『イタリアの社会』3 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

ヒューマン・ネットワークを考えた。最近はSNSによるネットワークが従来型のよりも密になった。近所付き合いは自治会の役員になったこともあり、それなりにあるがレベルが違う。親戚付き合いや、同門系は僅かだし、昔の職場関係は今ではほとんどなく、コロナはそうした傾向に拍車をかけた

 

こうした状態は情報の入手を難しくする。正確に言えば《偏向》が激しくなる。本人は沢山の情報を自由に入手しているつもりでも、実際には「情報弱者」になっている。

 

こんなことを考えたのは、最近Amebaブログがお勧めのサイトを紹介してくれるが、「なんでこんなサイトを?」と思うようなものがある。実はAmeba=Cyber Agentは色々なところと繋がっている。意外とこうした情報偏向に問題意識を持っている研究者も関わっている。

 

今読んでいる『ヒューマン・ネットワーク』に以下のような一節があった。

 

『弱い結びつきの人は、地理的にも人口統計的にも自分とは離れた存在であることが多い… 《よそでは入手できないような情報》をもたらしてくれる』p205

 

そういう細い線も大切にしないといけない。

 

 

 

今夜は久しぶりのSalson、左足の怪我はまだ治っていないし、少しビッコを引く感じだが、出かけるでしょうね〜(笑)

 

 

 

 

『イタリアの社会』3

第二次世界大戦後の移民は南北アメリカから主にヨーロッパに移った。あの『小さな村の物語』の主人公たちも大抵、ドイツなどからの帰郷組。しかも男性単身ではなく家族同伴、出稼ぎから移民型へ変化があった。p180

 

さらに北イタリアからのアルプス越えから、南イタリアからの北ヨーロッパ移民が増えた。これは南イタリアの過剰人口がある。今でも南部は失業率が高い。p181

 

それだけではない、北部イタリアの工業地帯への南部イタリアからの移動が増える。勿論、単純労働者としての需要しかないので、もともと南部に対しての差別意識がここにきて助長されたとも。p183

 

1970年代に入ると新たな事態が起こる。即ち、外国人の流入である。北アフリカなど様々な国から難民が流入する。1990年代にはそれにベルリンの壁崩壊による東欧諸国からの流入が加わる。p184

 

そもそも中世からバルカン半島からの移民は多かったし、北東部は東欧と陸続き。ただし、イタリアに十分な労働市場があるわけではないので、マージナルな農業、「地下経済」などに従事することが多く、さらに中継点として労働市場の豊かなドイツなどに流れていく傾向があり、イタリアを入り口としてEUに流れていく傾向がある。p185

 

これが現在、ドイツ、フランスとの難民問題についての微妙な対立も引き起こしているようだ。特に北アフリカから難民ボートで上陸するのはイタリアというのが定番になっている。

 

これとは別に、もう1つ注目すべき点としてイタリアは二重国籍を認めているのでかつてブラジルやアルゼンチンに移民として流れた人たちの二世、三世が言語的障壁が低いこともあり、イタリアに回帰する傾向もあるとか。p186

 

ただ、南北アメリカへの移住は豊かな北、貧しい南という形に結果的になった。それが、合衆国の「アメリカのおじさん」に対し、両親や祖母が豊かさを求めた国(ブラジルやアルゼンチン)に裏切られたとのトラウマを南のイタリア系は持っているとか。p187

 

いやはや、知らないことばかり。

 

追伸:

そういえば昔、サルサで仲良くなったブラジル出身の女性、イタリアと日本人の三世?だったと聞いたことがある。日本語は上手だった。