金の光? & 「接木」について | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<呆ける理由>
今日は朝から腰と肩が痛い。特に長く座ると腰が痛いのは困る。そんなわけで朝食後、暫く横になってテレビを観ていたら寝落ちしてしまった(汗) その後は勉強意欲がなくなり。今日もサボることにした(汗) あとはあの「人をダメにするソファー」にもたれかかって半分屋外でいつものように本とweb検索、さらに「接木」を巡る思索で1日過ごす。

リタイヤすると別に無理して働かなくても何も困らない。それが原因で呆けるのだろうね。う~ん、危険、危険。 

運動は普通にこなす;5km、7237歩、13階。



<2021 Tokyo>
バッハ会長曰く『トンネルの先にある光にしたい』
https://news.yahoo.co.jp/articles/3780dbd9636e5aca72013b928e36bd6cd9b2c591

そうですか。どんな光なのでしょう? もしかして金の光?



<接木>
今『政治経済の生態学』の第三章「日本」を、最大の関心事である章を読んでいる。この中で著者(アメリカ人)は日本のことを理解が難しく、異質であるとしながらもキーワードとして<交配種>あるいは<接木>としたことが印象的。p103~104 

実は<接木>というキーワードは全然別のところで、このところ何度も出てきた言葉。1つには銀杏で、もう1つは甘柿。いずれも「ちー」さん、のところで話題になった話からの発展。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6360/trackback
https://ameblo.jp/changzi728/entry-12636553363.html
https://ameblo.jp/changzi728/entry-12637781550.html

先走って書けば、この著者によれば、現代日本は<伝統的なものの上に、欧米的なものが接木された特殊なもの>としている。 私の独断と偏見でTodd流に表現すれば、「権威主義的長子制度」の上に「アングロ・サクソン的核家族制度」が接木された国家と言えるだろうか?


高校生の時に日本文化のことを「雑種文化*」だとした作家の本を読んだ記憶があり、この言葉が頭の片隅に今でも残っている。しかし今は「雑種」よりも「接木」文化と呼んだ方がより正確かな?と感じ始めている。

「雑種」だと遺伝子そのものが変化する、しかし「接木」ならば根っ子のところは変わらない。上の枝の部分だけが、表現形だけが変化する。だから維持するには、継続して「接木」しないといけない。「タネ」でというわけにはいかないので面倒だ。しかも「接木」は若い樹ではうまくいくが高齢の樹ではうまく行かない(汗)

…だからと言って悪いことばかりではない。昔の遺伝子を残したまま、風土病的なものに耐性で、かつ新世界的なもの(近代化や現代化)にも素早く適応できる点も評価したい。

*調べたら、「雑種文化」としたのは、加藤周一氏のようだ。既にお亡くなりになったよう。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1133/trackback