鷹狩 | Tarih-i Bosna

Tarih-i Bosna

ボスニア近代史を中心に: 備忘録

J. Asboth: 1890: (=Prijedor)の上方にそびえる岩の隙間に数百羽の鷹が巣を成す。そこからバニャルカ近郊のベグ達が若い鷹を手に入れる。欧州では長らく廃れた、貴族の古き良き伝統の中で、ここに住む豊かなベグ達は依然として鷹狩という高貴なスポーツを奨励している。春が来る度に、幼鳥が連れ去られ、八月まで訓練される。そしてベグ達は仲間と共に駆け出し、鷹を追いかけ、彼らの助けで野鳩を狩るのだ。

 

ボスニア北部Prijedorでも鷹狩の為に鷹が捕獲されていたのは、今回初めて知った。

 

鷹狩というとボスナ川に面するMaglajの地名が直ぐに思い浮かぶ。但しMaglajの鷹狩は近代に消滅していく。鷹狩研究の出発点となり得る史料は旅行記なのだが、そこには大きな難点が存在する。旅行記自体の客観性という問題以前に、その地に「旅行」してくれない事にはどうにもならない。そしてMaglajが位置するボスナ川流域に関する旅行記は少ない。特に19世紀後半鉄道が近郊に敷設されたため通過点に過ぎなくなってしまった。事実20世紀初頭ハプスブルク帝国統治下のボスニアを旅行した日本人信夫淳平は、このルートを「月並み」と評して旅行していない。

Maglajを訪れたのは2012年。旧市街区の風景が、当時描かれたMaglajの風景と変わらないことに驚いたが。他方でMaglaj近郊の山は内戦時に多くの地雷が埋められたため立ち入り禁止という不愉快な変化も存在していた。

(ボスナ川より見るマグライ城)

(マグライ城より鷹が捕獲されていた北方を望む)