今回は、ダイヤ改定によって大きく変わる長野地区を重点的に回るつもりだったけど、せっかく広範囲が乗り放題なのだから、やっぱり他も攻めようと思い立ち、ならばとまた三陸鉄道へ行くことにしました。
というわけで、「はやぶさ」に乗って、盛岡へひとっ飛び。一瞬でこんな遠くまで来られちゃうのだから、これはクセになります。
盛岡からは山田線の快速「リアス」に乗り換えて宮古へ。ついこの前も同じコースを辿っているので新鮮味には欠けます。それに「18きっぷ」シーズンに入ったからか、「リアス」も立ち客が出るくらい混んでいて、やや興醒めの感も。
宮古から乗り換えた三陸鉄道「北リアス線」も混んでいて、がら空きだった前回とは雲泥の差です。でもこの方が何だか安心する想いも。
なお、今回は途中の駅でもちょくちょく降りてみるつもり。ということで、まずは国鉄久慈線時代の終着駅、普代で下車。元終着駅らしく、どっしりと構えた駅舎には観光案内所も併設。待合室には震災当時のパネルも展示してあります。
折り返しとなる列車に乗り、次は島越で降りてみます。震災当時は壊滅的な被害を受けた駅ですが、今はとてもきれいに整地されました。
観光案内を兼ねた駅舎も完成し、のんびり列車を待つには最適な環境が整っています。津波で周囲はほとんど何もなくなってしまったけれど、こうして駅があるだけでとても心強く思えます。
駅からも見える海までは歩いてすぐ。震災当時は凄まじい牙を剥いたというのが信じられないほどの青く澄んだ海です。
列車が来たので島越を後にします。時間になれば必ず列車がやって来るという当たり前のことが、とても尊いことのように思えてしまいます。
次に降りたのは田野畑。昨年の全線復旧までは、ここで代行バスに乗り換えとなっていました。
喫茶を兼ねた田野畑の駅舎は、洒落た造りで居心地がよく、「新・鉄子」でも訪れたため懐かしい思い出がいっぱいです。
駅を出て海の方へ行くと、何やら取り残された車両のような物が見えてきて、ちょっとびっくりします。
でも近づいてみると、水門の上に置かれた車両の形をしたモニュメントであることがわかり、少しホッとします。
駅前の海は穏やかな漁港となっています。でもここも震災当時は荒れ狂う海へと変貌し、壊滅的なダメージに。
だいぶ陽も暮れかけて来ましたが、引き続き宮古方面へ引き返します。
昼間は混んだ車内も、さすがにこの時間になると観光客はもうほとんど居なくなり、おかげでとてもマッタリとしたひと時が過ごせます。まだ何とか景色も楽しめ、どんどん暗くなって行く道中というのも独特の雰囲気があっていいですね。
ナント途中の田老から、三鉄の望月社長が乗って来られまして、せっかくだからと記念にパチリ。その後二人で新たな貸切イベントについて盛り上がり。とっても気さくな方ですぞ。その節は大変お世話になりました。
宮古に戻って来ました。このまま盛岡へ抜ければまだ今日中に帰ることができるけれど、今日はこっちに泊まることにしています。
宮古では、三鉄の富手部長とバッタリ。これまたその節は大変お世話になりました。ということで、またまたパチリ。実は何気に同い年だったりして。
今回三鉄に来たのは、夜の雰囲気も味わってみたかったというのも理由の一つ。ということで、もう一度久慈に向けて折り返します。
もともとトンネルが多い車窓ですが、トンネルを抜けても真っ暗というのもまたオツなもの。がら空きの車内と相まって、とても幻想的なムードに包まれます。これはたまらん。
すれ違いのため、数分程度停車する駅もいくつか。真っ暗なホームにしばし降り立ち、不気味なほどに静まり返った無人駅をじっくり堪能してみます。ホント、たまりません。
終点の久慈に到着。いやあ、ホント、最高に贅沢なひと時となりました。夜は夜で穴場かもしれませんね。
そのまま八戸線の終列車に乗り換え。引き続き今度は40系による夜間走行を楽しんでみます。
もともと少なかった乗客は、途中で全て居なくなり、貸切状態での走行となりました。もはやこれ以上の贅沢はないと言ってもいいくらいな。
途中の階上で対向列車との待ち合わせのため数分間の停車。闇夜に響き渡るアイドリング音がまたたまりませんね。
町の灯りが鮮明になってくると、ようやく終点の八戸に到着。深夜の40系の走行というのもまた格別でした。今夜はこのまま八戸に泊まります。
東京 8:20(新幹線「はやぶさ5号」)→ 10:31 盛岡 11:07(快速「リアス」)→ 13:06 宮古 13:15 → 14:12 普代 14:49 → 15:03 島越 15:51 → 15:55 田野畑 16:54 → 17:43 宮古 18:17 → 19:58 久慈 20:20 → 22:07 八戸