陽、、宇宙、確実にありますので探してねー。※こと施術の世界から見た体の現実について、補足を完全な情報、我々を生かす力、それを「健全」と呼ぶとしたら、、(わかりやすく説明すると、「健全」とは、何にも損なわれたり傷つけられたりする以前の完全な状態のカラダ、とでも言いましょうか、)「健全」は絶対に損なわれることはない、という事実です。どんなに衝撃や侵襲を受けても、「健全」は損なわれることはありません。そこに再び繋がりをつける、そこに再びつながる方法、、今後の世界はもっと必要としています。自然を大切に、そして、食、アート、自然、、、、そういう道は、施術以外にもきっとありますね。

    • 3>治療と結果

      ボディワークとは本来、命を救うもの。ただ、その場で結果を指し示し、痛みをとる、ものではない。がんだって、他のどんな病気だって、治せる可能性があるもの。本来は、治療であるもの。**結果と見た目、クライアントの要求に応え、その場で痛みをとった結果を見せる、ことで、ビジネスは回る、としたら、、。現実との折り合いをつけながら、葛藤しながら治療家は治療をするものなのかもしれない。しかし、ビジネスにも2つやり方があるように思える。治療業界だけではなく、一般の世界を見渡してみても。表面の結果を見せて、リピートしてもらうやり方があれば、真の結果を、誰にも知られることなく、もしかして、クライアント自身にも気がつかないレベルで、、いつしか、治ってしまう。健全になる。全体として。そして、クライアントはもう来なくなる。そしたら、次のクライアントがやってくる。それは、ご縁なのか導きなのか、なんかしらんけど、常にクライアントさんはやってくる。あるいは、クチコミで。**ファンになってもらうのではなく、いつしか来なくなるように、、そのように施術をします。**

    • 2>歪み

      歪み、傷、トラウマ。我々の健全は、決して損なわれることはない、としたら、、。傷や歪み、トラウマは一体なんなのか?**簡単にいうと、傷、歪み、トラウマは、健全を損なうことは決してない。健全は、完全で、そこに常にある。では、傷や歪み、トラウマはどこにあるのか?その健全の周りに、配置されている。例えるのなら、蛍光灯の周りに泥がついているようなもの。光を遮っているが、光は決して損なわれない。**滋養、我々を生かす力、健全、光。それが、中心軸から、放射している。その過程で、その光が外に放射していくその光によってこの体は、組織は、滋養を与えられる。あるいは、その光によって、治癒が起こってていく。施術者の仕事は、その光を、意図を使うことなく引き出す、、光を遮る歪みを、光によって癒し解消し、その遮られていた光が、さらに外に放射していく、、滋養を与え、さらに癒しを与えていく、、それを、施術者の意図や理論ではなく(その真の癒しの世界には、人間の理論は持ち込めない。受精卵の分割に完璧な神の意図があるのなら、人間の意図が入るときそれを損なうように。)健全、光の意図にしたがって、導きに従って、施術をする。のが、治療家の仕事。**歪みとはどんな存在なのか?完全な存在、健全が我々の本質なのなら、なぜ歪みができたのか?物理的、感情的な衝撃を受けた時その衝撃によって、全体に波及し、全体が崩壊しないように、健全は、その衝撃を一点に凝縮しそこに配置した。全体を守るために、それは命の叡智。歪みとは、健全によって、そこに作られた。その歪みは、全体のバランスを保持し、守っている。**歪みの解消、歪みは、全体のバランスを保持している。それを、施術者の意図や、クライアントの要求によって、取り去ってしまったのなら?全体のバランスは崩壊する。表面ではその部分の痛みはとれ問題は解消したように見えても、何か別の問題がのちに起こるかもしれない。命には、命の計画があり、治癒が進んでいる。それを妨げることなく施術するのが施術者の仕事。歪みは役割が終わり、去るべきタイミングの来たものから施術者に見せられ、治療させられる。**

    • 1>全体像

      我々を生かす力、健全。まずは、全体像。。(私個人の理解なので、間違いがあることをご了承ください。)受精卵、、細胞分裂し、、胎児、人間に成長していく。その力。遺伝子、、をもとに、内側から外側に生えてきた、、のか?胎生学。もう一つの胎生学、ブレヒシュミッドの胎生学、、。それは、バイオダイナミクス。そこで、研究室で現された現実、外側から、力が働いて、、細胞分裂していく、、。往年のオステオパス、同じことをずっと昔に、手の中で感じていた。バイオダイナミクス、ブレヒシュミッドの胎生学と、オステオパシーの手技による治療の世界、一致していた。バイオダイナミクスの語源は、胎生学から来ている。**受精卵、細胞が、分裂する。細胞が分裂し、二つになった、、から、、隙間ができるのか?細胞と細胞の間のスキマ。いや、細胞が分裂する以前、、時間のない以前から、そこに、隙間が存在する。はじめに、スキマがある。そこに向かって、そこを指標に細胞の分裂が表現される。細胞の分裂以前に、初めにスキマがあった。その隙間は、無、、しかし、満たされている。何かで満たされている、それを「愛」と呼ぶ、、らしい。それはどこかからやってきたのか?、、細胞を分裂させる力、それは、どこからやってきたのか?ブレスオブライフ、、神の息吹。どこかからやってきて、はじめからそこにあったもの。全てを知っていて、癒す力を、生かす力をもったもの。**はじめから、そこにあり。我々を生かしている。それは、決して損なわれることはない。健全。**受精卵、細胞分裂、完璧なタイミングで、少しのずれもなく、完璧な叡智、健全。**すこしでも、間違いがあるとそれは流れてしまう。もし、人間の意図がそのプロセスに少しでも向けられたら、それは、損なわれてしまう。完全に純粋な意図、いのちの、かみの(?)意図。人間の理論理屈、何も立ち入ることはできない。**これが、体のベース、解剖学の前提です。大人になった体にも、そのスキマは存在し、命の源で満たされている、癒しの力はそこにあり、決して損なわれない。どこかからやってきている、我々を生かす力。

  • 09Sep
    • 9月17日、松本でのセッション

      おはようございますー。9月17日、松本でセッションします。体験会もやりますので、よろしくですー。https://www.rolfing-selfjourney.com/%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC/#matsumoto今月はボランティアのセッションはないですので、丸一日、施術と体験会できます。いまのところ、10シリーズ中のクライアントさまおひとり、(※今回は出張費なしで行きます。)よろしくー♡

  • 05Sep
    • NACの画像

      NAC

      サプリメントのNAC、医療系や施術者の方優先で原価でお譲りできます。2つくらい。現在、日本で手に入りにくいようで海外から購入しました。1〜2個くらい、譲れそうですのでご希望の方は、お知らせください。※文字でのやり取りはしませんので、セッションの際に直接お知らせください。※施術者優先でお渡しするので先に連絡いただいても、確保はできません、

  • 02Sep
    • ネガティブな感情の原因は2つ

      たまたまみつけたんだけど、これすげーなー。と、なんか今の時期にしっくりきます。Dealing with Negative EmotionsHis Holiness the Dalai Lama's advice on how to deal with negative emotions during his meeting with a group of young women at his residence in Dharamsala, HP,...youtu.be

  • 30Aug
    • 松本の日の画像

      松本の日

      松本、あついよー、サングラス必須、そして最近日傘デビューしました。だいぶん快適です。日傘男子オススメです。今日は2つのセッションの予定だったけどナシになった。帰ろーっと。諏訪で子どもにセッションしてるんだけど楽しかった。また来よーっと。**シェアの口座、ってちょっと前に作ったのだけれど、https://www.rolfing-selfjourney.com/%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC/#sharetoall告知もしてなかったし全然マイナス、、。わたしの勉強のためにも、余ってたら使わせてもらおうということにしてたのでそれがまた、イマイチこう普段の自分のやっていることと変わらない感があって事実上、機能停止してたのだけど、これも機能するように、自分の勉強のためには使わずに、ボランティアのセッションや遠方のセッションのための移動費や交通費にだけつかうようにしようかと思います。すると、機能し始めるかもしれない。シェアの口座に貯まるように寄付の体験会のような、機会をある程度まとめて日程を取って近々やってみようかしら。

  • 29Aug
    • guide to healing the earth

      〜Tom brown’s guide to the healing the earth より一部抜粋〜TWO APPROACHES TO SURVIVAL A lot of people ask, Isn’t being a survivalist like being a swarm of locusts that descends on the landscape and virtually devours everything? As a survivalist, don’t you go back into the beautiful Temples of Creation with nothing and take things from the landscape to survive? You have to kill things—be it plant, animal or rock. And you imagine, “Wow, it’s kinda like that swarm of locusts eating everything in their path.” Well, yes and no. Grandfather was very quick to point out to me there are two philosophies of survival. One he called the white man’s survival. The other he called native survival. He said the problem is that the white man’s survival is what is wrong with the Earth today. Let’s take a Native American man or woman and an early white explorer, surveyor or trapper. The fur trapper wakes up one morning and says to themselves, “I’m running low on musket balls and powder. I’d better build myself a bow.” So he rides out on the landscape, searching out the open fringe areas of the landscape where forest meets field or field meets stream, because he knows that there grow the tallest, straightest and truest of the saplings. In short order he finds one and cuts it down with no thought, no care. Never satisfied with just one, he cuts another, just in case he finds a hidden flaw in the first one. He doesn’t care what he does to the landscape. He doesn’t realize that cutting a sapling from a fringe area is the worst thing you can do. He doesn’t even consider how his actions will affect his children and grandchildren to come. Nature is there for his convenience. It’s his to use and his to abuse. After all, it says in the good book, we have lord and dominion over the beasts and the Earth. In his mind, nature is there to use and abuse. Grandfather summed that type of survival up. He said we are a society of people who kill our grandchildren to feed our children. This is the alien survival, the struggle of the humans imposing their will on the environment and taking whatever they please, destroying the ecosystems in the process. Yes, that is the swarm of locusts Grandfather was referring to, but that’s not the type of survival consciousness we need. Then there is the other type of survival. Native men or women awake and decide they need to make bows. They fast, they pray and they purify themselves. They consult with the elders and firmly establish an extreme need. Then they go out to the landscape, taking their time, feeling what areas they are drawn to. They bypass the fringe areas that they encounter. They are looking for a place in the forest that is at war. A place that was killed by a wildfire or landslide. They search for a place in the forest where there is a sea of saplings, all fighting for sunlight, space and water. The native people know that most of those trees are going to die in their quest for survival, and the trees that are left could become gnarled and disease ridden. They look for a place where a bunch of saplings are growing close together, vying with one another for limited resources. The native men or women know that through the saplings’ struggle for existence, they will be stronger, tougher from the experience. Bows made from those saplings will have a much stronger snap and throw than saplings from the fringe area that have never experienced that kind of struggle to survive. They search the area for just the right saplings that are dying or dead and, even if dead, that once taken from the clump of their brothers and sisters, space will be created for the others to become stronger. The traditional Indians or people who approach the situation in a native way ask themselves, “If I take this tree, what will I do to the landscape now? Will I make it better? Will I open the landscape so that other trees can grow up strong and true?” If that question is answered positively, they will then ask what will they leave for their children and grandchildren? Will they leave them a strong and healthy forest? Or one that is sick and dying? And when that is answered positively, they will make contact with the sapling and say a prayer in their hearts, something like this: Little sister, please forgive me, as I am taking your life, and a part of mine, in order to help my people live. You will help my people grow strong and live in a good way, a way that helps my people live in harmony with our Earth Mother. I will honor your death by making a bow to feed my people in a sacred way. Each scrape of rock on your skin will be done with thanksgiving in my heart. From deep in my heart, I thank you for your sacrifice. It is done. Then and only then will the person living with the Earth cut that sapling with the greatest care, reverence and appreciation. Part of the survivalists’ purpose is to notice what is needed that will heal and benefit the Earth. If you follow this law, you will be given what you need from your environment. You will feel drawn to the resources you need for survival as well as toward the areas on the landscape that would become healthier from your attention. It is a clear give-and-receive type of interaction. If you disregard this law of balance, you will suffer for it, as what you need will not be provided to you without great effort. Finding the resources for your immediate needs will turn into a battle rather than an intimate conversation. The survivalist, then, in that consciousness, becomes a tool of the Creator, a caretaker of the land, a steward, a healer. For whatever a survivalist takes, it makes the land better.サバイバルへの2つのアプローチ多くの人が、「サバイバリストとは、イナゴの大群が風景に降り立ち、事実上すべてを食い尽くすようなものではないか?サバイバル主義者は、何も持たずに美しい創造の神殿に戻り、生き延びるために風景から物を奪うのではないか?植物であれ、動物であれ、岩であれ、何かを殺さなければなりません。そして、「イナゴの大群が行く手を阻むものをすべて食べてしまうようなものだな」と想像するのです。まあ、そうでもあるし、そうでもない。グランドファーザーは私に、サバイバルには2つの哲学があると教えてくれました。一つは、白人のサバイバルと呼ばれるもの。もう一つは先住民のサバイバルだ。グランドファーザーは、白人のサバイバルが今日の地球の問題点であると言いました。ネイティブ・アメリカンの男性または女性と、初期の白人の探検家、測量家、罠猟師がいたとします。ある朝、毛皮の捕獲人が目を覚まして言った。「弾と火薬が少なくなってきた。弓を作ったほうがいいな」と言った。彼は森と野原、野原と小川が交わる風景の中で、開けた縁の部分を探して走り出します。彼はすぐに1本の苗木を見つけ、何も考えず、何も気にせずにそれを切り倒す。1本だけでは満足できず、最初の1本に隠れた欠点を見つけたときのために、もう1本切ります。景観を損ねても気にしないのである。縁のある場所から苗木を切ることが最悪の行為であることを理解していない。自分の行為が子や孫の世代にどのような影響を与えるかを考えていない。自然は彼の利便性のために存在する。使うのも悪用するのも彼です。結局のところ、善き書物には、我々は獣と地球に対して主権と支配を持っていると書かれています。頭の中では、自然は利用するためにあり、悪用するためにあるのです。グランドファーザーはこのようなサバイバルを要約しています。私たちは、子供を養うために孫を殺す社会だと。これこそが侵入者のサバイバルであり、人間が環境に自分の意志を押し付け、好きなものを奪い、その過程で生態系を破壊していくという闘いなのだ。たしかに、グランドファーザーが言っていたイナゴの大群ですが、それは私たちに必要な生存意識ではありません。そして、もう一つのサバイバルがあります。ネイティブの男性や女性が目を覚ますと、弓を作らなければならないと考えます。断食し、祈り、身を清めます。年長者と相談し、どうしても必要かをしっかりと立証します。そして、ゆっくりと時間をかけて、どの地域に惹かれるかを感じながら、風景の中に出かけていきます。森の末端のような場所は避けます。彼らは森の中で混み合って生存競争をしている場所を探しています。山火事や地滑りで死んでしまった場所を。彼らは森の中で、太陽の光や空間、水を求めてたくさんの苗木の海が広がっている場所を探します。ネイティブの人々は、それらの木のほとんどが生き残りをかけて枯れてしまい、残された木はグネグネと病気に侵されてしまう可能性があることを知っている。彼らは、限られた資源を奪い合うように、たくさんの苗木が寄り添って育っている場所を探す。ネイティブは、苗木は生存競争を経験することで、より強く、よりたくましくなることを知っている。それらの苗木から作られた弓は、そのような生存競争を経験していない森の末端の周辺地域の苗木よりも、はるかに強いスナップとバネを持っています。彼らは、枯れかけているか、死んでいるか、たとえ死んでいたとしても、苗木の兄弟姉妹の混雑から取り出された後は、他の苗木がより強くなるための空間を作ることができるような、ちょうど良い苗木を探しています。伝統的なインディアンや土着的なアプローチをする人々は、「もしこの木を取ったら、今の風景に何をするだろう?と問いかけます。他の木が強く真の姿で育つように景観にスペースを作るか?"と問いかけます。この質問に肯定的な答えが得られれば、次に子供や孫に何を残せるかを問うだろう。強くて健康な森を残すのか?それとも、病気で死んでいく森を残すのか?そして、その答えが肯定的なものであったとき、彼らは苗木と接触し、心の中で次のような祈りを捧げます。小さな妹よ、どうか私を許してください。私は私の人々を助けるために、あなたの命、それは私の命の一部でもある、をいただきます。あなたは、私の人々が強く成長し、良い方法で生きるのを助けてくれるでしょう。私は、神聖な方法で私の人々を養うために、弓を作ることであなたの死を称えます。あなたの皮膚の上に岩で削り出す一つ一つは、私の心の中で感謝の気持ちを持って行われます。私の心の奥底から、あなたの犠牲に感謝します。。そして、必ずそうしてから、地球と共に生きる者は、その苗木を最も丁寧に、敬意を持って、感謝の気持ちを込めて切るのです。サバイバリストの目的のあるいち部分は、地球を癒し、地球に利益をもたらすために必要なものが何なのかに気づくことです。この法則に従えば、あなたは環境から必要なものを与えられるでしょう。生き延びるために必要な資源や、あなたが注意を払うことでより健康的になるであろう風景に、あなたは引き付けられるでしょう。これは、明確なギブ&レシーブ型の相互作用です。このバランスの法則を無視すると、自分が必要としているものは、多大な努力なしには提供されないので、苦しむことになります。目の前の必要性を満たそうと資源を探すことは、親密な会話ではなく、戦いになってしまいます。サバイバリストは、そのような意識の中で、創造主の道具となり、土地の世話役、給仕、ヒーラーとなります。サバイバリストが取るものは何であれ、その土地をより良くするものです。

  • 28Aug
    • 佐藤初女さんのおにぎりの画像

      佐藤初女さんのおにぎり

      施術について、特にここ最近の2つの講座ワクチン接種後の施術の講座その後に、(いつものことだけど)大きくまた施術が変わってきている。以前にはよくわかっていなかった(今思えば)なにもしない、ということの真のおおきさ、ほんとに何もしないとき、すごいなー、、。**施術を受けるだけではなくその完全な姿に通ずるみちはたくさんある、はず。そのひとつは、なにか具体的な例を出すと、、20年以上前に見たカイアシンフォニー第二番にでてくる佐藤初女さん。ネットにも動画は出ていないなー、予告編に少しでていたので、こちら。地球交響曲第二番 予告自主上映にて公開中 http://gaiasymphony.com 龍村仁監督作品 出演者:佐藤初女(森のイスキア主宰)/ジャック・マイヨール(海洋冒険家)/フランク・ドレイク(天文学者)/14世ダライ・ラマ法王(チベット仏教最高指導者)Film Director:Jin Tatsumura/Hatsume Sa...youtu.be**おなじことが、たくさんそこに通ずる道はある、アートだったり、料理だったり、武道かもしれない。静かな湖のほとり、こんなところでフルフォードのエクササイズしたらエネルギー充填されるでしょうねー。『いのちの輝き』フルフォード著**健全、われわれはそういうふうにできている。

  • 26Aug
    • 松本での体験会、2021年8月30日

      松本での体験会2021年8月30日の13時からの枠に空きができました。https://www.rolfing-selfjourney.com/%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC/#taikennkaiご興味ある方よろしくお願いいたします。

  • 25Aug
    • 第七章

      『いのちの輝き ロバート・c・フルフォード著』p184七章霊性を高めるこのところ霊性について語られることが多くなったが、霊性はおおかたの人にとって、まだ漠然とした謎のままにとどまっている。以下は、わたしが患者にアドバイスしていることをまとめたものである。心身の癒しを助けるために、患者には自分の霊性について理解してもらうことにしている。からだ・こころ・たましいの三つの側面のバランスがとれてこそ、その人の潜在力が発揮されるからだ。人間の三つのからだ「人間は三つの存在が一体となってはじめて完成する。第一は肉体、つまり物質的な身体だ。第二は霊的な存在、第三は精神的な存在で、これがすべての生物的な運動や物質的な形態をはるかにしのいでいる。.・このように、われわれが望ましい結果を得るには、その三つをほどよく兼ねそなえ、自然の真理と調和して生きなければならない」ーアンドルー・テイラー・スティルオステオパシーの思想は、スティル博士がいっているように、人間のなかに三つのからだを認めている。ひとつは霊的なからだ、もうひとつは精神的なからだ、三番目は肉体である。スティル博士はそのことにかんしてじゅうぶん納得できるほどのことばを残していないので、わたしは人生の多くをその探究に費やすことになった。いまのところ(こうした探究は果てしがないので)、オステオパシーの思想と東洋思想、とくにタオイズム(道家思想)との結合がわたしの思想の基礎になっている。霊性とは不完全な世界にあって平和と幸福を見いだす能力のことだといっていい。それはまた、自己のパーソナリティの不完全さを理解し、それをそのまま受容することでもある。理解し、受容したときのこころのやすらぎから、創造性と利他的に生きる能力が生まれてくる。からだのこの霊的な側面は見ることも聞くこともできないが、感得することはできる。信仰・許し・やすらぎ・愛・美・幸福・喜び・悦惚などが見えなくても感得できるのと同じである。霊的なからだは三つの部分からできている。それはわれわれの意識・直観・コミュニケーションである。意識のおかげで、われわれはこの世に生存しつづけることができる。生きる途上で、なにがよく、なにが悪いかを教えてくれるのも意識である。たましいからこの意識エネルギーを受けとれなくなると、われわれは昏睡状態におちいる。直観は霊的な側面に直接アクセスする、こころのサイキック(心霊的)な部分だ。残念ながら、そこに直接アクセスできる人はきわめて少ない。直観は想念の宝石のようなものであり、希少価値がある。しかし、ちょっとした直観なら、たいがいの人がしょっちゅう経験している。たとえば、はじめて会った人と話をした帰りに、「あの人の声には誠実さがある」などと思ったことはないだろうか?声を構成する「音」は物質界の一部であり、五感で感知できるが、「誠実さ」は直観でしか知ることができない、見えない世界の一部である。コミュニケーションは自分と自分のたましいとのあいだに起こる。多くの人は自分の行為によって、想念パターンのなかにこの霊性がはいりこもうとするのを邪魔しているが、じつはどんな人にも霊的なからだのこの部分にアクセスできる能力はそなわっている。霊性とは本来われわれを、創造の背後にあるさまざまな力、すなわち愛のエネルギーや叡知のエネルギーとの統合へとみちびいてくれるものなのだ。不幸にしてわたしは、宗教団体に霊性があることが証明された例を知らない。霊性とはもっぱら、目覚めつつある個人の意識とむすびつくものであり、その経験がその人をより思慮深く、より親切に、より愛ある人にする動機にはなっても、宗教団体にはいる動機になるものではない。現代の科学が霊性という考えそのものを否定していることはあきらかだ。だが、現代的であり、かつ霊的であることは両立が可能である。事実、科学者が人間のエネルギー変換について実験し、立証しつつある現在、霊性はあきらかに復活しはじめている。もしかしたら、われわれはいま、イエズス派のフランス人思想家、ピエール・テイヤール・ドゥシャルダンが予言した、あの光輝ある啓示に向かって歩んでいるのかもしれない。「ある者たちはいう。風力や波力、潮力や重力を完全に制御することを学んだら、われわれは神のために、愛のエネルギーを利用するようになるだろう。そのとき、われわれは史上二番目の火を発見することになる」精神的なからだのはたらきとはこころの作用のことであり、その任務はいのちという偉大なエンジンを賢く管理することにある。こころと肉体はたえず情報を交換しているが、そのコミュニケーションの大部分は無意識のレベルでおこなわれている。こころとは肉体にその目的を遂げさせる力のことでもある。こころは肉体をとりまく空間にも存在している。それは脳ではなく、脳を形成する力である。精神的なからだには欲望と意思が存在する。欲望はときに抗しがたい力となり、たいがいは物質 ー あたらしい家、かっこいい車、ありあまるカネ ー にひきつけられる。あさましい欲望にひきずられ、手あたりしだいに所有物をふやそうとしている人のなんと多いことか。街を歩いていても、空虚でよるべのない表情を浮かべた人をよく見かける。その大多数はカネがないからではない。ものはなんでも所有しているが、肝心のたましいを失っているからだ。かれらは自分の欲望の産物であり、うつろな目つきでショーウインドーをながめている。欲望はたえず意思のチェックを受けている。霊性を高めるためにいちばんいい方法は、できるかぎり完全な人間になろうとする意思の力を利用することだ。わたしは患者にこの欲望と意思のパターンについていい聞かせる。そして、行動をあらためた患者がそれ以来、病気から解放されたということも、たまにはある。たとえば、かなり以前の話になるが、ベトナム戦争から帰還した男がこころの問題を訴えてやってきたことがある。感情の過剰反応に悩まされ、からだにも神経症の症状がでていた。軍医には「治らない」といわれていた。そこでわたしは欲望と意思の関係について話し、その軍医がかれのあたまのなかに「病気である」という考えを吹きこんだのであり、その結果、かれが「病気でありつづけたい」という欲望を育んだのだと説き聞かせた。「だが、きみにはまだ、からだのなかに生命力がある」とわたしはいった。「つまり、その欲望を克服する意思もあるということだ」そして手技をほどこし、呼吸法をやらせて、からだからその感情パターンをとり除いた。男は意思にしたがうことを選び、それ以来、症状は再発しなくなった。もうひとつ、物質的なからだ、つまり肉体がある。それをつうじて自分を表現するための装置だ。現代医学は肉体にいくつかのシステムを認めている。循環器系、消化器系、自律神経系、免疫系などだ。スティル博士はこの物質的なからだを「偉大な機械」と呼んでいた。その機械にはエンジンである心臓、換気扇とふるいである肺、蓄電池である脳などが組みこまれている。物質的なからだ全体はまた、おそろしく複雑な化学工場でもあり、こころだけがそのはたらきを感知することができる。この機械はいのちという見えない力によって作動している。それは自己創造・自己発展・自己調整・自己修復・自己回復・自己維持・自己推進の能力をそなえている。すべての物質と同じく、このからだも究極的には光という電磁波でできている。それは部屋をあかるくし、テレビに映像をうつしているものと同じ電磁波であり、からだは電磁的なエネルギー場による複雑なネットワークで包囲されている。それが生命場と呼ばれるものである。物質的なからだには理知の力と本能の力がある。意思が動物的な本能に支配されたときは欲望への道をたどり、理知の力に支配されたときは霊性への道をたどることになる。霊性の発見年齢・人種・国籍を問わず、地上にいるすべての人は完全に純粋な存在である。だれしもが同じひとつの本源からやってくるエネルギーを受けているからだ。その純粋で霊的な本来の姿のそばにいつづける能力を「善」といい、善はいつも目の前にあり、だれもがつねにアクセスすることができる。その一方、「悪」というものはもともと存在するものではない。にもかかわらず、悪は起こりうる。純粋で、いのちをあたえる宇宙エネルギーの流れをブロックし、自己の存在から遠ざかるとき、人は悪になる。つまり、悪とは霊的な力の欠如のことなのだ。アドルフヒトラーは、その普遍的な純粋性とのつながりを断ちきって、こころの欲望に支配されることを選んだときに悪になった。純粋性はつねにかれのなかに存在していた ー 宇宙の設計によって、だれのなかにもそれがある ー が、かれはこころとあたまのあいだでおこなわれているコミュニケーションをブロックしてしまったのだ。事実上、社会のあらゆる領域で、自然の純粋性との断絶が目につく。企業にも、人間関係にも、政治にも、宗教にも、マスコミにもそれが見られる。都市にも、郊外にも、農漁村にも見られる。作家で思想家のウォルター・ラッセルは、われわれの時代を理解するのに役立つ、ある隠除的なイメージを提示してくれた。紙のうえに水平に一本の線をひき、その中央にしるしをつける。そこはわれわれのいのちの中間点をあらわす。中間点で二分された線の一方は肯定的なエネルギー、つまりいのちの霊的な側面をあらわし、他方は否定的なエネルギーをあらわす。すべては線上に吊りさげられた振り子の位置と中間点との関係によってきまる。ほとんどの人は、振り子がたえずゆれていて、じっとしていることがない。怒りのあまり怒鳴ったり、だれかをなぐりたくなるときもあれば、羨望の気持ちをいだくときもある。たいがいの場合は、その気持ちをおさえて、振り子を肯定的な方向にゆりもどすことができる。否定的な方向に生じた想念を肯定的な方向に振りかえてバランスをとっているのだ。その隠喩は個人だけではなく、種としての人間にもあてはまる。今世紀の初期から、振り子はずっと否定的な方向にかたよっていた。しかし、振り子はいま肯定的な方向に移動しつつあり、われわれは遠からず、よりよいほうにわれわれをみちびくような社会変革が起こるのを目撃することになるだろう。その点では、わたしはきわめて楽観的である。目をこらせば、すでにその移動がはじまっているのがわかるはずだ。たとえば先週の日|曜日、わたしの街の教会でひとりの牧師がすばらしい礼拝をおこなった。かなり長い時間をかけて、愛する息子がゲイ(同性愛)であることを堂々と告白したのである。賭けてもいいが、五年前なら、かれはあえてその話題にふれようとはしなかったはずだ。テレビ番組にも変化の徴候を見つけることがある。つい最近、若手の俳優が聖書をビデオ化して、子どもたちが家で見られるような作品をつくるという計画をテレビで発表した。計画に協力するロデューサーがいないので、その俳優は自力で資金を調達したということだった。じつをいえば、わたしがいちばん希望を託しているのは、こうした民間の手によるあたらしい幼児教育なのだ。子どもたちに豊かなこころが育まれたら、この国の将来はあかるい。いまの若者よりもっとつつましい若者が育っていく。子どもたちの未来は社会の未来と直結している。社会をつくっていくのは、いまの子どもたちなのだ。もちろん、社会が望ましい方向に変わるためのいちばん確実な道は、われわれひとりひとりが自己の霊的な側面とつながりをもつことであるのはいうまでもない。霊的な側面を見つける方法はいくらでもある。だが、その前に、自分の人生の究極の目的を見つけなければならない。では、人生の目的とはなにか?わたしには答えられない。それを見つけることが、その人の一生をかけた課題なのだから、わたしも自分の目的なら答えられる。それは若いころから、ヒーラーとして、またオステオバシー医としての技量を磨くということだった。おそらくわたしにとって、医学校に行けなかったという経験は、それを見つけるために必要だったのだろう。その経験がわたしを正しい道にみちびいてくれたのだ自分の目的を見つけることがそんなに重要なのか?わたしにいわせれば、それ以上に重要なことはほかにないほどだ。目的を見つけるためには、なにかを捨てなくてはならないかもしれない。捨てるのは、それまで人類の福祉に貢献してきた大切なものかもしれない。しかし、それでいいのだ。こころから満たされた思いで人生を終えるには、目的を見つけ、その目的を果たすしかない。人が目的を果たすとき、目的がその人を完成にみちびいてくれる。子どもや青年にそれを理解させることができたら、どんなにいいだろう。われわれはかれらに、楽しく幸福に生きろとはげます。しかし、この世の喜びと幸福の多くが著財からではなく、他者にあたえることから生まれるものであることを、われわれは見逃しているのである。では、目的を果たさなかったら、目的を見つけようともしなかったらどうなるか?無目的な人生をおくった人がどうなるかを見とどけたかったら、その人の臨終に立ち会えばいい。前にものべたように、わたしはそんな人たちの臨終に何度となく立ち会ってきた。かれらの死は格闘である。その最期は、両手で空中をむなしくつかみ、なにかがぬけだしていくのを追うかのように見える。まるで、これさえつかんでいればだいじょうぶだと自分にいい聞かせているかのようである。その苦闘のきまを、充実した人生をおくった人の死とくらべてみればいい。かれらはおだやかに目を閉じ、しのび寄る死を受けいれ、やがてなにもかもが終わる。その顔に浮かぶ澄みきった表情がすべてを語っている。目的をもちたいのだが、生きるのに精一杯でそれを見つける余裕がない、とこほしている人が多い。だが、遅すぎるということはないし、必要な情報はどこにでもある。おまえの場合は運がよかったのだと人はいうかもしれない。たしかにわたしは、なにかあたらしいことを学ぶ必要が生じるたびに、だれかが必要な情報をあたえてくれた。しかし、それはおそらく、めずらしいことではない。人はものの世界に夢中になりすぎていて、じつは、見る目のある人にとっては、この世界が知恵に満ちているものであることに気づかないだけなのだ。目的を見つけること以外に、霊性に近づく方法はなにか?横断歩道をわたる弱者に手を貸し、必要としている人にバスの座席をゆずることだ。無条件で、すすんで人にあたえるたびに、いのちが少しずつ輝きだす。あたえられた人があたえ返すことを考えはじめ、礼と返礼の法則がきざしてくる。外にでて樹木に手をふれ、地面に座って花の美しさを讃えることだ。わたしはその方法を、友人でIBMの技術者、マーセル・ヴォーゲルに教わった。自分にとって特別な木を一本選び、木からのエネルギーが手に感じられるようになるまで、毎日、その木を両手で抱きかかえるという方法だ。しばらくつづけたら、わたしにも木のエネルギーが感じられるようになった。それ以来、わたしはいつも患者にその方法をすすめている。はじめのうちは妙な顔をするが、そのうちに、わたしがいっているのは母なる自然と親しむというだけのことだとわかってくれる。わたしがシンシナティからいなくなったとき、街じゅうの木という木に人間の相棒がいることになっているとしても、別に驚くにはあたらない。公園や広場で気功の練習をする中国人が、木を抱きかかえるようにして両手をひろげている写真を見たことがないだろうか?実際に木を抱きかかえることと気功とは多少ちがうかもしれないが、自分のたましいにふれるという意味では同じように思われる。緑の少ない都市のアパートに住んでいる人にも、観葉植物を買って育てることをすすめたい。窓ぎわのあかるいところに置き、水をやり、肥料をやって、愛のエネルギーを注ぐのだ。植物もエネルギーを発散して応え、部屋をいちだんとあかるくしてくれる。まさかと思う人は、二、三日、その植物を部屋から片づけてみればいい。部屋からいのちがひとつ消えたという、なにかさびしい気持ちがするはずだ。あたえればあたえられる。なぜか?あたえるたびに、その人のなかにある生命力の輝きがますからだ。それは木にも花にも観葉植物にもある生命力とまったく同じものだ。われわれはときに、人間も動物や植物と同じ自然の一部でしかないことを忘れてしまう。五感をとおして経験される欲望が、自分だけはちがうと錯覚させるのである。霊性を高めるもうひとつの方法は美術館に行くことだ。そこでは、展示してある唯一無二の作品を創造し、無から有を生じさせた作家たちの圧倒的な生命力にふれることができる。その経験は自分自身の生命力を刺激することに役立つ。もの音ひとつしないギャラリーに座っているだけで、一種の厩想状態になれる。ありがたいことにアメリカでは、二二人の男どもが肉弾をぶつけあうフットボールの試合には何万人もの人が押しかけるというのに、美術館は秋の美術シーズンの週末でさえ閑古鳥が鳴いている。時間をつくって静かに座り、自分のいのちについて考えてほしい。霊的な側面に近づくために自分がなにをしてきたのかを、よく考えるのだ。いのちの霊的な部分にたいしてどれほど配慮してきたかをたしかめるために、ノートに行動リストをつけるのもいい。また、自分がどこでエネルギーを賢く使い、どこで使いかたをまちがったのかについても考えてほしい。自然を味わい、見返りを期待せずにあたえ、すぐれた芸術家の創造性の果実から喜びをひきだす。それらはすべてエネルギー・ブロックの解除を助けてくれる。ブロックがとれ、生命力が流れだせば、自然に健康が増進される。自分の霊的な側面にふれることが多くなれば、エネルギーはそれだけ自由にからだのなかを流れるようになる。愛愛とは霊的な力を発現させるエネルギーのことである。からだをめぐるその力を感じる能力が高まれば、それだけ愛を感じる能力が高まる。惜しみなく愛することができれば、からだ・こころ・たましいをはたらかせ、成長へと向けている力のバランスを維持していることになる。人を愛する能力の有無は、その人の内部にある本質に気づき、それをうやまう能力の有無にかかっている。その本質の美しさに気がつくと、その人にひきつけられるようになる。その人もあなたにひきつけられる。もはや、そこにいるのはふたりの人ではなく、ひとつ、たがいに分かちあう愛のなかでつくられたひとつの存在である。愛の行為とは相手を「全一体」にひろげることであり、愛とはあたえ、またあたえることである。愛と癒し手技による癒しは、患者が自己の本質につながろうとするのを助け、その人を「まるごと」の状態にもっていく。ヒーラーがかざし、ふれる手は、患者の本質がその人のからだとつながるのを助け、その結果、ふたたび生命エネルギーがじゅうぶんに流れるようになる。そこでヒーラーが手を使って、患者のからだのなかのエネルギーをととのえ、バランスを回復させる。ヒーラーは意思をつうじて患者に愛をおくる。すると、頼れるヒーラーに見守られてリラックスした患者は、その愛を受けとる。愛はすべての医師の仕事に不可欠である。なぜなら、患者はその愛に敏感なものだからである。患者が待っている病室に医師がはいってくる。すると患者はほっとする。「助けが」きた」と思うのだ。患者は愛に敏感だ。二、三日前、わたしは這い這いをいやがる女の子を治療した。生命カが低く、ひよわな子だった。からだをゆるめ、呼吸を回復させた。けさ、その子の母親から電話があった。治療を終えて家に帰ると、その子はすぐ、部屋じゅうを元気に這いはじめたというのである。母親は自分と夫がどんなに喜んだかを弾んだ声で語った。わたしがその子におくったものが、こんどはその子から両親におくられたのである。癒しもまた、あたえ、またあたえるものなのだ。進化わたしはこれまで、からだ・こころ・たましいの健康維持についてのべてきた。それにはまだ先がある。それが進化だ。人の進化はその人の意思の発達を土台にしている。こころには欲望と意思というふたつのはたらきがあることを思いだしてほしい。そこでわれわれは自分にこう問いかける必要がある。「意思の発達を遅らせているものはなにか?」わたしは人類がいまでも進化しつづけていると信じている。その進化はわれわれのDN Aのなかに、ホルモンのなかに、からだ全体にその姿をあらわしてくると信じている。前の章で、わたしはこの国が霊性から遠ざかり、物質主義と自己中心主義にとりつかれているとのべた。それは今世紀に起こった数多くの悲劇から生まれたものだと考えられる。たとえば第二次世界大戦は、相手国の国民はもちろんだが、この国の人びとのこころにも傷あとを残した。多くの兵士が戦死し、多くの子どもが父親なしで育てられ、だれもが犠牲をしいられる生活に慣れていった。そこに朝鮮戦争とベトナム戦争がつづき、国民のこころの傷はそのつど深まっていった。戦争のトラウマとつぎつぎに起こる社会の大きな変化は国民に希望を失わせ、振り子が否定的な方向にかたむくたびに、物質的な欲望と霊性の軽視という気分を生んでいったのだ。しかし、進化に関心をよせる人がどんどんふえているいま、わたしは人間に大きな希望の徴候を見いだしている。この傾向を促進させるための道はたくさんある。霊性を高めることがその第一歩であることはたしかだ。目に見えない内的世界を理解するためにもっと時間を費やしてほしい。変えなければならないものは、その内的世界にある。そこを見つめて、自分の想念パターンを観察し、それを変えるのだ。世の中の問題はすべて人びとの想念パターンから生まれている。自分の過去の行動や経験をふり返ろうとしない人たちがいる。人生はいましかないと教えられ、いまからの努力一しだいで将来の成功がきまると信じこんでいる人たちがいる。過去の行動が現在の問題をもたらし、将来の問題にまでつながっていることを立ち止まって考えようともしない。それらはすべて、その人たちの固定した想念パターンの産物である。物理的・心理的とを問わず、トラウマが神経系に刷りこまれるものであることを知っている人はひじょうに少ない。だが、過去の経験からくる否定的な影響をとり除くことができれば、からだの生理作用が変わり、進化にたいしてもっとオープンになることができるのだ。そうなれば世界にたいする態度が変わり、生命エネルギーの輝きや、からだのなかで共鳴しているより微細なエネルギーの放射が感じられるようになる。自分が大いなる進化のなかにいると気づいたとき、人はどう変わるのだろうか?たとえば、その人は弾むように軽やかに歩くようになる。たえず自然の美のエネルギーを吸収しているからだ。たとえまわりが自然に無関心な人たちばかりという環境にいてもさきやかな自然にひそむ細部の美の多様性に感動し、こころを打たれるようになる。そして、自然とのつながりはますます強く、豊かなものになっていく。その人はまた、自己を表現することによって進化をかたちにあらわすようになる。自己の内なる健康を外部の世界と交流させるようになる。人を助けることに喜びを見いだすようになる。もとめられる前に、すすんで手をさしのべるようになる。健康であることの大切さは、ただ自分のためだけではない。自分の健康はある意味で、すべての生き物の健康と進化につながっているのだ。われわれはともに、この世界を分かちあって生きている。あらゆる生き物が平等に、宇宙の力に頼って生きている。だから、地上に生きる目的のひとつは、われわれすべてがひとつの存在であるという事実に気づくことにある。世界から孤立し、かつ健康であることはできない。進化した社会では、人は自分を愛するように敬意と関心と配慮をもって他人を愛する。自己の想念パターンにたいする高い制御力をはっきりと外にあらわす。他人が自分を思いゃってくれる以上に他人に思いやりを示す。というのも、人が他者のなかにつくる否定的な想念は、その当事者だけではなく、社会全体にとって有害なものだからである。進化した社会では、人は地球にもっと敬意を払うようになる。人間の健康が地球の健康に支えられ、自然のなかにあるエネルギーが人間のなかにあるエネルギーであることを知っているからだ。最後にわたしの予言をひとつ。人類はふたつの衝動のあいだでひき裂かれている。ひとつは進化の衝動、もうひとつは破壊の衝動だ。もしこの文明の兵器と汚染によって絶滅させられてしまうことがなければ、われわれはきっと進化のより高い段階にのほっていくだろう。われわれが発する波動の周波数は高くなり、生命力を敏感に感知する人がますますふえていくだろう。われわれは身体的にも精神的にも、より健康になっていくだろう。人びとはもっと思慮深くなり、自己の本質を受けいれ、肩の力をぬいて生きるようになるだろう。小さな変化はすでにはじまっている。その変化を大きなものにしていくためのただひとつの道は、あなた自身が自分を大切にすることである。肉体的にも、精神的にも、霊的にもだ。自分の健康のために配慮し、行動することはすべて、あらゆる人、あらゆる生き物の健康に寄与することにつながるのだ。〜『いのちの輝き ロバート・c・フルフォード著』第七章から抜粋 〜

    • いのちの輝き

      昨日まで、久しぶりに関西に帰りいくつかセッションをしてきました。このワクチンの状況、なんだかなー!と言う感覚です。個人的には、あんまり、、よくない、免疫落ちる、生命力落ちている、なんでこんなことがなされているのか、という考えに、のまれそうでした。そういう、感情や恐れ、そこからは、なにもできない、センターから外れている、そのときは気がつかない、戻ってきてやっと気がつく。**ワクチンを打ったこと、いいのか、わるいのか、いろんな意見があり、まだわかりません。わたしも、打たないことでかかった、ということになっても困る、どちらかはわからない。しかし、打ったのなら、生命力につながることを自ら、今までより、つながることをご自身の意思で行っていくことが必要であると思いました。その一つは、施術ですが、それと同時に、むしろそれ以上にご自身の、意思やあり方のようなものがより大切になっていく時代に入っていると思います。もう引き返せない、時代。それは、どう言う時代か、どういう意思か。わたしの施術の世界で、ベーシック10シリーズを、施術を受けていただくとともに時期が来たら、お話をすることも、自然にそういった話になることが、多いですが、久しぶりに、開いた本に同じようなことが、書いてあった、以前読んだ時は気がつかず、読めもしなかった本。最後の方の章を、読む機会がありました。シェアしてみます。考えてみてください。**別の記事で後ほど抜粋して書いてみます。。。**それは、霊性であり、意思であり、生きることであり、”進化”である。ありがちなのは、個人のための生き方、感情、思い、想いその解決をしようと感情や思考の領域でウロウロしている。そこではない、ということ。我々に満ち、世界に見ていている霊性、生かしている力、ありかた、感情を解決しようとか、誰かのせいだとか、誰かに対して、感情にしがみつくとか、そうではないんですよー。感情、それは、ポジティブ、ネガティブ、関係ありません。霊性、それは世界に満ちる力植物を、人間を、岩を、風を。木に触れてみる

  • 21Aug
    • デイビッド・エイブラム

      ある音源を聴いていてデイビッド・エイブラムの名前が出てきて検索してみたら、以前検索してみたことのある方が出てきました。あー、この方か。。いくつかさらっとyoutubeの動画を見ていて、面白かった。こんな話が出てきました。(英語)センサリーアウェアネス身体感覚の知覚とワイルダネス(野性)人間の歴史とは人の歴史ではなくこの人類を含むすべての歴史地球に含まれるあらゆる生命体、非生命体の歴史。それが、我々のうちにある我々の外にもある、、カオス(ではない)自然の中、風、山、その動き、雷、雨。それらにも意識があり、動きがある。岩、植物、悲意識の存在、それらにも。ワイルダネスそれらや予知できない予想できない。例えば雨の雫が窓に伝う、、降りてくる、、右に行くのか、左に行くのかその次の瞬間どの方向にいくのか、予測できない、どんな軌跡を描くのか。そこに動きがあり、意識があり、我々人間に予知はできない。そこにあるのは、正確な規則ではなくコントロールもできない呼吸し息を吐いた風どのようなスパイラルを描いて広がっていくのか、コントロールも予測もできない。予知できない、それは、英語で言うとしたらカオスしかし、それは、カオス(混沌)ではないそこにあるのは、コントロールできないことコントロール?といっても、それは、「われわれの」コントロールの外にある、ということ。我々のコントロールできないところにある。それを。英語で表現できるとしたら”カオス”というしかないしかし、わたし(デイビッド・エイブラム)はそれをワイルダネス(野性)と呼ぼう。ワイルダネス我々のコントロールのないところそれは、山にあり、深い森にある。風にある。そして、それはこのシティにもある。このコンクリートの世界にも雨が窓を伝うようにワイルダネスはそこにある。次の瞬間はわからないそこに意識があり野生がある心臓のビートそれも人間には次の瞬間のどのタイミングかは正確にはわからない。何かに驚いた時、ビートは変わる。そこにもワイルダネスがある。どこにでも。(そう考えると、この今私たちがいるこの世界にもワイルだネスがあり、それにアクセスすることで正気を保てそうだ。)**人間は何万何千年もの歴史の中で野生にいた。そこには捕食動物がいたり危険があったり、目一杯の知覚を動員して生きてきた。あらゆる危険、あらゆる自然、生きていく。そのように、知覚し、身体感覚を持って世界と密接に完全に繋がっていた。われわれの神経システムはそのようにできている。美しいもの、それに、知覚する。危険に知覚する、風に、森に、、地球に。。。人間社会、関係性。現代人と人との関係性のなかであらゆるそれ以外を排除した世界で生きている。岩を、森を、風を、排除した世界、人と人との関係性、感情、もろもろ。相手に、もとめ、満たされず、依存し、混乱して、荒廃していく。あらゆる自然界の知覚でみたされるそれらを、人間関係によってのみ、相手によってのみ。満たそうとした時、絶対に、むり。あらゆる危険を、あらゆる美を、知覚している、その神経のシステム、知覚、それらを人間によってのみ埋めることはできない。相手にもとめ、みたされない、あたりまえ。相手に求め、個人の内側で、妄想や欲求が膨らみ歪な形で表れている依存。それを相手に人間に、対象にもとめても満たされるわけがない。自然に帰れ、自分に帰れ、生まれた時から、生まれる以前から自然に備わる完全な知覚と意識、だれかで埋めようとするな自立しろ。

    • 京都、新大阪のセッション

      2021年8月22日、京都8月23、24日、京都または新大阪でセッションを受け付けています。22日京都は14時半以降に空きがあります。24日新大阪は14時以降に空きがあります。(12時半でも調整可能です。)ホームページまたはメールからお問い合わせください。ロルフィング自分本来の自然な姿に還る施術。歪みは解放され、カラダが整います。私のロルフィングでは、服を着たまま受けられ、痛くはありません。www.rolfing-selfjourney.com

    • 日傘の画像

      日傘

      すごい日差しいたい!あつい、外に出るのが億劫でしたがこれはすごい、快適通り越して天国やー(?)でした。日傘ってこんなにすごいのね。初めて使いました。この日傘は石井スポーツで4千円弱、とても軽くてコンパクト、石井スポーツでヨドバシカメラのポイントカードが使えるようになってるらしく三百円くらいで買えました。

  • 26Jul
    • 3次元の外側に書かれた情報

      ゆらゆら〜。なんかマッタクよくわからんけど面白かった。3次元の外側の2次元に書かれた情報から作られたこの3次元の世界、、なんかシックリ来ない??(しらんけど)https://youtu.be/UXQPQVZOnncこの世界を支配する“もつれ”宇宙・物質・素粒子という、スケールが全く異なる分野をつなぐ、物理学の最先端トピックをご紹介する動画です。以下の物語もぜひ御覧ください(シリーズものではございませんので、独立にご視聴頂けます。)物語1 『トポロジカル物質と幻の粒子』https://youtu.be/YANX-MAy67c物語2 『手のひらの物質に生...youtu.be