『阿片戦争』(前)7 | Hiroshiのブログ

Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

<首都圏の緊急事態宣言は解除>
今日で解除されるとのこと、人出は急に回復傾向とニュースで言っていた。確かに今のままでは横ばいで減る兆候がない。だから、

『やっても減らないじゃん!』 と皆が思い出した。
『なら解除しよう!』 ということらしい。

『やっても減らないじゃん』の後に『じゃ、何か別の手を打たないといけないじゃん!』 という発想はないみたいだ。

改めて日本と中国の死者数変化を経時的にみてみる。日本は死者数で見る限り減る兆候がない。こうしてグラフにすれば「解除する」という理由が見当たらないが、<刺激は変化しないと感覚は麻痺する>という生理学の法則?を思い出した。下の図の右、トラジェクトリー解析では中国はグラフにならないので示していない。

「中国のデーターは信頼できない」というのは簡単だが、「人は知りたくないことは見ないだけ」かもしれない。見れば普通は何か参考になることはないかと考えるものだが…

 

 

 

<自治会活動>
昨日、公民館で組長、役員総勢20名ほどで自治会総会用の資料作成に2時間半かかる。何しろ当地区の世帯数は直近の数字で368世帯。10ページ程度の資料とその他の数ページの冊子を4部ほど各家庭に配布しないといけない。しかも去年に続き、コロナの影響で総会は基本、委任状。出席は新旧組長、役員のみ。各家庭からの委任状の受け取りも必要。まだ大変な作業が続く。

デジタル配布やアプリを使った連絡網簡便化を言いかけたが途中で口籠る。公民館の時も大変だったが、それ以上の超~難題だから。

帰宅途中、ある組長さんから

「区長になって大改革をしたらどうですか?」

とけしかけられたがトンデモナイ。早々に責任を果たして辞めたい思い。それでも公民館の予約クラウド化と解錠リモート化はこの1年で出来たのでよしとしよう。後、任期が1年残っているのでクラウド化100%(現在は9割程度)達成化を残すのみ。

残るはハード=建物の問題だが、公民館建て替え費用も十分目標額に達したので、もし改築ということがあれば、更なるハードのバージョンアップが可能だが、任期中にはありそうにない。それでももう築30年とのこと。



<阿片戦争時のアヘン処理池>
いろいろ調べてみた。
http://www.iobtg.com/Cc.Humen.htm
https://jp.trip.com/travel-guide/dongguan/lin-zexu-buring-opium-pool-site-10539567/



<「報道スクープSP」>
土曜夜「土曜プレミアム・報道スクープSP」を観て時系列を確認する。

一昨年の年末に新規のウイルス感染を一部の医師により確認されるが、中国政府が[人-人]感染を認めたのは去年の1月20日だとか。私がそれを知ったのはその数日後の24日。直ちにそれを逆に中国に知らせたくらいだ。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6034/trackback

まだその時はお互い深刻さを全く感じてはいなかったので、冗談を言い合うような状態で、その後の展開は予想も出来なかった。




『阿片戦争』(前)7
阿片の処分は6月3日にはじまり、1日休んで25日に終了したとされている。つまり3週間程かかったことになる。p426、p442

著者は当時の中国の問題の原因に『人口の驚異的な増加』を挙げている部分が数箇所ある。それにより農村は疲弊し、阿片密貿易での実質増税はそれに拍車をかけた。その結果、流民化・匪賊化が起こった。p430、p468 

いつでも人口の急増はその後に大きな後遺症を残すのはどの世界でも同じ。その意味で新中国になった時、所謂「一人っ子政策」に舵を切ったのは判らないでもない。しかし本質的問題は人口の急変だろう。一人っ子政策はその後の人口の高齢化=扶養人口の増大=人口オーナスを引き起こす。

話をもとに戻すと、広州を退去した英国人はポルトガルが特殊居住権を持つマカオに移動したが、船は香港島沖(およびマカオ沖)に停泊させ貿易は続行した。p459  阿片を取り扱わない米国は広州でビジネスを継続していたので、中継ぎで香港沖から広州までの短い引き継ぎを依頼したが、この時、米国側はこの極短い運賃として1トンあたりスペインドルで30~40ドルと、巨額の利益を得ていたとか。これはサンフランシスコから広州までの運賃よりも高かった!p459 まさに米国はこれで「漁夫の利」を得たわけだ。

香港島沖に停泊してビジネスを続行していたわけだから、船員たちは時々食料等の買い出しで香港や九龍に上陸していた。p475 そして酒場にも立ち寄るために騒ぎも起こったようだ。この停泊場所は香港と九龍から襲撃をうける場所にあるので、その後、銅鼓湾に移動することもあったよう。p549 そうした騒ぎの1つが尖沙嘴(新安県)での乱闘騒ぎで、中国人の死者がでた(1839年7月7日)。これが阿片戦争の直接のきっかけだとか。p488 

場所はここか? 尖沙嘴はないが尖沙吐(tsui)は発見。このところGoogle mapが大活躍するが、過去の地名であるし、また簡体字の問題もあり簡単ではない。
https://www.google.co.jp/maps/@22.2988068,114.1707212,13z?hl=ja

マカオは妈閣があったので外国人によりマカオと呼ばれるようになったとか。場所は市の南端。p500 この南にも土地が広がっているが、おそらく埋め立てたのだろう。その証拠に「島」の名前が残っている。
https://www.google.co.jp/maps/@22.1890135,113.5320064,14z?hl=ja