今朝もblogが書けた。さて、いつまで可能か? そのうちまた書けなくなるでしょう。不定期のつもりになったのに拍子抜け。
<昨夜のSalson>
初めての人と7〜8人? 兎に角多くの人と踊ることができた。初心者と思しき1人を除いて皆さんお上手。「福岡は広いな〜」と感じる瞬間。ある方が「お久しぶりです」と挨拶されたが記憶になく、適当に話を合わせて過ごした。失礼なこと(汗)気をつけよう。
激安駐車場は今夜は満車。諦めて別の場所を探そうとしたところ出庫する車を発見! 運良く入車できた。段々、人が戻ってきた? マスク姿はそれでも変化なし。2時間以内の駐車でなんと100円! それでもフルに動いたので今朝は足の筋肉痛。
<梅ジャム作成>
土曜の朝はオフ日。それで、そろそろ梅の実が大きくなり始めたので慌てて去年作った梅酒を別の瓶に移し。残った梅の実で小ぶりのものを取り除いた後、何度か水で洗浄後、水をヒタヒタになるまで加え沸騰した後砂糖を加えジャムを作成する。砂糖の量は適当だが、大鍋に500g程度は加えただろうか。
数十分煮詰めた後、レシピには潰して種を出すと書かれているが、面倒なのでそのまま冷却。プラスチックの容器に小分けして凍結保存予定。一度凍結して解凍すれば種はパンにつけて食べるとき、簡単に除ける。去年はそのようにして特に問題にならなかったのでこれでいいだろう。梅ジャムは美味しいので梅酒以上に消費が早い。
屋外で読書のいい季節になりました〜『データーで見る行動経済学』は難しくはないが生データーを自分で解釈する必要がある。人の解釈をそのまま受け入れても勉強にならないでしょう?
『中国の歴史認識はどのように作られたのか』2
中国のトラウマはそれまで文化的に下に見ていた日本に日清戦争(中日戦争)で敗れたこと。これが「恥辱の1世紀」の幕開けとなったことだ。p62 これで西欧諸国も清朝が非常に弱い「張り子の虎」と確信し、次から次へと侵略を進めた。
かつて中華は異民族を文化的に統合してしまう高度な能力を持っていた、何しろ中国2千年の歴史の中で半分は異民族支配。漢、宋、明くらいが漢族による王朝。それがこの「恥辱の1世紀」では逆に西洋化されそうになった。
その意識が呼び名にも表れているとする。それまでは「夷」だったものが「鬼子」となり、「日本鬼子」。「英国鬼子」となる。ただし、インドやベトナムとも戦ったが、彼らを「鬼子」と読んだことはないとも。p65
世界の多くの紛争が「歴史的記憶」に影響を及ぼしていると著者は言う。歴史学では「科学的客観性」を求める伝統が《壁》となっているとも。p71 これは日本人にとって非常に重要な指摘だ。中国のみならず、朝鮮両国との関係を考える時。よほど気をつけないといけない点。
国民党と共産党は中国伝統文化に対し異なる立場をとる。前者は基盤だと捉え、後者は弱さと恥辱の原因だと考えた。p122 また前者はナショナリズムを使い「国恥」を起爆剤にしたが、後者は初期の段階では階級闘争を主眼とした。p123 それがわかるのは1947〜1997年までの間に「国恥」を主題とする書籍は大陸では出版されていないとも。p127
南京虐殺に関する書籍も1962年に南京大学の研究者により纏められたが、すぐ機密内部文書に指定され1982年以降にようやく公にされたとも。p128
この変化について著者は共産党のそれまでの国際主義と共産党が抗日戦争にほとんど貢献しなかったことをあげる。つまり日本軍と戦ったのは蒋介石の国民党であり、その間共産党は内地で勢力を拡大し、それがのちの内戦に有利に働いた。つまり国民党は弱体化し、逆に共産党は3万から100万の部隊に育った。p131
それではなぜ、共産党はその後、日本軍との戦いを主導したというストーリーに変更したのか? 著者は毛沢東時代の大躍進、文革で共産党の正当性が揺らいだことを考えているようだ。これについてはこれから先に詳しい記述があるだろうが、抗日を正当性に挙げざるをえなくなったということだろう。


