『東アジアと日本』5 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>

https://www.duolingo.com/learn
エメラルドリーグ+20XP,56299XP,学了八分钟汉语。

 

https://www.youtube.com/watch?v=RBvTiSELGqs&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=6

HSK2~3 #4~#6 背了三十八分钟单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=hZKKmVZcyd4&t=22326s

Eko 2h~3h,聆听一个小时。

 

https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk

【完全版1~1200】HSK5,0~30min,背了一个小时单词,再三刻苦!

 

https://www.youtube.com/watch?v=HDgXh7PSXMg&list=PLX5jhIuWaM7gkN2-iTCRDLqf-XqXbhCcf&index=125

【青島日美】中級122~125,再三学习十八分钟的汉语。

 

https://www.youtube.com/watch?v=ZAiCAP5c5W8&list=PL2qMvlnKBIIzHtpQFWm6VsHP1h-TC5EU9&index=43

【ワンポイント中国語講座】#44~43  背了二十二分钟句子。一共三个小时二十六分钟。

 

运动;一堂Salsa课

 

福岡は過去最高の感染者との報道が流れる。如実に格安駐車場の混み具合に現れる。ちょっと前まではうかうかするとスペースがなかったのに、今日はガラガラ状態。これじゃビジネスはあがったりだ。

 

 

新たな変異株、ケンタウルス株が話題になっているが、福岡もこの株の感染が広がっているのか? 考えるに。

  感染防御して=選択圧をかけた状態で、

  ロックダウンをしなければ=ウイルスが増えることを許容している

わけだから、感染力の強い株が《選択》されるのは遺伝学的には当然のこと。重症化させるような変異株でない限り心配しなくていいように思う。それにワクチンもブーストが進み、感染しても重症化頻度は低いだろう。普通の風邪?

 

ウイルスは生物ではない、宿主(ヒト)の一部。変異株を抑えることはヒトの動きを止めること。今、中国でやっている方法以外にないが、それをするのか??

 

いずれにしても中国のゼロコロナ政策は合理的でない。どんなに国内をゼロコロナにしても鎖国しない限り、外はWith Corona。いずれ新型が侵入するのは自明。何故、ゼロコロナを継続するのか? 恐らく政治的、更に最近囁かされるPCR利権?

 

昔のペストや天然痘に比べれば2年程度で収束の兆しが見えたことを喜ぶべきだとも思うが、どうだろう?

 

たかが2年、されど2年!!

 

 

 

 

『東アジアと日本』5

江田船山鉄刀の銘文が渡来人により作文されたことは定説らしいが、最近この一部の表現が吏読(りとう)と呼ばれる半島特徴の表記法らしい。p175 但し、この時代半島では鉄刀の銘文はあまり確認されていないらしい。p176 同様に銘文のある銅鏡も半島ではほとんど確認されていないとか。p179

 

ここらへんの事情はまだよく分かっていないとすべきだろう。いずれにせよ6世紀には半島で漢字史料が多く確認されているが、日本では7世紀後半からようやく出始めるが、これは7世紀後半の百済滅亡による大量の百済民の亡命と関係付けられている。p188

 

ここで実に面白いことが書かれていた。それは百済の7世紀前半の史料に貸付種籾(貸稲>出挙p192)の利子が5割だということ。p191  そこで色々なことが頭に浮かび、AKさんへの以下のような質問となったわけ。

https://ameblo.jp/xuzhoumeso/entry-12754423212.html

 

*******

質問再録:

1)黄河流域は小麦地帯だと思いますが。それなら西洋経済史の定量的研究が比較参考になるかと思います。佐藤彰一著の『修道院と農民』によれば、7世紀ごろの西欧では1粒の種籾から3粒が収穫されたとか。(これはその後、ロマネスク期に革命的技術革新で10粒まで上昇します)
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/83/trackback

だとすると、7世紀ごろの西欧の農民の取り分は、

1>3-0.3-1=1.7と計算されます。
0.3=10分の1税、1=来年の種籾として保管。これは収穫3の半分強(1.7)。

今読んでいる本に、同時期7世紀前半の百済から出土した木簡には貸付種籾の5割が利子だとする記載があるとか。同様な様式は7世紀後半の太宰府出土の木間でも見られるとか。

*もし収穫量が西洋中世並み=1粒の種籾から3粒が収穫されると仮定すると。

1>3-1.5=1.5が農民の取り分。 1.5=5割の利子付きの返却。来年用の種籾は再度借り出しとなり、ほぼ同じ程度で収穫量の半分(1.5)。

偶然?に西欧と百済(多分当時の中国)で、農民の取り分はほぼ同じになりました。

但し、《稲と小麦では収穫比率がかなり違う》のではと想像します。つまり稲は小麦類よりも種に比べ収穫量が多かったのでは?

 

 

その後、以下のようなことがわかる。

 

2)

トルファン勝金店の古墓群で見つかった2200-2060年前(前漢時代)の麦わら3100株を調べたところ、1株当たり平均で10粒の種子を収穫していたことが分かったとのニュースを見つけました。これは文献解釈ではなく古代の麦そのものの分析だから確実ですね!
https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20140402100/

逆に、これをもとに考えると西欧中世ではカロリーベースで肉食が重要なことが考えられます。確かにそのような解析が文献解釈からも出されていました。木村尚三郎氏の「西欧農耕民の心」によると、西欧中世には一人で年間平均3頭の豚を食べていたとか。古代中国ではどうなのでしょう?
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12753564260.html

 

 

これに対するAKさんのコメントは:

 

『それはすごいですね。。戦国時代以降のチャイナでは戦争の動員数が半端ないのですが、それもたくさん麦が食べられたから、人口が多かったのかもしれないですね』

 

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古代中国では小麦でも西欧中世に比べても格段に高い収穫率が報告されていることが分かる。確かにAKさんの言う通り、中国の古代の人口密度は半端ないことが推定されているが、無縁ではないだろう。

 

 

 

1つ注目した点として、日本では7世紀後半に日本では固有語を漢字で表記する試み(元々は半島で始められた)が進んだが、8世紀前半以降になると遣唐使の再開や律令制度の導入で本格的な中国様式が主流になるということ。p202