<BS番組>
Salson前の時間調整でいつもの<小さな村の物語>を見ていたら、見覚えのある再放送。それで別の番組を見始めたところ非常に興味深い番組「グレートネイチャー」に見入ってしまう。内容はアラビア半島の成り立ち。
太古の昔に紅海はなく、プレートの衝突でマントルが噴出し、これが原因で裂け目ができて紅海ができたことを知る。それゆえ、半島の西側には火山を伴う山脈があることを初めて知った。そこで早速、Google mapで調べると沢山カルデラが確認できる。
場所はこの地図の中央、メディナの北100kmくらいの場所。そもそも火山半島だとは知らなかった。
半島中央部に砂漠があるが、ここを走るときはスタックしないように、タイヤから空気を抜いてタイヤ圧を低くする。そうすることで接地面が広くとれるので砂にタイヤを取られないらしい。またアクセルを踏み続け、走る続けることも重要だとか。なるほどね。
この砂漠の中央部に「ムサイキラ岩絵」があるらしい。ここには沢山の動物が描かれ、かつて、一万年前は降水量の多い、緑のアラビア半島だったとか、それが気候変動で砂漠化したとか。
https://www.kkday.com/ja/product/133900
また石油の生成の成り立ちも勉強になった。石油の元はプランクトン、太古の昔は海洋だった。これが堆積後、プレート移動で生じた熱と圧力で石油が出来きシェール岩となる。石油は揮発性なのでいずれ地中を上昇しなくなるが、上層に多孔質の石灰岩があればその中に溜まるらしい。ただしこれもやがて地表面に漏れ出ていくが、その上に硬石膏があると浸透性がないので隙間に溜まるらしい。しかし、それだけでは油田としてはまだダメで、次にプレート運動でこの地層が曲がり、その結果、地層の歪曲部に石油が溜まる巨大な空間ができることが重要だとか。つまり色々な偶然が積み重なる必要がありそうだ。
いやはや、勉強になりました。受信料払ってOKの番組。
そんなこんなで、終わったのは7時半。それから慌ててSalsonに行く。何時もの激安駐車場は満車。ようやくB4 Coronaに戻った? 良き事、良き事!
<Salson>
ホールでは普段見かけない人が大勢来ていたのは、今度のイスラに出演する、ミュージシャンがライブをすることが理由のよう。沢山始めての人と踊りましたが、中に初心者とはいえ、基本が分かっている人も、聞くとバチャータをやっているとか。ミュージシャンはバチャータとレゲトンなど幅広いジャンルをこなす人。中にハーフの可愛い女性と踊りました。これからも来て欲しい![]()
もっぱらレゲトンとバチァータの間は見学の時間、いつもより1時間長くいたけど、踊った回数はいつもと同じくらい。但し、沢山の初めての人と踊れたのでヨシとしよう。
これはレゲトン
バチァータ
<モディーという政治家>
土曜の『ニュースの疑問』でインドの《モディー外交》の強かさが話題になっているが、彼を最初に注目したのは、突然の「高額紙幣の廃止」を決定したことだ。当時、多くのマスコミは攪乱だけを伝えたが、彼のもっと深い戦略的狙いを感じて、それ以来モディー首相は非常に優秀な政治家だと確信した。
<知恵を出せ!>
日本郵便とヤマトのタッグのニュース。
https://news.yahoo.co.jp/articles/282d3fa51858cd1e5b5b1350bf4d0cbdb4266632
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODL199NQ0Z10C23A6000000/
2024年問題に対する1つの解答。先の途中でのドライバーの交代や公園でのスマホ解鍵ボックス等、色々知恵の出しどころは沢山あるはず。多分、最大の問題は「既得権益の壁」ではないか? これをつき壊すことが一番大変かも?
『中国全史』下巻12
大飢饉から20年経ったあの安徽省の鳳陽県小崗村。1950年代末に村民の1/3が餓死した村に話は戻る。この時、村の各世帯の代表者十八人が秘密の契約書、血判状とも言えるものに署名した。これが今にいう、「生産請負制」を始める時に行われたこと。共有地をそれぞれの世帯に秘密に分配し、それぞれが責任を持ち耕作する。万一、当局に咎められ罪を問われ首謀者が死刑になったら、その子供を18歳まで村全体で扶養するという契約書である。これにより収穫量は過去5年分を上回る9万キロまで達したとか。そして収入は22元から400元と18倍に跳ね上がった。p263
正に知られざる歴史の裏面。こうしたことは正規の歴史書には書かれない。まして過去を消し去る中国では当然のこと。それにしても5倍の収穫量増大、18倍の収入増加とは信じられない! これは地元の政府は黙認したが、その成果は直ちに周囲に知ることとなり2年後には中国全土に広がることになる。それについての政府側の記録が、先の『中国農民調査』で、これは役人が纏めた調査資料だが、それすら今の中国では発禁扱いだ!
今では村に資料館が建ち、語り部がいるそうだが、質問に対する答えは、
『他に選択肢がなかった。署名するか、でなければ餓死するしかなかった』と答えているとか。p263
そして話は、次なる事件「天安門事件」へと続く。
改革はあくまで共産党一党独裁の枠組みの中でのことで、政治面での自由化ではなかった。しかし、そのように当時は共通認識があったわけではない。自由化を求める若者の声が上がるようになった。そして、その限界が1989年にやってきた。大学では公然と表現の自由や、政治の民主化を語るようになった、そして胡耀邦氏の死去をきっかけに学生や労働者が6月4日天安門に集まった時点で、新しい歴史の幕が切って落とされた。軍によるデモ隊の掃討である。






