かすみがうらツーリングPart4 | 生涯旅人の徒然日記

生涯旅人の徒然日記

気の向くまま走るバイクツーリングが好きです

3月とは言え、まだまだ寒い週末に霞ヶ浦の湖岸をせろおくんと周回してきました。

 

阿見町へ入ると、霞ヶ浦の向こう側に土浦の街並みが見えるようになります。

 

そしてやがて「阿見町 予科練 平和記念館」へとたどり着くことが出来ました。

 

 

ここは予科練の歴史や戦争の記録を保存、展示するとともに次世代伝え記念館です。

 

予科練の代名詞といえば、7つボタンで、これは「若鷲の歌」にも歌われています。

 

展示構成は、1.入隊、2.訓練、3.心情、4.飛翔、5.交流、6.窮迫、7.特攻の7つです。

 

 

阿見町には、東洋一の航空基地といわれた霞ヶ浦航空隊が設置されていました。

 

ここでは予科練に志願した少年たちの青春群像を通して、命と平和の尊さを学びます。

 

屋外には、記念館開館五周年記念事業にて復元された零戦が展示されていました。

 

 

昭和19年〜20年(終戦)まで、阿見町内で零戦を製造していたそうです。

 

群馬県から部品を調達し、中島飛行機が零戦の製造・組立てを行いました。

完成した零戦は霞ヶ浦飛行場まで運び、全国各地の航空隊へ納められたとのことです。

 

 

他にも大日本帝国海軍が開発した人間魚雷「回天」が展示されていました。

 

日本軍初の特攻兵器で、「天を回らし戦局を逆転させる」という意味だそうです。

 

終戦までに420基が生産されましたが、操作方法は搭乗員の技量次第でした。

 

 

平和記念館を後にしてK123をつくば方面へ向かい、霞ヶ浦とはお別れとなります。

 

続いて訪れたのは、上高津貝塚ふるさと歴史の広場の「土浦市立考古資料館」です。

 

上高津貝塚は、今から4000年から3000年前の縄文時代のムラのあとです。

 

 

縄文時代の後、晩期の大貝塚で土偶や腕輪、土器、骨角器が発掘されています。

 

国の史跡に指定されていますが、考古資料館にはそれらの出土品が展示されています。

 

また、縄文時代の生活や文化が理解できるような資料が展示されています。

 

 

「上高津貝塚縄文シアター」では、映像で縄文人の生活をのぞくことができます。

 

入館料は150円と、かなりお安くなっているので、見学して損はないと思います。

 

館内をひととおり見終えたら、次は屋外の広場のほうへ行ってみましょう。

 

 

屋外は公園として整備されており、ウォーキングや散歩にも良い場所です。

 

広場手前には、貝塚の成り立ちが観察できる貝層断面展示施設がありました。

 

広場の先には、復元された竪穴住居などがあるみたいなので、先へ進みます。

 

 

広場に出ると、広大な芝生エリアになっていて、親子連れが遊んだりしていました。

 

ここなら、子供も思いっきり走り回ることができますし、視界も良いので安心です。

 

その広場の向こう側に、復元された竪穴式住居の姿が見えてきました。

 

 

竪穴式住居は、地面を掘り下げた床、その中に掘立柱を建てて屋根を葺いた建物です。

 

主に住居ですが、それ以外の用途もあるため、「竪穴建物」と呼ぶ場合もあります。

 

ここの竪穴式住居は、内部にも入ることが出来て、当時の暮らしを体感できます。

 

 

そろそろ日も傾きだしたので、資料館を後にして、つくば市方面へと向かいます。

 

K55からR408を経てつくば市街を通り過ぎ、さらにK45で北上を続けます。

 

筑波山の姿を見ながらの走行となりますが、相変わらず吹く風は冷たいままです。

 

 

K55へと道を変えて小貝川の黒子橋でバイクを停め、筑波山方面を振り返ります。

 

霞ケ浦周辺では弱かった風が、徐々に強くなって、ますます寒さが増してきました。

 

休憩もほどほどに、引き続きK54で間々田方面へと、バイクを走らせていきます。

 

 

途中にセコマがあったので、立ち寄って北海道牛乳とエクレアのおやつタイムです。

 

他にも商品を仕入れましたが、詳しくは下記のレポートをご参照ください。

定期巡回してきました٩(ˊᗜˋ*)و | 生涯旅人の徒然日記 (ameblo.jp)

 

そして、この先も無事に走り切ることが出来て、帰宅となりました。

 

 

今回のレポートはここまでで終了です。
 

最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。

ではおやすみなさい(^^)。
 

 

【本日のルート】クリックするとGoogleMapが開きます。