投資 & 『イブン・バットゥータの世界大旅行』6 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

今夜はSalson、楽しみだ爆笑ウインク

 

 

 

 

<自治体の生き残り>

人口減少を踏まえ、「現在1700以上ある自治体は300から400で済む」などと持論を展開したという、村上総務大臣は正しい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/eb1bbedc5accf9753c90036b7937efb53153baa3

 

そうした現実に面と向かおうとしない、野党はあてにならない。地元の自治体でもその傾向がある。そうした現実は少し真面目に社会を見ればわかるもの。野党は判らないのか? 「反対」だけ叫んで万年野党で居ればいい

 

公共交通やインフラ整備、保守は荷が重すぎる自治体は存在する。いつも話題にするが、山の上の地元の団地では高齢化が進み、公共交通機関に高齢世帯が多数依存するがバスは段々減少気味。それで今では地域・時間限定の乗り合いバス「のるーと」がスタートした。

 

これを広域化して事実上のライドシェアーに持ってくことを画策したいと考えている。残された時間はそれ程多くない。

 

そういえば隣の、隣の御宅の前には昨日もタクシーが止まっていた。かつて、ご本人自身の口から「買い物難民」だと自嘲気味に話された。

 

 

 

 

 

<投資>

一度も「投資」など現役時代に考えたことがない。仕事が全てで、経済知識が無かったから。つまり教育を受けたことがないし、それだけの「資産が無かった」から。いや、基本家庭は母子家庭で「貧困層」だったから。

https://www.youtube.com/watch?v=O9fcd6W7OOg

 

だから別に「投資が悪い」など思ったことがない。投資も勉強しないと出来ないはず。 だけど、格差がある程度極端に広がると、スレショッドがあり、「革命が起こり」社会が崩壊するから。

https://www.youtube.com/watch?v=DFO1lD3ZLKw

 

それぞれの考えがどうであれ、これが議論できるようになったのはマスコミではなくSNSさまさま


個人的には総合課税に賛成。

 

正直に言えば、年収1千万の壁を超えたのは最後の職場に移ってから。はい、私は基本投資など出来る立場ではなかった笑い泣きえーん 

 

でも、「好きな事出来た」人生だったので、ま、いいかな⁇

 

 

 

 

 

<おめでとうベル君>

爆笑おめでとう㊗️🎊

 

 

 

 

『イブン・バットゥータの世界大旅行』6

紅海を渡れず、シリアまでの遠回りをしたバットゥータが最初にメッカに到着したのは故郷、モロッコのタンジールを出て1年4ヶ月後だという。(1326年10月)大変な旅だが、この間彼は多くの権力者を訪問し、かつそれなりの待遇を受け、かつ2回の結婚(1回の離婚)を経験している。若者だったにもかかわらず、かなりの地位を得ていたことが分かる。p131

 

1回目のメッカ巡礼後に彼はイラクを歴訪し半年後に再度メッカを訪れ、3年間(1327〜30年)にわたって寄留者として滞在したとか。その後、インド行きを計画するも風の時期を逃し、逆にアフリカ東海岸を歴訪後、三回目のメッカ巡礼を果たす。p133

 

まず、1回目のメッカ巡礼後の旅については1326年にバグダットに向かうキャラバンに同行した。この旅は、その以前の多くの巡礼記(特にイブン・ジュバイル)にあることから、それに従った可能性が高いとか。p136

 

この巡礼キャラバン隊は「動く巨大な市場」とも喩えられ通り、周辺の遊牧民が隊に集まり取引を行う。遊牧民から食料、ラクダなどのキャラバンに必要な品物に対し、隊は布地、衣服が提供されたとか。ここでも巡礼が同時に交易であることが分かる。p138

 

彼はバクダットに向かわず、途中からバスラ経由でイラクへの道をとる。途中、ペルシャ湾の海路を取りつつ、内陸のイスタファーンに向かう。p145

 

その後も、イラン南部を旅しシーラーズまで旅する。その後、バクダットに向かったキャラバン隊と別れたナジャフの近くに位置する、イラクのクーファに戻る。p148

 

バクダットまで行き、さらにモスルを経由してイラクの北西部を旅位する。その後、引き返してバクダットから再度、1327年メッカを目指し(二回目の巡礼)1328年のメッカ巡礼大祭に参加後、更に1年を寄留者として過ごしたが、ここで内乱のような事件が起こり、それを避ける為、1230年イエメンに向かう。p151