<数値目標>
https://www.youtube.com/watch?v=RBvTiSELGqs&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=6
HSK2 #4~#6 背了四十分钟单词。
https://www.youtube.com/watch?v=VapKgpcPzps
看了十三分钟興梠一郎频道。
https://www.youtube.com/watch?v=Vb4-mHZcLvo
誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,0~46min 听写一个小时。
https://www.youtube.com/watch?v=cInuJnHPRS8
BS11,看了半小时中国経済报告。
https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk
【完全版1~1200】HSK5,1h45min~1h51min,0.75速度,x2,背了半小时单词
https://www.youtube.com/watch?v=QdbFpe4SUC4&list=PL9C3D1AAF2BEA5F2D&index=18
カエル、16~18,学习十五分钟汉语文法。
https://www.youtube.com/watch?v=9FH02hSAlMI
エリの中国語研究室,学习十三分钟汉语。一共三个小时二十一分钟。
运动;Salsa派对![]()
(计划)
(Isla de Salsa Warm up party)
昨日は半世紀ぶりに親戚の人と会う。たまたま電話番号を親戚から聞き、九州から遠方に転勤するというので是非会いたいと。正に50年ぶりくらいだが面影が残っていて春日駅の改札口で待ち合わせたが直ぐ気がつく。
西鉄春日駅は初めて行ったが、直ぐ隣にイオンのショッパーズセンター?があり便利。
スマホの案内に従うが、ちょっと古い情報で入口が違う。1ブロック先で曲がらないといけない。
巨大な立体駐車場を持つイオンの駐車場に入れたが、最初の2時間は無料で、店内で買い物をすればレシートを見せるだけで追加の2時間も無料。これは良い。気分転換で新たな買い物場所としてここも選択肢に入るかも? 但し、片道30分弱、その他のモールよりちょっと遠いのが難点。
3時間ほどレストランで会話、LINEを交換し、今後連絡しあうことで別れた。
<初めて聞く国名>
ランチ時のニュースで初めてブルキナ・ファソという国名を聞く。ここもフランスの旧植民地。彼らにとって自由主義社会など信頼するに足らぬ存在。
<地球タクシー>
外出から帰宅後、「キングストンを走る」の最後の部分、15分程度だけ観た。
ジャマイカの首都。あのレゲエの神様、ボブ・マリーが歌うキングストンの街を走るタクシー。街を走るのは見たところ全て日本車だった。
逞しく働く、シングルマザーのタクシードライバー。いいね〜。
<原発処理水情報>
リアルタイムの情報を公表すべき
https://fukushima-updates.reconstruction.go.jp
成分
東アジア原発からでる放射能廃液比較
中国は普通の廃液ではなく、事故廃液なので同列に比較出来ないと言う。確かに、その理屈、それなりの筋が通っている。
それにしても、完璧に安全を確保したと言いつつ、素人でも気づく欠陥(=予備電源の不備)を放置した東電。また、それを認可した日本政府。それを今、信じろと言われても。それは無理でしょう!
『NATOを知るための71章』7
国際テロについての意識は欧米で微妙に違っていたという。米英はNATOのアフガニスタン他の域外での活動を求め、独仏はロシアとの協力推進という方向。
さらに、2003年に「バラ革命」と呼ばれる民主化運動が起こったジョージアは2008年にロシアが武力介入した。これはロシアに警戒感を持つポーランドやバルト三国は逆にNATOに領域防衛という本来の任務に集中することを求めた。p143
ここにリビア空爆が起こる。カダフィー側からNATO諸国に脅威を与えるような攻撃は考えにくかった。事実NATO側の戦死者はゼロ。そしてカダフィー政権は倒された。この際、こうした疑惑を表すように参加したNATO諸国は全28か国のうち6か国で、1か国はその後、参加を打ち切った。p148
イラク戦争でも独仏は参戦に反対しNATOとしての参戦はなかった。p148
実際、多くのイスラーム研究者はイラクの世俗的なバース党が当時敵対的だったアルカイダ等の原理主義的組織との共闘の可能性は希薄だと主張していたことを覚えている。結局、2011年NATOがイラクでの任務を終えてからイスラーム国(IS)が支配を拡大した。後にこれに対応するのは有志連合。
ジョージアに遅れること1年、2004年に「オレンジ革命」が起こったウクライナは現在のロシアの侵攻の状況にある。
アメリカも前クリントン、オバマ大統領を代表としてNATO拡大に慎重的な場合もあった。
1993年、チェコスロバキアがチェコとスロバキアに分かれたことから国際政治の力学が変わったという。p163
つまり旧ソ連とチェコの間にスロバキアという緩衝地帯が生まれたことから1999年ポーランド、ハンガリーと共にNATO加盟を実現した。またスロバキアも遅れること2004年にNATO加盟を実現した。この間には2001年の9−11による米ロの「テロとの戦い」における緊張緩和があったのだろう。




