本日は臨時オフ日
『大学的 福岡・太宰府ガイド』5
史料によれば道真没後数十年(10c)にして造像が始まったとか。但し現存するのは14世紀以降らしい。最初は怨霊として、その後に学問文化の神様として。p186
更に、当時新興宗教であった禅宗により、p199「渡唐天神」に代表されるような禅宗広告塔(学問の)として使われるようになったとも。p196
勿論、これは創作だが、画風も変わる。道服、仙冠、ポシェット、梅の枝の4点セット。p197
此処らにも神仏道混淆が見られる。これが本来の姿だとも思う。
ところで天満宮の傍に禅寺、光明寺がある。ここは明治の廃仏棄釈で安楽寺が廃絶される時も学問の神様の広告塔に使っただけの禅宗ということで免れた。p200
ここらにそれぞれの宗派の戦略?というか運命を感じる。
九州国立博物館の用地5万坪は天満宮が寄付したとか。p226
先の観世音寺は九州西国霊場の33札所の結縁の寺、33番札所。p230 最近の観光客はこの寺を素通りして比較的新しい天満宮に行く。著者の1人はこのことを指して『勿体無いことだ』という。p238
大丈夫ですよ、地元民ははっきり観世音寺の価値を感じていますから!
これまでも話題にした通り、明治の廃仏棄釈で天満宮は太宰府神社と改名された。これは天満宮にとって甚だ遺憾なもので、復帰の動きは明治時代からあったようだ。しかしそれが実現するには国家神道の軛がなくなる戦後まで待たねばならない。
1952年(S27)に天満宮の1050年大祭を前に運動が実り、昭和22年にようやく天満宮に名前が戻った。最近の話である。p252
初めて知った!