うるさい住民? & 『武汉封城日记』4 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>

https://www.duolingo.com/learn
エメラルドリーグ+20XP,56419XP,学了二十分钟汉语。

 

https://www.youtube.com/watch?v=gKUoka-HWPA&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=13

HSK4 #13~HSK2 #3 背了四十九分钟单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=hZKKmVZcyd4&t=22326s

Eko 3h~4h45min,聆听一个小时。一共两个小时九分钟。

 

运动;爬山散步 1.8km,2852步,3楼。

 

夜追加の散歩決行!

 

运动;爬山散步 3.7km,5908步,10楼。

 

 

 

今日暑い中、春日町の古墳を訪問。閑静な住宅地の中にあって見事な造形を示す。「古墳には上らないよう」にとの看板があったが、ちゃんと土嚢で階段が出来ていて、どういうこと?? これについてはそのうちに報告予定。

 

 

 

<意見書>

福岡県のコロナ対策機関に以下のようなメールを出した。

 

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今日ダンスクラスから先生がコロナ陽性者になったとの緊急連絡が入りました。先週水曜日に習ったので接触から5日目。マスクもつけていたし、現在こちらに症状はありません。それでも当方70歳の高齢者なので、念のため無症状者対象の検査を受けようとHPを調べ、最初近くの○央薬局宇美店092-932-xxx2に予約を入れると「対象かどうか」相談所で確認してくださいとのこと。2年もなってまだ対象の定義が検査場で把握できないことにまず、最初に驚きました。

 

<水曜日にマスクつけて1時間半ほど同じクラスに一緒に運動して、日曜日に先生の陽性が判明、月曜現在、こちらに症状がない> 

 

しかし本当に驚いたのはそれから後です。

 

粕屋郡の「受診・相談センター」092-939-xxx6と福岡市の「新型コロナウイルス感染症相談ダイヤル092-711-xxx6に電話を入れると、市と郡とで濃厚接触の定義が違うとの話から入り、糟屋郡のセンターから別の相談窓口を紹介されました。

 

《この時点でこのシステムの根深い問題点がわかりました》

 

最後のどこかは不明ですが教えてもらった092-643-xxx8に電話を入れると、濃厚接触に関する色々長い定義の話が始まり、状況ははっきりしているので結論はすぐ出るはずだと判断。結局こちらから、『検査は無用ということですね?』と切り出すと曖昧な返事しか返ってきませんでした。

 

そもそも電話ではなく何故、ウェブサイトで所定の質問項目を答えたら回答ができるようにならないのか、本当に不思議でならないです。保健所が「大変だ、大変だ」と聞きますが、その相談所やセンターがこのレベルなら、自分で仕事を増やしてオーバーヒートさせているだけのことだと思いますが如何でしょう?

 

検査は諦めましたが、これだけ時間と手数をかけて結局あとで感染が判明したら、この仕組みの欠陥が証明されることになると思います。

 

***

 

さて、どのような反応が来るか? それとも無視? 別に「クレーマー」だと思わないが、「うるさい住民=クレーマー」だと思われるのだろうか?

 

それにしてもパンデミックになり2年。未だにこの状態というのは本当に無能な組織だと思うが、どうだろう?

 

 

 

 

『武汉封城日记』4

この本では3月1日までで記録は終わっている。実際の封鎖は4月8日まで続いたらしい。そのHPはこちらから。中国語は読むのは難しいが写真は貴重な資料になる。幾つかに章が分かれている。

https://matters.news/@GuoJing

 

最後に著者は友人の言葉を書き記す。

 

『果たしてウイルスが残忍なのか、それとも人間が残忍なのか』(未完)p307

 

訳者が最後に書いているように、これは「武汉封城」の一側面である。全てを示しているわけではないが、事実の一片と言っても違いない。それも上から目線ではなく、地を這うようにして観察した。「蟻の目線」である。p322

 

以前、ラムドフェルド氏の全部で900ページにも及ぶ回想録と関連する本、『「テロとの戦い」を疑え』を読んだことがある。その時の感想もついでにここで再録しておこう。


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それなりに学ぶところがあるが、同時にある種の危険性をも感じてしまう。その危険性というものは私が「鳥の視線と蟻の視線」と形容するもの。説明し辛いが図解してみた。

 

 

好むと好まざるとに関わらず、人はある種のイデオロギーを持ちこの世界を観る。これは、人間はありのままの世界を捉えることはできないのだから仕方のないこと。ただラムドフェルド氏が言うように「Known and Unknown」がある。

 

ラムドフェルド氏はイラク戦争という大きな罪を犯したと個人的には考えているが、同時に彼が「自分が知っていることと、知らないこと」があるという姿勢には共感できる。それに対し、この著者(『「テロとの戦い」を疑え』)には、こうした「迷いはない」ように感じたがどうだろう? 傲慢な言い方だが、この著者には「自分の考えが正しい」との過剰な自信、あるいは、私に言わせれば「思い上がり」があるように感じられる。