最大の受益者として & 『中世ヨーロッパ』10 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
ダイヤモンドリーグ +30XP,47171XP,二十一分钟。

https://www.youtube.com/watch?v=Kgha36EPdf0&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=2
HSK4#13~HSK1#2 背了四十分钟的单词。

https://www.youtube.com/watch?v=zWKHCn8bH2Y&list=PLrlwIJ5o0QFih1_09vLSwFuN1i5bcd6EH&index=1
Kazu Shanghai Life。#124,看了十六分钟的Kazu频道。

https://www.youtube.com/watch?v=9vuBfMx3P2s&t=2432s
HSK5 ~600,后半~49min 背了二十分钟的单词。一共一个小时三十七分钟。
勉強意欲なし!土曜日追加決定(涙)早々にモールに遊びに行く。

运动;爬山散步, 3.3km,4836步,0楼。




『会社はだれのものか』をいつものスタバで読む。目的は後半に原丈人氏との対談があるから。

原丈人氏との対談は2003年に行われたもので、タイトルは「次世代産業は日本がリードする」という今から思うと少し?のタイトルだが、もしそうなら何故、そうならなかったかの視点で見えれば良いこと。

原氏が今後(2003年時点)日本が目指すべき目標としてPUC=ユビキタス・コニュニケーション・プラットフォームを提唱している。そしてこれを『千載一遇』のチャンスとまで述べている。そして東アジアはこの点で有利だとも。即ち、ブロードバンドの環境が進んでいるから。

今から考えると正にそうしたチャンスを日本は取りこぼした。環境は揃っていたかもしれないが、通信量が寡占企業により高止まりして普及できなくなった。日本は見事にこれを失敗した。

この点で同じアジアでも中国はケーブル網は後進国だったがモバイル網が整備され、しかも通信料が日本の1/10位。体制の違いが大きいが通信料金を政治的に低く抑えることでこの分野で世界の最先端に躍り出た。GAFAM+BATの後ろ、百度、アリババ、テンセントは全てこの恩恵を受けた企業。無念の思いは強い。

原氏の目通しは正しかったが、日本はそれを実行出来なかった。その原因として、通信料の問題もあるが、もう1つの理由として、個人的にはこれがいつも言う。『中高年男性症候群』によるものだと考えている。国を引っ張る責任がある、日本の中高年男性が<四半世紀前の感覚>から抜け出せなかったが故。これは私の独断と偏見。



<受益者として>
先日「ねえね」さんところでの議論の内容として、ソーシャル・キャピタルが話題となる。「功利主義」とは異なる視点が必要だということ。

母子家庭で大学院まで行けて、さらに留学までさせてもらった者としてはとても重要な理念だと思う。障害者でも社会不適合者でも社会の一員としてそれなりの生活出来る社会こそ「豊かな社会」ではないだろうか?
https://ameblo.jp/neene0822/entry-12712008450.html

「無能」や「馬鹿」だから、「コスパ悪い」から無用だと切る捨てる「ねえね」さんの言うところの論破王の真似はしたくない。

さらに夕方、NHK-BSで『クローズアップ現代』を見る。このコロナ下で特例貸付でも返済不可能な世帯が出ているらしい。例えば持ち家があり(=生活保護等に該当しない)収入が戻らない世帯。 自営業(タクシー運転手や大工さん)ですでに多額の借金があり貸付金ではすでに赤字が出る世帯。

年金生活者として、このコロナ下で支出が減り逆に貯蓄が増えている者としては後めたい気分になる。

勿論、年金はこれまで払ってきた社会保障費の分を当然の権利として貰っているわけだから何も後ろめたく感じる必要はないのだが、それを当然だと思う気分にはなれない。それは何よりも上に挙げたように私がソーシャル・キャピタルの最大の受益者だったからだ。 「母子家庭だから大学院まで授業支援してもらって当然でしょう?」とは言いたくない。




『中世ヨーロッパ』10
9章は中世医学に関して。著者が中世の医学、薬学に関しての専門家だということで注目したが、アッサリとしたものだった。

教会は解剖を禁じたことを「誤っている」と断定しているが、p277それにしては、中世に大ぴらに解剖がなされたという話は聞いたことがないが、それは誤りか? 解剖が行われたのならその記録くらいは残されていると思うが、著者はそうした事例を1つも挙げていない。

確か、記憶に間違いなければ、近世になり死罪になった罪人の遺体を用いて解剖が行われた、という話を聞いたことがあるが? それは間違いか? そもそもキリスト教では「肉体は蔑まれていた」とこれまで聞いてきたのだが??

実際著者は『中世医学の「事実」を示すのは難しい』とさえ述べている。p282 つまり、そのことの意味するところは、そうしたことがあまり行われていなかったということではないのか? 大体、その頃は内科医だけが医師で、外科医は床屋と同じにされていたし、薬剤師や産婆はしばしば下層階級、あるいは怪しげな人々とされていたと聞いていたがそれは間違いか?

著者も述べているように当時は病気が、

『キリスト教的な世界観に照らし、人間性が堕落した状態に起因して病気が一般に存在すると考える傾向があった。確かに罪は普遍的な意味での病の原因だった』p283 とするくらいだ。

それならば病人=罪人という図式が自然と出てくるのでは??さらにそこから病人を観る医師もその意味では汚れたものに触る人という認識が導かれるようにも思うのだが?? こうした点についてあまり明確な判断を示さないのは意外だ。