『東アジアと日本』2 | Hiroshiのブログ

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『東アジアと日本』2

冒頭「本巻への招待」という章で、水耕稲作は伝わった時点で既に体系的に感染された技術を持っていたとする。これは考古学的遺跡からも素人でも納得できるもの。p10

 

漢代の支配は皇帝が直接支配する郡県制と一族、功臣を王に任じて支配する内国中心に、周縁諸国を冊封という形で二重に取り囲む世界観があったとする考え方は主流としてあるらしい。p31

 

推古時代までは外交や文書の作成には渡来系移住民の役割が大だとする。この根拠は史書に記されている人物の氏名分析による。p37 また平安初期に書かれた『新撰姓氏録』によれば渡来系が3割を占めるとか。p56

 

史料分析によれば仏教公伝よりも先に日本に僧は来ていたとする。p38 それはそうでしょう。不思議なことではない。そうして根回しをしてから公伝となるのが普通。

 

さらに儒教は仏教より先に導入されたとも。p40 これも驚くに当たらない、そもそも仏教はその時点では中国でもまだ新参者。

 

ここで面白いことが書かれていた。それは儒教で一番重視されるのは「礼」だが日本では「律」の方が早く普及したとのことについて

 

『礼は家族の生活規範などと関係しており、日本社会に馴染めなかった…』p46

 

これは中国と日本で家族構造が違うことと関係があるかもしれない。Toddなどが指摘するように中国は外婚制共同体社会。日本は朝鮮などと同じく長子直系家族。