今日は獣医時代の同門会で、早朝から宮崎行き。そんな訳で勉強無しになります
<返事が来た!>
以下の概数についての質問してみた。
私の計算。
『5千万人とは本当か❓どう出したのか? 実際調べたら、当時の人口は540万人だとする。古墳時代は400年位続くので平均世代20年として、20世代位? なら540 × 20 = 1億800万人?』
返事
簡単に概算の根拠を本に書いてもらえば良かったのだが、常に疑問を持つのが習慣になっている者には、ポンと数字を出されてもなかなか素通り出来ない
15歳以上の平均余命を取るところ等、流石ですね

『前方後円墳』7
考古学研究の弱さとして、野戦の証拠は得ることが困難。致命傷となる腹部、胸部の殺傷痕は困難。p130
それでも、弥生時代の殺傷痕に比べ古墳時代は少ないとか。p131
これは古墳造営に見られるような、【圧倒的な力】の存在を示されたことがあるのでは?
その意味でも、最近のDNA考古学から伺える古墳時代に中国からの圧倒的な文化と武力 (なんせ戦い慣れている!) を持つ集団の存在が浮かび上がるのでは?
前方後円墳は航海の陸標としても機能したと言う。p138
地元の光正寺古墳も宇美川を遡上する際に左手(北)にその姿がはっきり見えた筈。かつては敷石が輝いていたので、今より遥かに目立っていた筈。
上の写真、右側400m先に宇美川が流れ、標高42mの古墳は川の標高?26mとすると16m高い。当時は遮る建物は無かったので良く見えただろう。
次の章の「古墳の階層構成」は専門的過ぎて十分に理解できず。ただ此処でも前方後円墳が交通上の起点、要所に造営されたことが議論されていた。p166
また、同時に王の在位期間と建設にかかる期間などから古墳は重複かつ【継続的】的に建設されただろうとの事=先のメンデルスゾーン仮説。
この事は【階層秩序】を明示装置として、また【資源配分のコントロール装置】としても機能したと著者は言う。


