連休明け1日だけの日常に戻ったばかりだが、すぐ週末に。
ま、スロースタートも連休慣れした身にはいいかもしれない。
<内田樹氏の『憲法空語論』を読む>
http://blog.tatsuru.com/2022/05/03_0859.html
曰く、
『憲法と目の前の現実の間には必ず齟齬がある。それが憲法の常態なのである。憲法というのは「そこに書かれていることが実現するように現実を変成してゆく」ための手引きであって、目の前にある現実をそのまま転写したものではない』
これを同氏は言い換えて、『俺は何度試験を受けても60点しかとれないから、これからは60点を満点ということにしよう』という劣等生の言い分と変わらないという。
また、合衆国憲法が「万人は生まれながらにして平等である」と書かれているにも関わらず、奴隷制度はその後、86年も続き、「公民権法」が施行されるまで188年を要し、BLM運動はこの宣言が未だに「空語」であることを証明したとしても、更に世界最大の軍事大国である合衆国憲法は今も「常備軍を持ってはならない」と定めているという事実を挙げて、憲法は「手引き」であって現実を反映する必要はないとの考え方を示す。
…確かにそのような考え方、建前としての、目標としての「憲法」の存在も主張できるかもしれないが、しかしその建前としての憲法が、本来国が《やるべき行動》を縛るのなら。それは本末転倒ではないかと考える。
憲法を「建前の宣言」に終わらせるのなら、それでもいいかもしれないが、理想に向かって進むための「本物の憲法」にするためには、常に時代に合わせ、修正していくことが必要な気がするのだが、どうだろう?
『経験なき経済危機』4
ニューノーマルとして著者は「リモート経済」を強調する。そして具体的にこれから必要なものは長距離を高速で移動するものでなく。一人乗りで短距離を移動するためのEV車だとする。実に同感。p73
さらに望めば自動運転であること。高齢化社会では自動運転で近距離の乗り合いバス的なものが重要。何も車などは所有する必要などない。日本の自動車メーカーも自動車製造から移動手段提供メーカーになるべきで、実際トヨタはそれを提言している。
第3章で予想通りの話が出てきた。「高齢者を見捨てる」という考え方。私はそれを「死の贈り物」と表現したが、実際、スペイン、イタリアではトリアージュが行われた。p87 しかし、それはあくまで非常事態に際してのこと。
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12625256817.html
ところが日本では、為政者が「Go to」や「うちで踊ろう」で、無意識にそれをやったと厳しく批判する。曰く、
『あのトランプでさえ、自らを戦時大統領だと言っている。エリザベスやメルケルに比べるべくもないが、それでも、寝食を忘れて危機に対応するというメッセージを国民に送っているのだ。世界の指導者の中で「私は、いま、自宅で優雅に寛いでいます」と公言した人がいるだろうか』と。p95 激しく同意する。
しかもこの指導者は身内や支援者には利権を提供する「汚職の総合商社」でもある。