養成講座3 妄想の『稲作渡来民』7 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<サルソン>

少し早く天神に着いたので、少し街をぶらつく。


確かこの餃子の店は昔からあったような?  昔、大学院生の時、行っていた店はほぼ無くなってしまったけど…


今夜は常連さんばかりだと思ったら、超久しぶりの人も。


2時間弱でしたが、沢山踊れました。満足満足。脚がガクガク状態で帰宅爆笑




<歴史サポーター養成講座3>

宇美町は福岡にある22件の指定・登録文化財のうち、15件が位置する。


令和4年に申請して令和7年に宇美八幡宮建造物が国登録有形文化財に選ばれた。全国に14,630件あり、県内では250件。


八幡宮は史書にはAD970年からある事が記載されている。


本殿と拝殿の間に神と人の接点の場所、幣殿がある。此処は江戸時代の絵図から、後で付け加えられたと考えられる。


本殿は檜皮葺き、平殿と拝殿は銅板葺。建設や修復の記録として木製の棟札が屋根裏に保管されていた。最古の現物は江戸時代、AD1646年、165cmの大きさ。史書にはAD1473年のコピーが現存。


棟札を赤外線スキャンで解読可能となった。<後から個人的質問で『墨書』が決定的だった事を確認。


責任者は全て寺の住職名。<これこそ、本来は【神仏混交】だった事の明確な証拠❗️ これが明治に乱暴にも壊された。


かっては楼閣が手前にあった事が中世の絵図からわかるが、江戸初期以来、再建されなかった。尚、建物としては聖母宮が最古。


絵図の記入から分かる事。

光正寺はもともと香正寺、

(大)明神坂が大名坂へ、

早見川が宇美川 <史料あり


その他、様々な神功皇后伝説から取られた地名が宇美町には多い。


皇后と関連する河童伝説*が多い。


*演者は何も説明されなかったがこれは敵味方双方に水軍が居たからでは?


告知:

 10/3~4 熊本城ホールで「お城EXPO」あり。宇美は最古の城、大野城を持ち参加。




『稲作渡来民』7 或いは大胆仮説。独断と偏見とも言う爆笑てへぺろグラサン


著者は水耕稲作は高度な土木技術と大規模工事を必要とするので小集団の漂流や偶発的渡海では成立しないと考えている。p144    


これに関しては多くの研究者が同意している。


話を遡って、縄文時代前期の集落では10人程度。中期では20~30人程度と考古学的資料より推計されている。p143


それが、奈良時代の関東の縄文時代の生活をする集落では170人と推計された。 即ち、これが狩猟採取生活の場合の【限界】だとする。p146


此処からは独断と偏見による、個人的な大胆な考え爆笑てへぺろ

……………


上記の解釈の他に、そもそもヒト種では何らかの社会の変革がない限り、社会集団の人口サイズは200人を越えない可能性がある。


それより1桁大きい社会、例えば1,000人の人口を持つ集落になると、ヒト種の本能として『分裂する』と言う仮説だ。


あの名著『人はなぜ憎しみあうのか』から来たアイデア爆笑グラサン


此処に何らの『印』を作り、仲間として相互関係を創る事によって初めて <大きなグループ> を形成出来、そうして初めて大規模な土木工事をを伴う様な水耕稲作へ転換出来るとの仮説だ❗️


つまり、水耕稲作はこうした【社会改革】抜きでは移行出来ないとの考え。つまり、


水耕稲作で巨大な社会が初めて生まれたと言う『原因と結果を逆転』させ、


巨大な社会を創れる【社会改革を成功させた集団のみが水耕稲作へ入れた】と言う仮説びっくりてへぺろ


素人のムチャムチャ仮説。

いや検証出来ないから妄想爆笑てへぺろ