<昨夜のSalson>
沢山の初めての人と踊れて満足。ただ1人、小柄で綺麗で上手な人と踊れなかったのがチョット心残り。9時すぎには帰られたのでチャンスを逃した。また、来られるかな? 尚、初心者の人も2名ほど。
時間を遡り、8時過ぎ、何時もの激安駐車場に行くと満車、諦めて別の駐車場にUターンしようとするとちょうど出てくる車に出会い、そのまま元に戻ってセーフ。ラッキー ようやくB4 Coronaに戻ってきた♪ 因みに2時間以内で出たので100円です!!! 2時間フルに踊れば十分な高齢者(汗)
その駐車場からダンスホールまでの5分弱の徒歩途中でマスク姿の人は1割以下で15名のみ(少ないので数えることが出来た)ダンスホールは1名? 途中で流石に外されたみたいだ。帰り10時の時点で街中は5名。
コロナの前後での変化として、レンタルオフィスがダンスホールの近所に出来ていた。リモート仕事が増えたからか?今後はどうなるのだろう? オンラインでできる仕事はワザワザ街中にオフィスを構える必要はない。下の写真の右下にwe works の字見えますかな?
日曜朝から町内の清掃作業が予定されているので10時前には帰宅。ま、いずれにしろ、最終は11時までになりましたけど。
<サプライチェーンからバリューチェーン>
先日から中断していた『物流の世界史』をまた、読み始めている。そして今、2008年のリーマンショックのところに入ってきたのだが。それを読みながら意識は目下のコロナ禍に及んだ。
今から書くことはあくまで自分の妄想で、『物流の世界史』で語られていることではないし、理解が間違っている可能性も高い。しかし、この時点で自分の考えを纏めてみるべきだと考えた。
金融機関はサブプライムローンのような欠陥商品(=腐った肉)を積み上げたサンドイッチの塔(←これは私のイメージで上にプライムローン、下にサブプライムローン)を世界中に売りに出した。購入した者もこのサンドイッチの適当な部分を切り出し、また別のサンドイッチの塔に割り込ませ再販した。そのうち、サンドイッチのどの部分に腐った肉があるのか、誰もわからない状態になった。
突然、腐った肉の情報が流されると誰もが自分のサンドイッチに腐った肉が混じっているかもしれないと思い、食べるをやめた。大部分が問題のないサンドイッチだとしてもだ。これが私の2008年のリーマンショック、サブプライムローン破綻のイメージである。多分、それほど誤った認識ではないと思う。
さて、これからが私の「妄想の世界」。
それまでのサプライチェーンは大企業による垂直統合がメインだったので、下請け、孫請けまで大企業の目(指導)が届いた。しかし、21世紀に入り物流コストの低下と貿易障壁が著しく低下したことでバリューチェーンに進化した。つまり、下請け、孫請けの関係から、一番安価な商品を売る部品企業なら何処からでも調達するようになり、垂直統合型のサプライチェーンは時代遅れのものと考えられるようになった。
ここで疫病、コロナの突然の登場である。物理的に物流が制限された。勿論、移動するのは「物」であり「人」ではないから基本的にコロナウイルスが運ばれるわけではないが、(生体膜を持つコロナ類系ウイルスが活性を維持したまま付着して世界に運ばれるという状況は長年、ウイルスの保存*に神経をとがらせていた者の立場から言えば「考えにくい」)事実上物流が止まった。
*零下80度以下に急速冷凍しないといけない。しかもその際、DMSOを加え、水の結晶構造変化を最低限に抑える必要がある。
2008年は金融で起こった停滞が2018年から物流で起こった。さらにそれだけではない。それまで多くの人が意識していなかった複雑性、不明瞭性が明らかとなった。ある製品、それはもしかすると国家のセキュリティー上極めて重要な製品が、中国の小さな部品工場で、あるいはIT企業で作られたものだということが陽の下に晒された。これは物流が止まったことで初めて多くの人が気がついた。 あのマスク不足が良い例。国産のマスクがなく、殆ど中国製だという事実を改めて知った。
これって「危険じゃない!」て、声が上がる。当然だろう。だから、コロナはその意味で、それまで一部の世界で囁かれていた事実を政治的に表舞台に引きずり出した。だから最初はデカップリングが声を大にして叫ばれた。しかし、よく実態をみれば、それはバリューチェーンが大規模に組み込まれた現代では無理。ではどうするか? 重要と思われる、部分だけチェーンから切り離そう、そうデリスキングに世界は向かっているのだ。
以上、私の独断と偏見、妄想の世界の話。 訂正、批判のコメント切望!
<自治体活動>
さて、これから町内清掃活動。1時間頑張ろう。
『人類学的思考で…』6
第四章は『金融危機』。舞台は2005年のフォーラム、まだリーマンショックの前。このフォーラムは著者にとってタジクの村と同じだったとか。つまり、CDO(債務担保保証券)やCDS(クレジットデフォルトスワップ)の略号で何を彼らが言っているのか判らなかったからだと。p118
こう聞くと私も安心する。以前同じ思いになったからだ。リーマンショックを題材にした『世紀の空売り』を読んだ時、自分なりに図示して理解しようと努力した。特にCDSでは自作の「タワーの絵」**が理解に役立った。信用のある債権から信用のない債権までを積み上げたタワーだ。その絵も前のblogと共に失われた(涙)
**上のメモでは「サンドイッチの塔」と表現した。
しかし著者はこの会合が集団の社会的絆と世界観を共有強化するための儀礼と変わらないと論破する。何故なら、その世界を上手に描き説明する能力を彼らが十分に持っていないようだからだ。
驚くべきことに、著者の言葉によれば『インサンダーにとって自らの世界の包括的「地図」を描くのが難しかった』という事実による。p126
そして、そのことは2008年に実証される。つまりグリーンスパンがリーマンショック後に『この仕組みには、恐ろしい「欠陥」がある』と述べたことに象徴される。p120
著者は、CDO(債務担保保証券)を以下のように例える。「肉(債務)の塊を切り刻み、色々な味付けをして新たな箱(CDO)につめて世界中に販売する。買い手は時にその箱の中身をさらに切り刻み新たなシチューをこしらえる。
CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)については競馬を例に、投資家が取引しているのは馬が勝つかどうかではなく、馬が死んだ場合のリスクを保証する保険だと。私のサンドイッチの塔とはかけ離れるが、様々なリスクをかき集めてリスクの違いにより「塔」にする部分は似ているかな? さらにその塔は切り刻まれ、さらに別の新しいサンドイッチの塔が作られ売られるイメージ。
これにより、この業界の人々は証券化によりリスクは広く、薄く分散されるので事故が起こっても少しずつダメージを受けるだけで大丈夫だと考えた。『問題を共有すれば、解けたも同然と』p133
私の言葉にすれば『交差点、皆んなで渡れば怖くない』となる。
ただ、実際に起こったことは、それとはかけ離れる。腐ったひき肉を一旦何処かに混じらせてしまうと、どのパックに、あるいはソーセージに、あるいはシチューに腐った肉が入っているか誰にも分からなくなったから。p140
私の例えで言うと、どの塔のどの部分に腐った肉が混じっているか誰もわからないということになる。
因みに『世紀の空売り』のモデルになった主人公がサブプライムローンの値下がりに賭けて<空売り>したのは、とても住宅ローンを払えるとは思えないポールダンサーに旅先のフロリダで出会ったからだとか!p135 なんて面白い実話なんだ!



