寒風が吹く冬の週末ですが、抜けるような青空なので、近場へお出かけしてみます。
せろおくんに跨って、歴史の街でもある栃木市の名所を巡ってみることにしましょう。
スタートは、JR両毛線岩船駅近くにある「岩舟石の資料館」です。
資料館は無人でしたが、見学は無料でOKみたいなので、受付記入して入館します。
近くにある岩船山からは、江戸時代より岩舟石が採掘されるようになります。
軟らかく加工しやすい岩舟石は、関東一円に出荷、一大産業として栄華を極めました。
そんな岩船石で作られた資料館は、以前は採石業者の事業所として使われていました。
館内には、採石道具、岩舟石や町の歴史の解説板が並び、貴重な資料を見れます。
岩船石は古河城、旧栃木県庁の土台や、庁舎・堀等に使われています。
続いては、岩船石を切り出していた岩船山へと上ってみることにしましょう。
標高172.7メートルの山ですが、日本三大霊山のひとつにも数えられています。
山頂には高勝寺があるので、お参りしながら見学させていただきます。
8代将軍徳川吉宗によって諸堂の大改修が行われ、1751年に三重塔が建立されました。
「関東の高野山」と呼ばれ、岩船節と呼ばれる念仏が関東一円に流行したそうです。
1960年代までは、関東一円の人が高勝寺へ向かい、多くの人で賑わっていました。
今現在は、その当時の面影はありませんが、その分静かにお参りすることが出来ます。
こちらが高勝寺のシンボルである三重の塔ですが、県指定の文化財になっています。
今回はバイクで登りましたが、600段の階段を徒歩で登ることもできます。
次はぶどう畑の広がる道を通って、「栃木市おおひら歴史民俗資料館」につきました。
後ろに見える山が標高341メートルの太平山で、バイクで登ることが出来ます。
まずは資料館を見学してから、太平山へと上ってみることにしましょう。
バイクを停めて資料館入口へ歩くと、設備工事のため臨時休館の案内がありました。
これは残念!と思いましたが、よく見ると併設の郷土資料館は開館中でした。
それでは早速、受付で入場料100円を支払って、見学していくことにします。
郷土資料館では、江戸時代の大庄屋「白石家戸長屋敷」を一般公開しています。
白石家戸長屋敷は1818~1830に建てられた建物です。
木造平屋建、寄棟、茅葺、平入の母屋には上役専用の玄関や座敷が設けられています。
明治維新により幕藩体制が崩壊すると、白石家が戸長に任命されています。
敷地内には1000俵が収納可能の土蔵や、とても立派な長屋門などがあります。
昭和40年代までは、実際に住居として使われて、人が生活していたそうです。
屋敷の中へ入ってみましたが、馬小屋や竈のある台所、囲炉裏の部屋などがあります。
どこか懐かしい雰囲気もありつつ、当時の豪農の暮らしぶりが良く分かる展示です。
冷たく寒い風も、太平山に遮られてか、ここでは日差しがポカポカ暖かいです。
敷地内には大きくて立派な蔵もあり、使われていた農具などが展示されていました。
立派な茅葺の屋根は2012年に、葺き替え工事が行われたとのことです。
材料は渡良瀬遊水地のオギが使われ、萱は屋根に使われる植物の総称だそうです。
敷地内には離れ座敷があるのですが、1918年に皇族の宿泊に使われたそうです。
陸軍特別大演習の視察で、秩父宮親王殿下が、ここを訪れたということです。
ちなみに大本営は現栃木高校に置かれ、御野立場は錦着山に設けられたそうです。
資料館を後にして、次は予定通りに太平山へ登ってみることにします。
太平山の見所にひとつは、山の尾根にある謙信平と呼ばれる展望所からの眺めです。
全線舗装の林道をクネクネと上れば、土産物屋の並ぶ謙信平にたどり着きます。
さっそく展望台に上って、関東平野の眺めを楽しんでいくことにしましょう。
戦国時代、上杉謙信は太平山に登り、ここから南の関東平野を見渡したといわれます。
標高200mぐらいなのですが、関東平野が一望でき、陸の松島とも称されています。
※Part2へ続きます。
今日はここまでで終了です。
最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。
ではおやすみなさい(^^)。
【本日のルート】クリックするとGoogleMapが開きます。