春らしくなった3月の週末、ナンシー(NC750X)とともに埼玉北西部を走ります。
スタートは利根川河口から154km地点の、日本屈指の規模を誇る「利根大堰」です。
サケの遡上を間近で見られる大堰自然の観察室が、堰の魚道脇に併設されています。
利根川沿いに伸びるK59を西へと進めば、土手にはたくさんの菜の花が咲いています。
一直線に伸びる黄色い絨毯をまじかで見ようと、バイクを土手下に停めました。
空は薄雲が張っていますが、春らしい景色に、思わず笑顔になってしまいます。
熊谷市へと入ると、まずは「熊谷市立妻沼展示館」へと立ち寄りました。
ここには、かつて東武熊谷線を走っていたディーゼル車両が保管展示されています。
バイクを停めて、受付で鍵を借り、車両の中にも立ち入らせていただきました。
熊谷線で使用されていたキハ2000形ですが、屋根がついているため痛みは少ないです。
もともと第二次世界大戦末期の1943年、軍の命令で建設された路線です。
群馬県太田市の中島飛行機までの要員・資材輸送を目的にしていました。
なつかしい車両を見た後は、無料で見学できる展示館内にも入ってみることにします。
入口には、熊谷市出身の日本初の女性医師である荻野吟子さんの肖像画があります。
荻野さんについての説明は、以前ご紹介したこちらのレポートをご覧ください。
展示館には、先ほど説明した熊谷線の写真や資料などが多数保管されていました。
かつての蒸気機関車が鈍足で、乗客が列車を飛び降りて行ってしまったそうです。
そのため沿線乗客には揶揄混じりに「のろま線のカメ号」と呼ばれていました。
その他にも、この地域に由来する歴史的な資料類が複数展示されていました。
「聖天山真景」「草花奉納句額」「武芸」「花鳥能宇多」「韓信の股くぐり」
など、この地域出身の画家のすばらしい作品がいろいろと見られました。
続いてはK127を西へと進み、深谷市街にあるJR深谷駅へとやって起案した。
埼玉県北部の深谷は東京駅から約1.5時間、かつて赤レンガ造りで栄えた街です。
そんな深谷市の玄関である深谷駅が、東京駅とそっくりなのをご存知でしょうか。
深谷と言えばゆるキャラグランプリ2位の「ふっかちゃん」が有名です。
駅前には「ふっかちゃん」のからくり人形と、渋沢栄一氏の銅像がありました。
「日本近代社会の創造者」渋沢栄一氏は、今年7月から一万円札の図柄に登場します。
1914年に建てられた東京駅丸の内口駅舎には、深谷市製造のレンガが使われました。
そんな東京駅との繋がりから、1996年改修の際、東京駅を模して建てられました。
レンガパネル約50万個を使用して、改修にかかった費用は約35億円だそうです。
駅構内や周辺を散策してみましたが、渋沢栄一とふっかちゃんでいっぱいでした。
新一万円札の発行で、また深谷市が盛り上がるのは間違いありませんね。
ちなみに深谷市は県下有数の農業地帯で、深谷ねぎは日本一の出荷量を誇ります。
深谷駅を後にして、次はR17沿いにある「中宿歴史公園」へと移動しました。
中宿遺跡からは、奈良時代~平安時代に使われた大規模な倉庫群跡が発見されました。
古代榛沢郡の正倉と推定されており、県内初の調査例として話題を集めました。
1991年に行われた発掘調査により、16棟の柱跡が発見されています。
その内の規模の大きい2棟の倉庫を類推して、公園内に復元しています。
「道の駅おかべ」に隣接していて、物産センターや農産物特売所がありました。
※Part2へ続きます。
今日はここまでで終了です。
最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。
ではおやすみなさい(^^)。
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