『新ジャポニズム産業史』8 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<病院・医師の選別>
昨夜キャノンが提供する「世界遺産」の番組中で、
https://www.tbs.co.jp/heritage/

日本は医師の数が少ないとCMで語られていた。「本当かい?」と疑問を感じて調べてみたら、どうやら事実らしい。
https://www.jmari.med.or.jp/download/RE077.pdf

留学直後に就職した某大学医学部では定員が120>100に減らされ、過剰になった実習用具を倉庫に積み上げた記憶がある。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1367/trackback

上記の資料によれば、人口1000人当たりの医師数は確かに少ない。OECD平均の3.5人に比べ2.5人。それに対し薬剤師は極端に多く世界1。OECD平均の0.8人に対し、1.8人。要約でも特にその点が指摘されていて、「薬漬け」の傾向があるとされている。

また病床数に関して日本は、OECDの中で《極端に多い》。2位のドイツに比べても1.6倍。米英の4~5倍。救急病床に限っても最高。ところが今回のコロナ下で病床がパンクして「医療崩壊」とか叫ばれた。病床数が多くてもコロナ患者を見ない開業医の存在が問題だ。これからは病院、医師を我々が選別することをしないといけない。

《コロナに立ち向かわず、ソロバン計算だけ上手い病院など無くなってしまえ!》




『新ジャポニズム産業史』8
8章の「ゲーム」はほとんど知識がないので判らない事ばかりだが、興味がある人にはたまらないだろう。

驚いたことに任天堂は当初、技術的なことは外部委託していたらしい。米国のアタリやバンダイ・ナムコはプログラミングの専門家を当然持っていたが、あの任天堂は独力でゲームを作る能力がなかったらしい。p326 p330

機械はシャープやリコー。プログラミングは池上通信機だったとか。その任天堂があのマリオ、安倍元首相がコスチュームを着てオリッピックの招致運動を行ったゲームを作るとは!

これを搭載したファミコンは83年に発売され、ちょうどその時期にゲームセンターへの風当たりが強くなり85年に「風俗営業法」が改正され、青少年が夜のゲームセンターに行けなくなり、その代わりに家でゲームをする方向に動いたことから大ヒットする。p334 そしてさらにセガが戦線に参入する。

非常に面白いことが書かれていた。それは「ゲームが子供たちを自然の中で遊ばず室内で1人で遊ぶ習慣をつけることが成長を歪ませる」という批判に対し、著者は子供が外で遊べる自然が高度成長の中で失われたという。p344 その代わりにゲーム機の中に子供たちは冒険の地を見つけたと。

しかし、「それから」がある。ゲームボーイの開発の中で技術的、価格的な兼ね合いから初期の要素の多くが削られたが1つだけ残したもの。それが通信ケーブルだとか。これによりゲーム機を繋げ「対戦」したり、自分のゲーム機では得られないポケモンを「交換」する仕組みを作った。p349

つまり、この「対戦」と「交換」はその後、人と人の交流がデジタル化する種を蒔いたと。p350 1989年の出来事。まだインターネットが普及していない時代の話。