<公民館論を読む>
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihondaigakukyouikugakkai/44/0/44_KJ00009022126/_pdf
いつの修士論文だろう? かなり古いようでもある。今まさに公民館長を務めて色々な問題を抱えているので検索で探し出した文献。
まず、ここで書かれている公民館の存在に関わる議論と現実は大きく異なっている。もしかしたら時代の違いかもしれないが(その意味でも時期が特定されないのは残念)、意外と昔から実態とここで論じられている内容とには乖離があったのではないかと想像する。
まず現実と完全に乖離している点を挙げると、「7つの原則」から、p118
3.行政から独立>完全ではない、むしろ行政のサポート(含む経済的支援)なしには維持できない現実がある。
4.専門的識見を持つ専任職員>皆無、リタイヤ組のボランティアが現実。
この論文で主題となる「住民と行政の対立」などはどこか別の世界の話と感じてしまう。
実感としては化石のような存在である公民館を高齢者が何とかボランティアで運営しているのが現実であり、住民の多くも何かの時に「場所」を提供してくれる所として存在の否定はしないが、積極的には関与しない。
因みに公民館長の任期は当地では2年であり。きちんとした引き継ぎ事務はされず上に述べたようにリタイヤした高齢者が担当する。運営もこれまでの使用例を元に、何となく維持されているのが現状。当然使用実績をよく知る人もいないので、時折必要に応じて昔の「公民館細則」を引っ張り出して確認する程度。
<『われらの子ども』という本について>
最後にこの本が描かれた経緯が語られる。この羅生門的研究を実際に行なったのは若い(30歳)白人女性のジェン・シルビアで、p301 彼女はボブ(=この本の著者にしてハーバードの教授)の昔の思い出の故郷、ポートクリントンからの報告を最初に行ったらしい。そこでロバート・パットナムの思い出が間違いないことを確認するとともに、今ではそれがすっかり様変わりしていたことを報告した。
そこで彼女はこれを全国規模に拡大し、2年間全国を旅してインタビュー行ったらしい。当時、彼女は大学院を修了し、かつ研究職の面接をうけ、同時に婚約した時だとも。p294 p301
そのインタビューは数百時間におよび107人の若者を対象とした。p295 そこでは「四人組」モデル(上部+下部X娘と母)(上部+下部X息子と父親)を旨としたが、しばしば下層階級では(別に差別的な意味で使っているわけではない)父親が服役中や音信不通で完全ではなかったとも。
また、1~3時間のインタビューの対価として50ドルも支払ったらしい。上層部ではこうした謝礼を遠慮するものもいたが、下層では家賃の支払いのため必要に迫られていたとも。p297
ここで面白?ことが書かれていた。それは下層部では住居の頻繁な移動や電話料金の未払いから連絡が取れなくなることも多かったが、幸いしたのはFacebookでの連絡がそうした時、功を奏したらしい。p299 またこのFacebookでの交流が信頼も助長されたとも。p301 なお、本文に登場する安全を保護するため、名前は全て偽名だとも。p300
最後に著者等が告白していることとして、このインタビューには最も悲惨な、最下層にいる子供、下1/4層は彼らの調査の網から逃れていることも述べている。つまり彼らは職がなく、学校にもいかず、ホームレスであったり、刑務所にいる若者。それゆえ、この本は最下層にいる人々の人生体験を「控えめ」に表現したものであることを認めている。p304
なお一部は以下のサイトで閲覧できる。
www.robertdputnam.com/ourkids/research
いいですね! こうしてハードコピーに載せられないデーターや解析はHPに置くという習慣が段々広まるのは!
いずれにしても、繰り返すことになるが間違いなく『お薦めの1冊』。