DX化 & 『半導体戦争』7 | Hiroshiのブログ

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<読書三昧の1日>

土曜は「遊び倒す」と言いつつ、Salsonに出かけるまで自宅で読書三昧。数日前から読み始めた内田樹著の『コロナ後の世界』を読み上げ、更に『いちばんやさしいDXの教本』を読み始めた。

 

クーラーの効いた部屋の中でなくても快適に過ごせるまで気温が下がり、寧ろ外気にあたる方が清々しい時期になった。但し、蚊取り線香は必要。

 

『コロナ後の世界』の一部は既に読んだことのある文章もあったので、特に改めて感じることがない場合は流し読みした。一方、『いちばんやさしいDXの教本』の方は、読んだ範囲では(64章のうち、最初の12章まで)それ程特別なことが書かれているわけではなかった。寧ろ自分なりにこれまでやってきたDX化でこの本に書かれている内容の、

 

<何処まで出来、何処から先はできなかったか> 

 

検証する点に重点を置いて読んでいった。これまでやってきたことというのは、かつての職場と、リタイヤ後2年間館長を引き受けた自治公民館でのDX化だ。そこで分かったことは、

 

『出来たことは個人的権限の及ぶ範囲。出来なかったことは権限がなかった範囲』

 

つまり結論として、

 

リーダーがDX化の主導権を取らないと変革は難しい

 

というものだ。さて、他ではどうなのだろう? 

 

 

夕方、何時もより少し早く天神に向かう。随分暮れるのが早くなった。人出はb4 Coronaまでに回復、マスク姿も無し。週末夜の天神に繰り出す人は既に「コロナの自縛」から自由になったみたいだニコニコ

 

2時間ほど、ほぼフロアー全員の女性と踊ったが、一人早く帰られた中南米系と思われる女性と踊れなかったのが残念。それにしても、新しい技を実用化するのは難しい。フロアーでは相手が振り付けを知っているわけではないので、キチンとリードしないといけない。修行が必要。でも、皆さん優しい。「迷いました」と謝ると笑顔で許してくださる。クラスでは厳しく指導する方もおられるようですがえーんえーん

 

さて、今日も午後からスマホ学習会だが、今回も別にテーマはない。やり尽くした感じ。

 

 

 

 

『半導体戦争』7

ベトナム戦争時代、真空管を使った誘導式ミサイルの命中率は1割だったとか。p208

 

80年代、日本のニコン、キャノンそれにオランダのASMLはフォト・リソグラフィーのシェアーを分けあっていた。p212 やがて、日本勢が遅れをとる事態が起こるが、それには日米貿易戦争が絡んでいる。一方のオランダは中立国とされ、制裁なく漁夫の利を得たという。p256 それについてはまた後で議論する。

 

1976年にTSMCの創立者、モリス・チャンは最近流行の「ファブレス企業」のアイデアを持っていた。つまり設計は別の企業で、生産をだけを受託するアイデアだ。それには先の設計が半ば自動的に回路を設計するプログラミングの進歩がある。即ち、半導体設計を標準化、自動化できれば様々な設計に特化できる企業が存在しうるということ。p196、p233

 

しかしこのアイデアはチャンが当時勤めていたテキサス・インスツルメントでは採用されなかった。そして、そのアイデアに飛びついたのが台湾の政府。台湾はTSMC開業資金の48%を提供し、優遇税制も準備した。更に台湾の資産家にも投資への圧力を変えたという。 著者はTSMCは台湾政府のプロジェクトだとする。p234 ここに台湾政府の戦略を見る。

 

サンタクララにインテルの本社があるらしい。p252  それは知らなかった。

 

サンタクララは住んでいたパロアルトから遠くはないが、あまり行く機会はなかった。サンタクララ州立(訂正、コミュニティカレッジ)大学に1度行ったくらいか? 月1回は行っていたモントレーに行く時は大抵、山越えルートかサラトガ、ロスガトス経由で市内の混雑を避けていた。