なんてこったい & 『日本はどこで間違えたのか』 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

< なんてこったい1> 〜〜題名はAK氏の真似〜〜

 

 

昨夜もいつものようにSalsonに行くと階段のところから長蛇の列。何事かと思い、たまたまいたダンス仲間に聞くと今夜は特別イベントで予約チケットがいるとのこと。全然、気がついていなかった。仕方ないので諦めて天神界隈をブラついた後、帰宅。

 

帰りの車の中で前を行くタクシーが挙動不審?前を行くバスが停車しそうなので私のいる第2車線にウインカーも出さずに入ろうとする。完全に死角に入っていて私の車が見えていないようだ。幸い右車線に車がないことが確認していたので、クラクションを鳴らすと同時に隣の車線に移動して衝突を免れた。追い抜きながらタクシーの運転手をみると予想通り老人。福岡のタクシー運転手は大抵60過ぎの老人が多い。個人タクシーには定年がないことが大きいだろう。

 

あんな運転手よりもよっぽど自動運転の方が安全。何しろ自動運転では10㎡に100個以上のセンサーからの情報が集められる。つまり1㎡に1個の目を持つわけだ。自動運転に死角はない

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12769516780.html

 

ダンスもできず、帰りの道でヒヤッと体験、良いことなし。

 

 

 

 

< なんてこったい2>

今日から紹介する予定の『日本はどこで間違えたのか』を読み終わる。色々、同意できない点は多々あったが、方向性は共有できる。それについてはまたいずれ。最後のところで著者曰く、

 

「やらない理屈の天才」

「ITについていけずに『スカートを踏んでいる』50代」

 

という表現は、具体的に顔が浮かび上がったりして笑ってしまった(笑)

 

分からなければ、助けを求めれば良い。最悪なのは人の足を引っ張ることだ!

 

 

 

 

<なんてこったい3>

郵便受けに幾つかのパンフレットが入っていた。2つは宗教関係。コロナでしばらく潜めていた感じがあるが、また復活した?

 

 

恐らくランダムに送られているだろうから、相当の数の印刷物が刷られていることだろう。それだけの経費はどうやって得られているのだろう? また「統一教会」が頭に浮かんできた。

 

「ものみの塔」は「エホバの証人」という組織。アメリカ発のカルト集団、「幸福の科学」は大川隆法という怪しげな人物が創設した日本発のカルト集団だと理解している。それにしてもこうした宗教集団に入会する人々というのはどうした精神構造を持つのか不思議に思う。

 

ま、信教の自由だから信じるのは構わないが、それは個人の心の中だけにしてもらいたい。問題は、これが通常1個人の範囲に限定されないという点だろう。

 

もう1つのユニセフは長い付き合いだし、自分から進んで関わった組織なのでこれは問題ない。

 

 

 

 

元野良や主人を先に失った猫の最後を看取る「おばさん」。誰にでもできることではない。尊敬。

https://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/0982cff2bbf349bdfc1fe868bb8a5568

 

 

 

 

『日本はどこで間違えたのか』

藤山浩(kou)著。KAWADE夢新書、2020年初版。

 

タイトルに惹かれて即、図書館から借り出した本。読みやすく一気に読める本。ある面は同意でき、ある面は否定的。ま、それはそれでいいこと。重要なことは問題意識を共有できること。

 

32ページにあのカール・ポランニーが引用される。私が初めて学部生の時、自己流で歴史経済学を学んだ。

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12529433630.html

 

ここで食料自給率の問題が議論されるが、ここでもカロリーべースの話、但しそのことは正確には議論されない。図2−1 p43

 

 

 

農家は儲けるために付加価値の高い、野菜に小麦や大豆から替えただけ、リカードの議論を持ってすれば農作物に比較優位を持つ国から輸入した方が利益になるとの判断が間違っているとは言えない。

 

ただ、ここで1つ興味を持ったのは、日本とよく似た山勝ちな国土のイタリアではEU加盟もあり日本と同様に自給率が低下しているが、イギリスはフランスやドイツのような農業に比較的優位な国とは思えないがイギリスも自給率が上昇していること。p43 これは何故だろう? 今後の課題。

 

著者は60年代の日本の経済発展が自力だけでなく様々な幸運(人口構成、冷戦構造、グローバル化など)によるものであったことへの自覚がなく、<自信過剰>となったことを指摘する。51

 

まさにその通りで、今の高年齢者の中にそのような意識が強いこともしばしば感じる。『自分たちは頑張った』という意識だ。『アンタのせいじゃない』と言いたくなることも多い。

 

高齢化する団地のことが書いてあるが、その図3−5は高層ビルが建てられた多摩ニュータウンのような70年代の都市型団地では高齢化率が現在25〜40%程度になっているとか。p67

 

地元の団地ではそれより遥かに新しい時期(90年代)の団地だが、高齢化率は同じくらいだ。これは多分、地元後者が一軒家の団地ということがあるだろう。家を購入するにはそれなりの自己資金もその後、ある程度その場所で住み続けるだろうという予定がないと購入出来ないので入居者の年齢層が少し前者より高齢だったということに関連するだろう。

 

またここでもあの社会資本を議論した、ローバト・パットナムの紹介がなされている。p81 ここでもお薦めの1冊として「われらの子供」や紹介した。あの本も非常に良かったし、考えさせられるものだった。上記の本は比較的新しい2017年初版のものだが、ここでは2006年の「孤独なボーリング」が引用されている。この本はまだ読んだことがない。

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12636435349.html