再録9:私に大きな影響を与えた1冊 | Hiroshiのブログ

Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

実は小説の類はほとんど私に影響を与えたことがない。それは、「論破王ひろゆき」風に言えば、

 

それって作者の印象でしょう

 

に他ならないから。ついでに言えば著者が何を言いたいかを我々が考えるのも『それって読者の印象でしょう』となる。

 

ところが1つ自分に影響を与えたと感じる本がある。しかもこの本、人生で2回繰り返し読んでそれぞれの時点で印象に残った本。ここでは、かなり大人になってからの感想を再録する。

 

 

 

 

『背教者ユリアヌス』

辻 邦生著、中央公論社出版。

 

学生の時とかなり大人になってから2回読んだのですが、2回目は最初程の感動はありませんでした。今となっては、劇画風というか単純過ぎるというか。勿論作品自体は変っていないわけですから、私自身の変化のありようであるわけですが…

しかし、何故この作品に若い私がひかれたのかは十分理解出来ました。本の内容はほとんど記憶に無かったのですが、唯一ユリアヌスと司教との対決のシーンが記憶に残っていました。それが第9章の『ルテティアの丘で』であることが判りました。 静かな会話の中に激しい火花を交す両者の姿がとりわけ印象に残っていました。 

キリスト者に対しユリアヌスは「彼等は自分の内心だけにとどまろうとしている」とし。 また彼等を“悪い人間ではない”としながらも「強情で、粗野で、偏狭であることを誇ろうとしている」と批判して、「地上の事柄に関心を持たないとは、ローマ(秩序=法)を愛そうとはしないことだ」と批判しています。

 

さらに、『彼等が愛しているのは神だ、と君(司教アプロン)は言うだろう。 ・・・しかし私に言わせればガリラヤの連中(キリスト教徒)の愛しているのは神じゃない。自分なのだ。 自分だけなのだ。 自分が救われたいのだ。・・・』p613 とも述べさせています。

 

彼にとって何よりも重要なものは、ローマに象徴される『法=秩序』でした。 『秩序があってはじめて各人は真実に自由でありうる。何故ならローマの秩序は人間を真に人間たらしめる城砦のごときものだから・・・』 そして彼はこの考えを『秩序論』として書き残したとされていますp460。 

また別の箇所でユリアヌスにこうも言わせています。『・・・ローマは広大で、永遠な存在だ。しかしそのようなローマでさえ、いきなりローマ帝国があるのではない。 そこにはガリアの民もおり、ダキア(ルーマニア付近)の民もおり、シリアの住民たちもいる。 そしてそのガリア1つとってみても、また無数の人々がいるのだ。 …ディアよ、(ユリアヌスを慕う女競技士)ローマとは何処か別にある大きな1つの顔ではなく、この無数の個々の人間の中に現われてくる現実の姿に他ならない、私がローマ帝国に秩序を捧げようとするとき、それはこうした民の一人一人の生活に結びつくことを意味するのだ。』p559-60 

そして何よりも昔の記憶が鮮やかに蘇ったのは以下の文章。 ここでユリアヌスは異端論争でキリスト界が激しい抗争を繰り返すのを批判するとともに、彼の生き方を述べているくだりがあります。 ちょっと長くなりますが少しこの部分を抜粋します。

『しかし教義の正当性は何によって判定するのだ』


『真実でございます』


『両派とも真実を主張したら』


『真実は1つでございます』


『しかし両派ともそう言い立てるだろう。そうすればどうする? やはり相手を殺すことになるのか?』


『私はそうは考えませんが、そう考えている者もおりましょう』


『では、教義が1つになるまで殺りくは続かなければならないのか?』


『真理の為で、ございます』・・・・・


『・・・アプロン(司教)、私は少なくともこの点に関しては貴方とはっきり意見が違う。 私は正義とはあらゆる強制を含まぬものと思っている。正義とは自由に他ならない。少なくともただ自由の中にだけ存在するのだ。だからバッカスの司祭たちが夏の夜陰に紛れて歩くように、人間に多くの危険をもたらすのだ。しかしその危険を通してしか、人間がそれに達しえないとしたら、私はやはりこの道を選ぶしかないだろう。


『・・・百年たっても人間は愚かであるかもしれない。五百年たっても人間は自発的に正義を実現しようとしないかもしれない。千年の後にもなお絶望が支配しているかもしれない。・・・あと千年たっても駄目なら三千年待つのだ。それでも駄目なら、なお千年待つのだ。そして結局人間の歴史の終わりにそれが実現されないと判っても、人間が正義の観念を守り抜いたということだけは、少なくとも事実としてそこにあるのだ。・・・・』p491-2

ユリアヌスから二千年。 なお正義は実現されていませんが、それならば、さらに千年、あるいはもっと、さらに、さらに進んでいくしかないのではないでしょうか。たとえそれが果たしえぬ目標だとしても。

 

 

以上、例外的に小説として私に大きな影響を与えた本。