蛍光灯は無くなる? & 『中世ヨーロッパ』 | Hiroshiのブログ

Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
ダイヤモンドリーグ +178XP,45083XP,一个小时二分钟。

https://www.youtube.com/watch?v=EtYpcNnapXU&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=7
HSK3 #5~7 背了四十分钟的单词。

https://www.youtube.com/watch?v=W1Zhi-SNpP0&list=PLrlwIJ5o0QFih1_09vLSwFuN1i5bcd6EH&index=13
Kazu Shanghai Life。#113,二十二分钟。

https://www.youtube.com/watch?v=K9Y9Wnf2KXk
王陽のほぼ毎日中国語 学习了十二分钟的句子。哈哈哈 很好的!

https://www.youtube.com/watch?v=9vuBfMx3P2s&t=2432s
HSK5 600,前半1/3 背了三十八分钟的句子。继续努力。一共两个小时五十四分钟。

今日は公務(公民館関連)で昼から用事があったので仕方ない。

运动;爬山散步,4km,6025步,6楼。



<知らなかった蛍光灯のこと>
今日は昼から公民館関連の仕事で大忙し。まず、蛍光灯が切れたとの使用者からの連絡を受け交換に駆けつける。先日交換したばかりの箇所だが予備のランプをつけてもダメ。もしかするとランプの問題ではないかも。予備のランプは新品ではなかったので念のため新たなランプを購入して再度挑戦(明日再度挑戦予定)

ところで、公民館の40型ランプはラピッドタイプ。これまで交換したことがなかったがFLR(ラピッドタイプ)とFL(スタータータイプ)があるらしい。後者は従来型の点灯管(グローランプ)が必要なもの。この区別が重要。

公民館は新しいタイプのラピッドタイプ。写真を撮っておいて良かった、危うくもう一度購入に走り回らなければならないところだった。

図2

自宅は主な照明はLEDだが、その他の部分は従来型のFLタイプがほとんど。何しろ30年前の住宅ですから(汗) LEDは震災以後、当時はまだ高価だったが主な照明を交換した。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/2629/trackback
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/2642/trackback

蛍光灯はFLR(~1500円/本)はFL(~700円/本)と二倍程度高い。その他にFHF型=インバーター型があるらしい。これはHf器具専用。こうした情報に疎いのは実に恥ずかしい。
https://hajimedenki.co.jp/blog/shomeikigu/20200820-998/
https://www.akaridenzai.com/fs/akaridenzai/c/fl

LEDの普及により2020年より各社蛍光灯の生産を打ち切ったらしく、今後在庫の蛍光灯が高価になる可能性が高い。皆さん必要があれば今予備を購入することも必要かも? あるいはいっその事LEDに変える?

その他にトイレのノブがいつの間にか壊れていた。取り敢えずアロンアルファーで修理を試みるが、いざとなればドアノブごとの交換が必要かも? そうなると、初めての経験。ホームセンターで購入、交換? ちょっとハードルが高い(汗)でも業者に頼むほどのことはないような…

皆さんドアノブ交換の経験ありますか?あればコメント希望。




『中世ヨーロッパ』
『入門経済学』と並行して2冊ほど本を読んでいる。1つが『中世ヨーロッパ』でもう1つが『新西遊記』。忘れないうちにこれらも纏めてみた。そんなわけで、しばらく『入門経済学』はお休みして、暫く『中世ヨーロッパ』を紹介予定。

ところで、後者の『新西遊記』の中で著者の陳舜臣氏が

<インド人は宗教的で中国人は政治的だ>

と述べていた。p618 これは先日の『自由の運命』で語られたことと非常に共鳴するところがある。即ち、中国は<強い国家>、それに対しインドは<強い規範の社会>ということだ。それを自己流でブログに図式化してみたが、インドも中国も横軸と縦軸に沿って存在する。何となく一人で納得、納得(笑)
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12706550722.html

 

 

『中世ヨーロッパ』
副題;ファクトとフィクション。ウイストン・ブラック著、平凡社。2021年初版。

出たばかりの本で、訳者「あとがき」に編者がコロナ下の緊急事態宣言中に、ブログにこの原本についての記事を書いたところ、平凡社の目に留まり、急遽翻訳の話が舞い込んだとか。p379

そして今、西欧中世史に素人にすぎない私がそれを読める! コロナも悪いことばかり引き起こしたわけではなさそう。

この中で編者は読者に対してこの本を読む際にどのような「注意」が必要かを述べる。p377 

でも、それって「あとがき」ではなくて訳者「まえがき」で書いたほうがいいのでは(笑) ま、訳者は常に「訳者あとがき」で書くことになっているので仕方ないが、そういうことはこれまでにも何度かあったこと。またそれゆえにこそ私は「あとがき」を最初によむ習慣がついている。

それは兎も角、編者がいうに、西欧で「中世主義」が生まれた背景に、

『国民国家の起源探しが歴史学の一大課題になっていた』時代があるとのおこと。p372 このことは以前からよく話題になってきたことでもある。この頃からそれまでのローマやギリシャに起源を求めるのではなく中世社会に起源を求めるようになった。

一方でアメリカでは事情が異なるとも。因みに著者はアメリカ人。著者によればアメリカでは中世ヨーロッパの後進性に対するアレルギーがあるらしい。p373 これについてはあまりよく分からない。今後の課題。その理由には私自身がアメリカの西欧中世史関連の本を読んでいないからだろう。

先の編者が「注意」として書いていたのはこの欧米の中世に対する意識の違い。

ところでこの著者が最初に書いていたことに、「暗黒の中世」という意識があるとの指摘だが、私自身は西欧中世史に興味を持った時期(90年代)には、そうしたものに対する批判意識を持つ本が多かったので、そのような偏見は皆無だ。むしろ「ロマネスクルネッサンス」とか「カロリングルネッサンス」的な中世を暗黒の時代というよりは逆、進歩の時代という捉え方が最初から身に付いたのでその点は違うかもしれない。