連想2 & 『遊牧民から見た世界史』3 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
アメジストリーグ +20XP,55479XP,学了十三分钟汉语。

https://www.youtube.com/watch?v=xer8C_poG98&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=10
HSK4 #8~10 背了四十五分钟单词。

https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk
【完全版1~1200】HSK5,~9.5min 背了半小时单词,再三刻苦!

https://www.youtube.com/watch?v=RG_j17LHOrU&list=PLX5jhIuWaM7gkN2-iTCRDLqf-XqXbhCcf&index=20
【青島日美】中級16~20,再三学习二十分钟的汉语文法。

https://www.youtube.com/watch?v=hZKKmVZcyd4
Eko。5h40min~6h,听二十分钟句子。

https://www.youtube.com/watch?v=9HWmyh9DyiQ
王陽のほぼ毎日中国語 看了八分钟频道。

https://www.youtube.com/watch?v=J7RMjm4YAdU
『責任編集長:周来友』,看了七分钟频道。

https://www.youtube.com/watch?v=fxiNAuaAUWI&list=PL2qMvlnKBIIzHtpQFWm6VsHP1h-TC5EU9&index=76
【ワンポイント中国語講座】#35~36,#76 背了十六分钟句子。一共两个小时三十九分钟。

运动;爬山散步 3.3km,5443步,9楼。




<連想話題2>
先日「ねえねさん」のところで<AIやロボットは意外と介護に向いている>という話をした。そこからの連想話題二つ。
https://ameblo.jp/neene0822/entry-12748380432.html

その時、私はコメント欄に以下のように書いた。

『「AIやロボットは介護などの分野にとても向いている部分がある」とあり、意外な気づきになりました。これは介護士さんの精神的ストレス軽減になるかと。意外と肉体的ストレスよりも精神的ストレスの方が大きいかも? 勿論、経済的支援も必要ですが、それは機械化、AI化で生産性向上にも繋がりますから』
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12743615419.html

連想1:
両親は早く亡くなったが、父親は小学生の時であまり記憶にない。それでも脳梗塞で数日床についただけで他界したし、母親も同じく脳梗塞だったが、すぐ入院し数ヶ月後に亡くなった。つまり自分自身、本当の意味での介護の経験はない。

その上での勝手な考えだが、介護で人々が本当に疲れるのは 《肉体的というよりは精神的なものではないか?》 と想像する。

いつ終わるか判らない介護。認知症が加われば何度も同じことを繰り返し話したり、時と場所構わず繰り返す徘徊行動。そのようなことに関する気苦労が人々を深刻な介護ストレスに陥らせるのではないか?

その点、確かにロボットやAIは精神的な疲れはない。同じことを何度繰り返しても飽きずに対応できるし、患者を軽々抱え上げる力もある。またGPS機能で徘徊を自動的に追跡することも可能だ。確かに意外と介護向き?


連想2:
コメントで上のURLを引用したが、これと同じことをカーナビはしてくれる。

『よく知っている道でもよくカーナビを使い、近くに遺跡だとか寺院とかがないか調べることが多い。そんな時、近道や回り道をすると、そのたびにカーナビは律儀に何度も路線変更を薦めるが、無視しても少しも怒ったりしない(爆)これが人間だと「道案内を頼んでおいて無視するにか!」と怒らないとも限らないなと(笑)』

この引用を引いた時、ずいぶん昔に太宰府に行く途中で脇道の先に小乗仏教系と思われる寺院を見つけていたことを思い出した。その後訪問する機会もなく放置していたが、昨日勉強が全然進まなかったので早々に中断して、そのお寺を探してみることにした。

場所は以下のサイトで筑紫野古賀線から脇に入り狭い山道に入る急坂。構わず車で登っていくとだんだん道が狭まり1台車が通るのが精一杯の道を上り詰めた場所に、確かにお寺があった。但し、建物は完全な民家。帰宅後再度Google mapで確認してみた。facebookサイトも見つけた。Kyushu Lanka Maha Viharayaというお寺らしい。
https://www.facebook.com/kyushulanka1/

 

 

 

 

 

写真4(地図1、寺院写真2、寺院前のストリートビュー1)




『遊牧民から見た世界史』3
著者はいう、

『中華というものの政治伝統には、政体のいかんにかかわらず、かつ時代をこえて、ややもすれば唯一至上の絶対的権力者を作り出さねばやまない点があるかに見える』p157

何となく、これには同意できる点がある。民族も関係ない、そもそも漢、明、南宋くらいしか漢族の政権はない。それでも帝国を作りたいという内部欲求がある。

著者は北魏から始まる、北斉、北周、隋、唐と続く歴代の王朝を「拓跋国家」と呼ぶ。p205、p213

著者はしばしば、これまでの様々な説を「屁理屈」だの、p225 「思い込み」p232だのと批判する。しかし自分の説に関して十分な論拠を示しているようには思えない。『それって貴方の印象でしょう?』という論破王ひろゆき氏の言葉をそのまま返したい気分になる。例えばこのような文章がある。

「成立当初の唐朝は東突厥の《属国》であった」p238 

属国? これに対しては多くの人が異論を挙げるのでは? こう断言する以上、それなりの根拠をあげるべきでは?? 根拠をきちんと読者に示さない限り、『それって貴方の印象でしょう?』

只、唐朝が大帝国を築けた理由にこうした遊牧国家として、近隣遊牧国家と深い関係を持っていたことが有利に働いたということはあると思う。

例えば玄奘は天山北路に野営していた西突厥のリーダーに接見後は結構簡単にインドまで行けたことが、彼の伝記からも感じられる。やはりシルクロードは突厥をはじめとしたネットワークが機能していたことを感じさせる。

251ページに大秦景教流行中国碑の拓本が京大所蔵として紹介されているが、同じものが実は福岡の西南大学にもあり、実物を見たことがある。幸い写真も撮っていた。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4504/trackback

<データーベースとして>
アラビア語やイスラーム後の近世ペルシャ語には「国家」という言葉がないらしい。これは人々の頭の中に政俗一致が根付き「国家建設」を困難にするという。p233 う〜

ん~ どうでしょう? ヨーロッパでも政俗一致は中世まで続いていたと思うのですが? 世俗が分離したのは西欧でも近世以降。