木曜病発症。土曜の補習決定![]()
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運動は普通にできるのだが![]()
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4.7km、7,414歩、6階分。
昨夜の振り付けも超〜難解。落ちこぼれながらも、最大限、体と頭を使うことでボケ予防に効果あるはず!![]()
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<今朝のWorld Newsから>
イギリスBBC:ウクライナ、クリスマスを12/25に変更(正教は1月のユリウス歴)
シンガポールCAN:ベトナム、サイバー規制。
中国香港:インドネシアでの中国製高速鉄道開口。/ブラジルで中国人、BYD工場で強制労働。/ペルー最大貿易相手国としての中国>開港
タイMCOT:違法薬物摘発。タオルに覚せい剤を吸わせる方法。
ベトナムVTV:ノルウェーに次ぐ世界第二の海産物輸出国となる80億ドル>中国、日本へ輸出。米輸出は世界第3位。
オーストラリアABC:ビクトリア州で山火事継続。
カタール、アルジャジーラ:ガザの1割が死傷、拘束されている。
ドイツZDF:マルデブルグ、テロ続報>分断でなく団結を訴える。
ドイツARD:ロシア、ウクライナのエネルギー施設爆撃
各局でカザフスタン航空の墜落ニュース。たまたま撮られた墜落動画の激しさに比べ、多くの生存者がいることにむしろ驚く。
今年のクリスマスは暗い![]()
<清という時代>
先日『人口の中国史』を漸く読み上げたが、引き続き『阿片の中国史』という本を読み始めた。同じような題名だが、それだけではない。共に興味の中心が清朝にあるという点で共通点がある。
『人口の中国史』は必ずしも清朝に限定した話ではなく通史だが、最大の注目点として何故、清代に人口の急増が見られたのかという点があった。あの本の中でその謎が必ずしも明快に解けたわけではないが、それでも様々な社会構造の変化が複雑に絡まって中国史上極めて特異な現象を引き起こしたと感じている。
今度の本も(初版は2005年)この清代に注目する。カバーの部分の言葉に以下のようなものがある。
『阿片という麻薬に、これほど蹂躙された国は、世界史の中でも例がない… なぜ、超大国、清がいとも簡単に阿片に侵されてしまったのか…』
因みに中国に初めて阿片が伝わったのは唐代らしい。その頃はまだ麻薬としては影響を与えていない。p19 さらに下って明代、16世紀に書かれた『本草綱目』には載っているが麻薬としては注目されていない。p29
どうやらその「魔」の魅了が世間に広く伝わるのは清代、乾隆帝の時代からのよう。p36 そう! その頃から中国の人口は猛烈に増加する時代の始まりの時。
たまたまなのか、あるいは裏に隠された共通項が存在するのか? さて、どうだろう?![]()
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『人口の中国史』8
これまでのところを頭の整理として纏めると、明代は「銀」貨幣経済から現物と徴用の経済に戻るため戸口を厳密に調査した。しかし石見銀山からの流入もあり段々元の貨幣経済に戻り16世紀に人頭税と土地税を銀で一括徴収する制度に「丁銀」を経て「一条鞭法」に変わり人口を正確に把握することが難しくなる。
清代になると再度、人口の把握が求められる。それで人頭税を廃止して土地税に一本化して税逃れのための「闇人口」を減らした「保甲制」を導入した。
以上の記載で間違いがあれば是非、コメント希望。
いずれにせよ、清代の人口急増はすざましい。推定ではあるが1705年の1億5千万から1775年の70年間に2億5千万人ほどに1.7倍近く増加している。p143
更に1821年には3億7千万人。1953年には5億1千万人を超え。現在は12億だ。
ここから特に四川に注目すると、17世紀にはペスト、飢餓、戦乱で人口は流出が激しく激減していた。この頃の人口は明代末期、17世紀初めの600万人から1680年には何と50万人まで、1割を切ったとか! p148
それで清朝は四川に人を呼び戻す政策をとる。この四川移民の話がこの後続く。1767年には飽和状態になり、移民制限に動く。p152
同様に雲南も人口増加が起こった。戸籍によれば1776年の人口は800万人で1749年、わずか27年前の4倍。これは自然増では説明できないとし、移民とそれまで把握されていなかった先住民によるとする。p154
更に鉱物資源(特に銅)の豊かな雲南に人は流れていったのも原因の1つとする。p158
