终于“九龙治水” & 『一帯一路』3 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>

https://www.youtube.com/watch?v=svq8CaeWyqU&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=8

HSK3~4 #6~#8背了四十分钟单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=uaII4A-YRho

王陽のほぼ毎日中国語#58,十六分钟。不知道的名字很多

 

https://www.youtube.com/watch?v=JCZFFHJ_V7o

興梠一郎、看了六分钟興梠频道。 终于“九龙治水

 

https://www.youtube.com/watch?v=oYpd41bgAUQ

『まる見え中国部』414,调查了二十分钟SHEIN, 对于EC Fabless Company。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a5a2731ae6efb60c05b0f5ac3a495f211d480342

 

https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk

【完全版1~1200】HSK5,29.5~44.2min,背了三十四分钟单词,再三刻苦!

 

https://www.youtube.com/watch?v=z2TpCQ6FiFo

琳琳中国語講座,413学习十八分钟 一共两个小时十四分钟。

金曜分の補習完了。

 

 

 

<スマホOKの授業風景>

 

あるコメントに関連して。

 

 

 

 

『一帯一路』3

Maddisonを引用し著者は中世から15世紀までは世界経済はマルサス的停滞状況にあったという。そして「大航海時代」を契機として巨大な利益をもた3らしマルサス的停滞から脱出したとも。p24

 

しかし、その背景には新大陸とアフリカ大陸が過酷な搾取にあったことを忘れてはいけないように思う。三角貿易がその実態だ。2つの大陸の凋落を代償にヨーロッパの繁栄が齎されたと個人的には考えている。それは兎も角、次の転換点は18〜19世紀の「産業革命」。p25 

 

そう考えると中国はそのいずれもなかった。明時代に鄭和によりアフリカまで足を伸ばしたにも関わらず、鎖国政策に転換したし、産業革命も導入されなかった。

 

これを表す非常に重要な図1−4が29ページに載っている。それは紀元後から1千年にわたる人口と一人当たりのG D Pを表すもので、紀元元年から1000年まで人口も一人当たりのG D Pも少しも増えていない。ここまでは農業社会だということだろう。次にA D1000〜1500に一人当たりのG D Pが2倍近く増えているが、人口は変化なし。そして1500年から1850年まで一人当たりのG D Pは変化ないが人口が3倍以上増えている。そしてその後、一人当たりのG D Pの変化はむしろ低下する時期を経験しながら人口が増減を繰り返しながら徐々に増えてくる。増減は恐らく戦乱、飢餓、疫病によるものだろう。

 

そして1950年を境に、突如急激な一人当たりのG D Pの増加と人口の増加が引き起こされる。前者は1950年時点から1979年までに2.3倍に、恐らく現在では更に5〜6倍になっているのではないか? 後者の人口についても2倍近くまで1979年までに増えている。p29 以下の図はすでに紹介した。

 

図1−4

 

具体的には北宋から明代にかけて人口は5900万人から1億300万人へ、一人当たりのG D Pは466ドルから600ドルへ。これは当時のヨーロッパのそれよりも高かったとする。p30

 

こうした中国の社会変動の細かな動きとシルクロード交易の関連性を対比させながら、結論として現代の「一帯一路」も古代シルクロード経済の動きと類似すると結論付ける。p35

 

個人的に疑問に思うのは、古代のシルクロード交易がどれ程の実質的経済的意味を持っていたのかよく分からない。交易に使われたのは贅沢品などではなかったのか?それらが本当に経済的に意味のあるものだったのか、よく分からない。この点について是非、識者のコメントが欲しいところ。